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ホークウィドが彼方に/ロッキングオン11号(1974年)
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ホークウィドが彼方に/ロッキングオン11号(1974年)

1974-05-15 21:07
    ホークウィドが彼方に
    ロッキングオン11号(1974年)
    19740515


     音が必要な時というものがある。音にすがり着くようにして通過した、いくつかの夜があった。音はその時、最初から温もりを持っていた毛布のように思えた。私は、ともすればバランスを崩して陥ち込んでしまいそうな経路を、音にすがる事によって、かろうじて通過し得たのかも知れない。つまり、眠ってしまったのだ。それぞれの場合にその音は、GFRでありジャニスでありボウイであった。

     しかし、さわやかな朝を迎える段になると、それらの重たい音も、あの重たい夜の結末と同様に、夜のぬけがらとして、私の掌に収まっているに過ぎない。私たちの潜ったそれぞれの夜が私たちのそれぞれの<個性>であるように、ボウイの音も、所詮はボウイの個性でしかなかったのだろうか。

     ホークウインドの音を聴き初めて一年以上たった。執拗な我執ですがりつくようにして聴いた覚えはないが、でもずいぶんと私にとって必要な音であったのには違いない。初めて聴いた時、どこを断ち切っても同んなじ顔が現れてくる金太郎アメのようなこのレコードに、異様さを覚えたが、その戸惑いは何度、聴いても消えない。しかし私はこの<原始宗教の呪文>(今野雄二)であり<お経>(岩谷宏)であるこの音の単調さの中の粘り強さに、ずいぶんと浸り込むことができた。そこには少しもイージーではないが、確かなリスニングがあった。

     なまぬるい風呂にゆったりとつかっていると、となりの部屋あたりから、アルバート・ハモンドのカルフォルニアが聞こえてきた。しかし塩化ビニールの荒野に刻み込まれた音から思い浮かべるカルフォルニアは、何故か、太陽も既にひとつの石くれだった。そして私は、学生の頃の先輩でテキサスの砂漠の街に棲みついてしまった人の生活を思い浮かべていた。大部以前に貰った、奇妙な形をしたシャボテンの絵葉書には、確かこのようなことが書かれてあった。<不毛の地ではダイヤモンドも不毛を形づくるひとつの砂粒に過ぎぬ。僕は山ユリの鮮やかな生き方を好まぬ。僕は有刺シャボテンの強い生き方を好まぬ。むしろ僕は出来得るなら体内に毒を持つ、ひとつの石くれとして不毛の全体を形づくろう……>

     方法論などは要らない。ただ方法さえされば良いのだ。古の彼のように、僕もまた、死んだ神よりは生きてる人間の方がずうっと好きなんだから。

     ホークウインドの音は肉体の音楽である。ロックを意識的な一側面でのみ捉えると、ロック の、あの肉体に対する奇妙な生理作用を納得できない。もちろん僕がこういう言い方をするのは、<にんげん>というものを、意識と肉体とに引き裂いて、その痛みの自覚を<個性>と呼ぶ事に反対するからである。

     確かに人間には意識と肉体と呼ばれる面があるが、もとより、それは全く一つのものの別称に過ぎないのであり、意識と呼ばれる仮象の一点に存在の重心を置いたり、肉体に存在の価値を見たりしたところで、それは既にバランスの狂った、ぶかっこうな思考に過ぎないのである。<にんげん>とは、冷たく薄い、影のような意識を大地に映している事を忘れてはいけないがしかし、同時に、ドロドロとした肉体の渦である事も忘れてはならないのである。

     僕は、渋谷陽一の、ロックを意識昇華の成果のみ、とでも言いそうな口ぶりに不安とためらいを感じるゆえに、<肉体の音楽>という言葉を出した。孤立して突き詰めた意識が手に入れるのは、せめて<裏切られた意識>ぐらいのものでしかないのである。

     音楽とは、もともと、僕たちの生活、とは全く別の世界への伝道者だ。肉体でも意識でもない、ここでもあそこでもない世界。それが、自分たちの内側にあるという事を教えてくれる。

     比喩的に言えば、演歌は消化器系統の音でありジャズは呼吸器系統の音であろう。ホークウインドは、そのどちらでもない。それは心臓の音だ。<マンダラは動いている>という梅原猛の言葉があるが、まさにホークウインドは動くマンダラ、脈々と時を刻む生命そのものだ。

     もとより具体的な宇宙というものはない。具体的な心臓があるだけだ。ホークウインドが示した宇宙というものは広がる心臓の背後なのである。

     空間がぴたっと止まってしまう、という瞬間がある。窓の外に拡がる夜空が、額縁のような窓枠の範囲に閉じ込められてしまう。時間でも空間でもない、奇妙な世界にホークウインドが響き渡ると、僕は18世紀の探検家のような荒々しい息付かいと、蟻とたわむれている幻児のみずみずしい視線で、宙空の定まらない一点に焦点を合わせる。ボウイが都市の闇の真唯中から、無限の闇夜に向かって、狂犬のように意識の叫喚を突刺して行くのに対して、ホークウインドは逆に、無限の闇の彼方から立ち現れてくる厚みのない影だ。それは風だ。それが<The wind of time is blowing thru me>

     今の私には既に、ジャニスやボウイの<秀れた痛み>は必要ではない。それが成熟という名の老化であるかどうか分らないが、何年か前のように、他人の心理をかきまわしたり、かきまわしたつもりになって喜ぶ、というような事はしなくなった。他人の心理の痛みは所詮コトバでしかない。コトバには確認の力はない。ただ再確認の能力があるだけだ。<Think only of yourself>とホークウインドが語っているけど、それは決してワガママとかエゴイズムではない。むしろそれならば、他人の心理を硬い対自として読みとる方がエゴイズムだ。think とは閉鎖的な思考ではなく、むしろ思いを拡げる、という事だ。読みとるのではなく、知るという事だ。私自身という、はばたきを知らぬ鷹が、透明な宇宙を飛ぶとき、他者の痛みは植物の痛みのようにクリアーに、みずみずしい生命となりコトバは、ひからびた沈黙、としてではなく、ひとつの輝きを得る。<Think only of yourself>聴くべき音はただひとつ私の心臓の沈黙だけである。いうまでもなく、それが、私とあなたの間に横たわる巨大な距離、すなわち死なのである。

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