その美しさはイスラム建築最高峰と謳われ、一目見たいと訪れる観光客が後を絶ちません。そしてグラナダを訪れた旅行者がアルハンブラ宮殿とともに訪れるのが、宮殿の北側に位置するアルバイシンと、さらに山側に位置するサクロモンテ。アルバイシンはイスラム教徒たちの居住区で、サクロモンテは丘の上に白い洞窟住居が並ぶロマたちの居住地域。どちらも、アンダルシアの渇いた大地と抜けるような青空に映える、真っ白な風景が特徴的です。
サクロモンテを描いた映画が公開中グラナダの「洞窟フラメンコショー」といえば、ああ、と頷く人も多いと思うのですが、そのフラメンコショーが行われるサクロモンテの丘を描いたドキュメンタリー映画『サクロモンテの丘〜ロマの洞窟フラメンコ』が現在公開中です。
フラメンコファンはもちろんのこと、音楽ファンを中心にじわじわと人気を集めていますが、ミニシアター系としてはなかなかのロングランヒットの予感! というのも、この映画はフラメンコや音楽・芸術の映画である前に、民族や国籍を超え"人が生きていくこと"を私たちひとりひとりに語りかける物語であるから。
よく知られたことですが、グラナダは8世紀ごろから800年間、イスラム教徒による統治が続いた場所です。15世紀、レコンキスタでキリスト教徒の治世となり迫害されたイスラム教徒たちが住みついたのがアルバイシン地区で、ロマ(※1)たちの居住区とされたのがサクロモンテの丘。
※1...ロマとは北インドを起源とする移動型民族のことで、日本ではジプシーという呼び名のほうが一般的かもしれません。彼らはそこに洞窟住居を作り暮らしたのですが、この洞窟住居はじつは今でいうところのエコ住宅。地形をうまく利用することで夏は涼しく冬は暖かい住居を実現しました。石灰を混ぜた塗料で白く塗ることで防虫対策も成されています。
ロマとエコを結びつけて語る人はあまりいませんが、どんな民族文化の中にも昔の人たちは様々な自然と共存する知恵を持っていたことに、なるほどとうなずきます。
フラメンコの聖地、サクロモンテとは?さて、隣接するアルバイシンとサクロモンテ。ここでロマたちとイスラムの文化(ロマたちの持つ独特のリズム感、躍動感あふれる踊りと、アラブの音階)が融合したことがフラメンコの発祥となったと言われ、サクロモンテはフラメンコの聖地として伝わる場所でもあります。
現在、サクロモンテの丘には毎晩観光客用にショーが開催されるタブラオ(フラメンコショーを観せるライブハウスのような場所)がいくつあり、実際に住居として今でもそこで暮らす人々の姿もありますが、多くはすでに使われなくなった住居跡。というのも、1963年にサクロモンテが大洪水にみまわれたため。その被害は壊滅的で、住民たちはみな住居を追われることとなった歴史があるのです。
映画の中では、洪水前のサクロモンテを知る人々の言葉によって、サクロモンテの古き良き時代が表現豊かに語られます。サクロモンテでの彼らの暮らしは裕福という言葉とは無縁の貧しい生活であったことは明らかですが、それを語る彼らの表情には、貧しさよりもそこに流れていた時間や空気を懐かしむ気持ちのほうが色濃く、むしろ今よりも精神的に豊かで色鮮やかな日常があったことがわかります。
ロマたちの日常が生んだ芸術、フラメンコ人々の営みの中から自然と生まれたのがフラメンコ。ロマたちは彼らの日常や人生を唄にして語り、リズムにのせて踊り、自らがその楽しさに魅了されました。それと同時にフラメンコ自体がどんどん芸術として昇華し、現在のように世界的にその芸術価値が認められるものとなったのです。フラメンコの唄には恋愛や人生の悲哀はもちろんですが、食べ物の話がよく登場するのはいつもお腹が減っていたからなんだよ、なんていうエピソードも。
当時のロマたちの生活は今ほど現代化したものでなく、彼らの民族文化を知るのにもとても興味深い内容となっています。もちろん、語りの間に登場する彼らのフラメンコも見どころ。それぞれの個性が際立ち、フラメンコがスタジオや舞台の上で作られた芸術ではなく、ひとりひとりの人生そのものだということがよくわかります。
「昔は、結婚はロマ同士のほうがいいという考えもあったけれど、今はそんなことはどうでもいいこと。ロマでもパジョ(白人)でも、どこの国の人であろうと良い人も悪い人もいて、大切なのは国や民族ではなく人間として良い人間かどうか」映画の中で語られるそんな言葉が印象に残ります。特別な展開や目を引くトピックがあるわけではないのですが、見終わった後、生きていく勇気をもらえたような気分になるのが不思議です。明日の自分は今よりもほんの少しだけ優しく強いものになっている―。そんな未来を信じさせてくれる映画です。
2017年2月18日(土) 有楽町シネマ座、渋谷アップリンク 他、全国順次公開
監督:チュス・グティエレス