-
おはようスタジオ
ども、名人です。大変ご無沙汰なブログマガジンで申し訳ないです。言い訳は無しとして、早速書いていきます。今回は、先日の16Shot TVで紹介した「おはようスタジオ」の件に関してです。私が最初に「おはようスタジオ(以降おはスタ)」に出演したのは、1985年の8月14日の事でした。この日は、水曜日で、おはスタの中では遊びに特化した番組になっていたのです。最初のきっかけは、私は立ち会っていないのでよく分かりませんが、当時の宣伝部が、「全国キャラバン」の宣伝のために、スタッフと接触。その後、13日の新潟大会終了後に私が東京に戻る事。北キャラバンカーも、東京にあることなどから、14日という日程が決まった様です。基本的に番組の内容は、見て頂いた様に、東京タワーの下で、来てくれた子供達とスターフォースを遊ぶというものだった様です。さて、話しを少し戻します。1985年の8月12日の夜の事です。富山県高岡市の「おもちゃのバンビ」での大会が終わった後、私たちは新潟へと移動しました。その途中、JAL123便が墜落したというニュースも飛び込んできていたので、晩ご飯もそこそこに、TV番組にかじり付いていました。というのは、JAL123便は、当時のハドソンが非常に多く使っていた便であったからです。丁度18時に羽田を飛び立ち、役1時間後には大阪に着いているのですから、多いときには、5〜6名で乗っていた事もありました。そして、本当に、当時の東京支店長が、それに乗って大阪に帰る事になっていたのです。
-
ディスクシステムの元となった「ハニカムライン」
今回は、ファミコンディスクシステムの元となったハドソン発案の企画について書いてみたいと思います。このシステムの開発期間は、1983年から84年にかけての事だったと思います。細かく覚えてはいないのですが、この時期には、いろいろな事をやっていたので、頭の中の記憶違いに1年や2年の誤差が生じているのですよ。ただ、どうしてもこれを発表したマイコンショーが1984年5月に開催したのでなければ、私の中でのつじつまが合わないのです。いろいろな記録を調べているところですが、その当時の資料を手に入れることが難しい事もあって、だいたいそれ位の時期であったと認識していただければありがたいです。さて、最初のきっかけは、「MSX」の登場でした。MSXは、1983年にマイクロソフトとアスキーによって提唱された、8ビット・16ビットパソコンの共通規格の名称です。これが登場するまでは、各社毎に異なるOSのために、それ専用のプログラムを書く必要がありました。
-
思い出「ゲームは1日一時間」
今回は、時間の流れとは違ってしまいますが、「ゲームは1日一時間」がどうして生まれることになったのかを書いてみたいと思います。
この言葉が生まれたのは1985年の「第1回全国キャラバンファミコン大会」を開催している時の事です。
きっかけとなった日付は、1985年7月26日
場所は、福岡県のダイエー香椎店での事でした。
初日21日のダイエー鹿児島での大会は、ほぼ参加者のみという集客だったのです。
それが2日目3日目と徐々に増えてきまして、25日のダイエー福岡天神店と言った都市部での開催になると共に、ゲーム大会参加者だけではなく、大会見学者の人数も増えてきていました。
それが、会場の大きさもあって、参加者よりも見学者が多くなったのが26日の香椎店での大会でした。
ステージに上がった時、目の前には体育座りをしている参加者と、その周りを取り囲むように連なっている家族のみなさんが多かったのです。
(この写真は、ダイエー香椎店のものではありませんが、同じ様な雰囲気なので使用しています。)
この時、「何か言わなければいけない」という、いわば脅迫されているような圧迫感を覚えた私は、思わず言ったのが「ゲームが上手くなりたいなら、1時間くらいを集中してやった方がいいよ。あまりダラダラと遊んでいても、悪い記憶しか残らないから、上手いプレイには決して繋がらないからね」
「後は、身体を鍛えるためにも、外で遊びなさい」
という風な事を言ったのです。
1 / 4