「東京を捨ててしまいました(笑)」

と、のっけから衝撃的な発言をするのは、野崎美穂さん。ファッションスタイリストという肩書きのイメージとは異なり、彼女のいでたちや表情は、むしろ飾りっ気がなく、さっぱりとしています。

「3つの拠点はあまりにたいへんで、家賃を捻出するために働く感じになっていて。で、どこを捨てようかと思った時、東京だなと。でも、なくなっても仕方ない状態だったんです」

そう。彼女はしばらく東京、静岡、長野にそれぞれ、3つのおうちがありました。なぜ、そのような生活を送ることになったのでしょう。いろいろと聞いてみたくなりました。

東京を「捨てた」理由とは?

「もともと、おもに女性ファッション誌で仕事をしていたんです。なので、ずっと東京で流行を追いかけたりしなくちゃいけなくて。パリコレに行ったりとか。それはそれで、すごく楽しかったんですけど......」

ここで、少し言い淀むような口ぶりに。

「うーん......昔から、ガーッと仕事モードに入ってるときは貪欲になって、これを誰にもとられたくないとか、より早く情報を得なきゃとか、見栄を張るのもまた仕事のうちだったんでんすけど。ただ、いったん気持ちが切れると、すごくつらくなってしまって。波があるんですね」

一方で、ファッションのページを作るまでの過程、ある意味で「物語をつくるのが好き」という野崎さん。

「打ち合わせをして、この洋服を使って、こんなふうに写真を撮って、という過程はすごく楽しい。だけど洋服そのものや、流行を追うのが好きかと言われると_......。楽しさの天秤にかけたとき、だんだんと気持ちがゆらいでくるんです」

あるタイミングで訪れた波乗りへの魅力

そんな野崎さんの気持ちをすくい上げてくれたのが、趣味のサーフィンでした。

「最初は、東京の友達といっしょに千葉や茨城の海に行ってたんですけど、モデルのSHIHOちゃんに『いいサーフィンの先生がいるから』と紹介されたのが、静岡の御前崎にいる女の先生だったんです。気分が落ちているときだったこともあって、行ってみると、すごく居心地がよくて。

サーフィンそのものも楽しいけれど、そのために準備をし、長い時間ドライブをすることもふくめて"楽しい"。高速を降りてからも、椰子の木のある通りを走ったりするのもまた、気分がいいんですよね」

東京でのシビアな生活からするりと脱けだす、つかの間の心地よいエスケープ。おのずと、心が求めるようにひんぱんに御前崎に通いつめ、やがて至った思いは「おうちが欲しい」。古い平家の一軒家を借りるまで、そう時間はかかりませんでした。

「よかったのは、いつでも行けるところですね。それまでは旅館を取らなきゃいけないですし、チェックイン、チェックアウトと煩わされず、夜中に着いて、起きたらサーフィンに行くとか。時間を気にすることなくなったのが大きい」

インテリアは好きなアメリカの古い家具を揃え、サマードレスを飾って「ちょっと海っぽい感じ」を演出。そんな家づくりも楽しみながらの御前崎暮らしは、野崎さんの心のトゲをみるみる溶かし、洗い流してくれたのです。

東京を離れる後押しになったのは......

さらなる決め手となったのは、サーフィンを通じて彼ができたこと。

「その彼が、ちょうど付き合いはじめの頃、長野県の白馬におうちを持つことになって。もともとスノーボーダーが本職で、夏の間だけ御前崎でサーフィン教えたりしてたんですけど、勤めていた白馬のお店ごと譲り受けることになったんです。それで私も成り行き上、冬は白馬に暮らしながらお手伝いすることになって。あんな雪の中に住むなんて、ほんと思ってもみなかったんですけどね」

思いがけず訪れた3拠点暮らし。その後まもなく訪れたのが、3.11の震災でした。

「その時はちょうど東京で撮影をしていたんですけど、新幹線も止まっちゃって。彼から電話で『早く帰っておいで』と言われ時に、もう東京の生活はどうでもいい、と思ってしまったんです」

帰る場所がある。待っている人がいる。

スタイリストという仕事ができなくなるかもしれないというリスクも覚悟の上で、キッパリ、東京のおうちを引き払うことに決めました。

「でもね。ひとつを捨てると、また入ってくるんです」

都心の生活から、ファッションの第一線から離れた野崎さんに待っていたのは、今までとはまった違う、新しい仕事。そして生き方でした。

後編に続く>>

野崎美穂さん(ファッションスタイリスト・GOOD DAY COFFEE店主)

大分県別府市出身。大学卒業後、スタイリストの道へ進む。1991年にスタイリストとして独立。現在は春から秋は御前崎、冬から春を白馬乗鞍にて過ごし、スタイリスト、コーヒー事業、スノーボードショップ運営の手伝いなどをこなしている。GOOD DAY COFFEEのFacebookはこちらInstagramはこちら

撮影/石阪大輔 取材・文/山村光春(BOOKLUCK) 協力:YAMATWO

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