街を歩いていても、目に飛び込むあふれる情報、耳から入る音、鼻を刺激する香り、臭い......そんな騒がしい世の中に住みながら、さらに私たちはスマホの中の小さな文字を一生懸命に目を凝らしてみて、もっともっと「まだ足りない、まだ足りない」というかのように、情報を取り入れようとしています。
その情報量の処理に、私たちの脳はきっといっぱいいっぱいなのでしょう。
十数年前と比べたら、情報量は数千倍。一説によると、現代人が1日に触れる情報量は、江戸時代の1年分、平安時代の一生分、とも言われているそうです。
幸せは余白に訪れるはずなのに「幸せは余白に訪れる」と言った方がいましたが、本当にその通り。「余白」を楽しむ生活をするためにウブドに移り住んだのに、気づけば多忙さは東京に住んでいたときと変わらず、もしくはそれ以上かも......。
私が仕事を愛して止まず、ワーカホリックであることをすでに察している2歳と3歳の子どもたちは、私が仕事に没頭しすぎると豹変するので、私は娘が保育園から戻る15時半には帰宅し、がっつり子ども達と遊んでから夕飯の準備をし、子ども達が寝付いた夜中にまた仕事をしています。
しかし、子ども達が庭で夢中になって遊んでいたら、いつのまにか私も携帯で仕事に夢中になってしまい......そんな自分にハッとする日々。
頭の中が空っぽになる場所へそうして「余白」がどんどん情報や思考で埋められていくと、「インスピレーション」も降りてこなくなり、ついに仕事も私生活も八方塞がりに......。そうなると、極端な私の心と体と脳は一気に悲鳴をあげ、足がムズムズ、必ずある場所に行かないといけない衝動に陥ります。
それが、ここ、隣村の聖なる泉。
古来からヒーリングで知られるウブドの中でも、聖なる水で心と体を清めるために人々が訪れた場所だそうです。今でも、毎日水浴びや水汲みに来る人たちが訪れます。
ここで、1人で頭から聖水に打たれたり、子どもたちと水浴びすると、私の心と体と精神に、やっと平穏が戻る。やっと、頭の中が空っぽになるのです。
「余白」は作る、時間はコントロールするウブドもここ数十年で間違いなく急速に開発が進んでいますが、一歩出ると、または路地を一歩入ると、人の暮らしの中にもまだまだ雄大な自然があり、その中に、豊かな伝統や自然崇拝の文化が根付いています。
そんなウブドが大好きな私は、なるべく伝統儀式にも参加したい! 最近忙しすぎて、友達家族たちとも会えてないぞ! と思えば、ディナープランも埋まってくる。アップサイクルは、商品を買うだけじゃなくて自分でもしたい!
「こうせねば」「ああしないと」と、自分の理念に沿った生き方をしようとすればするほど、「余白」はどんどん失われていく......。
理念よ、どっかいけ。思考よ、どっかいけ。
情報過多の時代だからこそ、自分がコントロールをできる時間を、意識的に過ごすことが重要。いま、自分の魂は何を求めているんだろう。
年末にかけてさらに忙しくなりますが、豊かな年末年始を迎えるためにも、来年を今年よりちょっとだけでも良い年にするためにも、今、自分が「すべきこと」じゃなく、ただただ、「心の声」に耳を貸してみよう。