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BERLINに住まう人々に宛て/ロッキングオン10号(1974年)
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BERLINに住まう人々に宛て/ロッキングオン10号(1974年)

1974-03-15 21:01
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    標題=BERLINに住まう人々に宛て
    掲載媒体=ロッキングオン10号(1974年)
    発行会社=ロッキングオン社
    執筆日=1974/03/15
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    翼よあれが世界の割れ目だ

     冬の部屋でカサブタが剥れて机の上に置かれた。どうという快感があった訳ではなかったが、剥れたカサブタをまるで乗り遅れた電車を見送るようにただ凝視めいているという事が、すごく自然のように思えた。

     風もないのに冬の部屋で何かが流れて死んだ。

     剥れたカサブタは一体何だろう。自分の体から分離した一枚の皮膚は、あの夏の一日を秘めた日焼けした肌のように、一枚の薄い記憶だろうか。

     それとも体毛をむしり取られた兎の回復しない時間だろうか。この醜悪な乾いた血の色を、かつては、<自分>と呼んでいたのだ。
    冬の街、街の冬。街角を曲がろうとすると、急に風が吹いてきて、一枚の新聞紙を運んできた。

     また今日も、経済や文化が<運動>しているのだろう。だけど僕は、自分を肯定するために他人を否定するのは止めにしたのだ。

     僕は無表情な今日のクシャクシャな面積を踏みつけた。ガサッ、という音と共に奇妙な充実がおおいかぶさるように僕を襲った。
    その時、僕は、かさぶたを剥がしている時の僕だった。

     ルー・リード。<地獄のフーガ>

     僕は思わず溜息をついてしまう。ああこういう地獄もあったのだ……。とか。

    この地獄は僕に一番近いような気がして、しかし今の僕には一番遠いような気もした。

     昨年の寒かった春。僕は、少年か老人のように、頑固でいたいと思った。

     意固地で、わがままで、図々しく、それでいて何か別の途方もないものを固く信じているような、そんな風でいたかった。

     ロックは幼さか老成かを強いる、と語った時の渋谷陽一とは、多分逆のベクトルで僕もそう思った。

     ルー・リードは、見てしまったものについて語っている。そうだ、彼は見てしまったのだから、もう二度と見る事はないのだ。ロックは見ている事だ。今、見ている事だ。

     違う街へ行けば違う女と知り合うのは当り前の事です。経験なんてものは屈辱にこそなりはすれ、誇示する質のものではないのです。ルー・リードは自分に向かってラブレターを書いています。

     ボウイは遺書を書いています。書く、という行為に関しては別にどうという違いはないのだろうけど。

     3年位以前の話だ。僕は真夜中、戸山ハイツにある箱根山という小さな土山の上に立つために、わざわざ四谷の家から歩いて行った。
    都内で一番高い大地であるこの山は、僕の好きだった場所のひとつで、新宿から目白にかけての空の大きさが気に入っていた。

     都市の空というのは、自然の中でのあけっぴろげな広大さではない、ある抑圧された範囲の重たさを持った空なのだ。

     夏ではあったが夜風は冷たく、山頂に立ちすくんでいるのもしんどくなったので、帰ろうかな、と思った時、僕は妙な幻覚を視た。
    幻覚というよりは突然の思い付きが、一瞬絵に見えた感覚であった。
    付近の住宅街を疲れた灯りを点けながら自転車が走っていた。この夜の住宅街を放火しよう、と思った。放火して、そして、その放火の弁償のためにだけ労働する一生を送ろう。

     寝静まった他人の家の玄関を見ていると、人を殺したくなった。人を殺して、残りの生涯をその後悔と償いの日々としたかった。その理由(ため)にだけ人を殺したかった。

     その方がラクだ、と漠然と思った。具体的な負目を持つべきなのだと信じていたのだ。インポになりたかった。

     カサブタの剥れた後は、すごくきれいなピンク色の傷痕となった。その鮮やかさは血の色よりも本物の気がして、それはまるで戦後そのものだ。

     カサブタは風が壊してしまったけど、僕たちには傷よりも過去の記憶がある。壊れたもの以外に、何処に正しさがあったか。壊れなかったものが守った正しさに何の意味があったか。

     傷痕は少しも癒されずに、酒を飲むとますます鮮やかさを増す。友人に言わせれば<もうおまえには自分の細胞を回復する能力はない>のだそうだ。

    <ベルリン>は廃墟の街だ。それは永遠に復興される事のない、時間に埋もれてしまった街だ。ベルリンもまた、だ。

    <自分>というものは常にここにあるものではなく、ある瞬間に背後を横切って行くものだ、という事に気がついた時、僕はようやく<自分>と出会う事が出来たのだろう。

     己れを知るとはタイミングの把え方なのだ。欲望を説明しようとする限りは欲望から自由になれない。岩谷宏は<人はパンで生きねばならぬ>と書いたが、

     これは殆ど、ここまでのロッキングオンの<ロックの>結語だ。そして結論の出発点だ。僕たちは確かに、無数のどうでも良い事と、若干のどうしようもない事とに依って生活を保ってはいるが、何も、それら夾雑物に視点の支点を頂ける必要はないのだ。否定しつつ甘受するというのはそう容易すい事ではない。

     肯定とは面積であり、否定とは直線である。ならば否定の面積とは考えられないだろうか。直線であった60年代ハードロックがターンオンしたとするならばそれ以外に思い付かない。

     赤ん坊の泣き声がする。

     人が最初に見るものは何だろうか。とりとめもなく渦巻く光の粒子だろうか。それとも母の志である、あの濃い血の色だろうか。さもなくば闇か。

     僕たちの誰もが、かつては泣いていた、という事実は、今となってはこだわるべき事ではないのかも知れない。

     どこまでもどこまでも荒涼とした大地の上に、突然投げ出された、あの恐怖を思い起しても仕方のない事かも知れない。

     それでもその時僕が呼んだのが<母>であったという事実が、今はただひたすら重たい不明だ。

     赤ん坊のさけび声は何処へも響かずに暗い風景に吸い込まれてしまう。

     ロックのレコードに赤ん坊の泣き声を使うのはめずらしい事ではなく、むしろ不思議な位、多く使われている。

     GFRの昔のレコードにも、そういうのがあったが、すごく不細工な入れ方で見えすいていたが、それはそれで良かった。

     GFRよりは遙かにましにしても、このレコードでも、やはり赤ん坊の泣き声はわざとらしくて完全に成功してるとは思われない。

     赤ん坊のさけびを、どこかで誤解しているのだ。GFRも。ルー・リードも。アリスも。僕も。

     僕たちの生活は、すっかり妥協してしまっているけど、内面は、もしかして、ずっと図々しく、僕とは逆の方向に進んでいるのかも知れない。

     赤ん坊のようにさけびながら死ぬ事ができるのだろうか。

     それにしてもN君。ルー・リードのような形で女に苦労してはいけませんよね。

    Lou Reed - I'm Waiting for My Man RARE Live in 1972

     

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