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標題=シャイニイ・オン GFR
掲載媒体=ロッキングオン10号
発行会社=ロッキングオン社
執筆日=1974/03/15
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GFRは渋谷陽一にとってロックの第二の出発点であったように、僕にとっても<ソウルイートのGFR>というただし書きはつくが、同じようなものだ。
薄く汚れた部屋で、GFRは意識の介入することのない欲望そのものであり、闇の中でこそ聴くべきその音は、僕たちの、とりとめもない内面に、はっきりと呼応していた。
GFRのように肉体で出す音は、当然の事ながら、そのままの肉体としては持続し得ない。GFRの現在は、もえかすであり、もうひとつ力があれば彼ら自身で、そのもえかすを踏みつぶす音、を出せたはずなのではないか。
GFRが<マリファナ撲滅運動>のキャンペーンにうつつを抜かしているというニュースが入った時、僕は、それがGFRのすごく自然な成り行きに見えたのだ。グラスとロックの関係は僕たちが想像する上に密接なはずであって、例えば、ロックなんて聴いた事もない三十男が、初めてグラスをやった時に<初めてまともにロックが聴けた>といった話もある。ところで今回のGFRの新譜だが、撲滅運動どころか、これは、バッドトリップのレコードだぞ。
フラワーチュルドレンあたりのアメリカで、ただ単に陶酔を目的として、グラスをやりロックをやっていた連中が、今、一体、どんな情況にいるのかすごく興味はあるのだが、例えば、Gレイクが、グラスがなくても、充分、<もっていける>ところまで行ったのに対して、それだけのミュージシャンがアメリカにいなかったのは不幸だし、GFRが今だに新譜を出せるという情況自体、世代的恥辱と思わねばならない。
しかしアメリカの中でも例えば、僕にしても信ずるにたる人間を知っているし、そいつは、まるで中年男の背中のような視線を持っていた。ドンファンが受け入れられるだけの土壌は、すでにアメリカにも、僕の中にも出来ているし、苦しみは解消される事はない、などと最初から諦める理由は全くないのだ。恐怖と自信をもって、着実に進んでいかねばならない。
GFRが日本に来た時、僕は四谷の喫茶店で一杯飲んでいて、そこに居た連中の何人かは後楽園に行き、何人かは麻雀へ行った。僕は結局、麻雀を選んだ訳だが、思えば、その時の選択が僕とGFRの訣別であったのかも知れない。
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橘川幸夫放送局通信
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