こんにちわ。翻訳者兼エディターの松本恭です。引っ越しを重ねても、どうしても手放せない大切な本はありませんか。私にとって、ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハンの『仏の教え ビーイング・ピース(中公文庫)』がその一冊です。詩やエピソードに満ちたこの美しい本は、もう20年以上手もとにあります。 ティク・ナット・ハンの共同体、プラムビレッジ

ティク・ナット・ハンは、仏教の瞑想法から始まった「マインドフルネス」を欧米に紹介した僧侶です。1955年から1975年に渡るベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)を終わらせるために尽力したことで、アメリカで知られるようになりました。その活動のためベトナムに帰国することができなくなり、フランスに亡命。ボルドー地方でプラムビレッジという仏教共同体(サンガ)をひらきました。残念なことに2014年に脳溢血で倒れられ、現在は療養生活を送っていますが、僧院での儀式や実践の場などに頻繁に姿を見せているそうです。

ティク・ナット・ハンから教えを受けた西田佳奈子さんに、ティク・ナット・ハンの瞑想法や、プラムビレッジでの暮らしについて聞いてみました。毎年プラムビレッジに滞在している西田さんは、「ハート オブ 東京・鎌倉・横浜サンガ 」を主宰してマインドフルネスの実践の場をつくりつつ、書籍やインターネットを通じてティク・ナット・ハンの言葉を伝えています。

プラムビレッジにて。正面がティク・ナット・ハン。左下が西田さん。

山から降りて、人々のために尽くすことを決意

優れた著作を数多く発表しているティク・ナット・ハンですが、一方では行動する仏教者として、社会活動にも積極的に関わりました。ベトナム戦争の最中に、祖国で人々が苦しむようすを目にして、人里離れた僧院で修行を続けるべきなのかと自問したティク・ナット・ハンは、僧侶たちを連れ「山から降り」て、人々の救済のために尽くすことを決意します。民衆の救済活動と仏教修行とを同時に行う『行動する仏教(エンゲージド・ブディズム)』の始まりであり、後に実践仏教へも発展する活動は当時では革命的なことでした。

「危険を顧みず、爆撃や災害を受けた場所に行って食事や薬を届けたり、傷の手当をしたり。亡くなった人々の遺体を収容することもあったそうです。あるシスターはお母さんから、助けてほしいと死んでいく赤ちゃんを手渡されたこともあるとか。そのように極限的な状態で活動を続けるためには、スピリチュアルな実践が不可欠になります。食事することすら困難になるからです。

絶望的な状況に食事ものどを通らないティク・ナット・ハンでしたが、ある日、『この食事はどんな味ですか』と尋ねられ、食べ物に注意を向けたことをきっかけに自分を取り戻します。危機的状況だからこそ、一瞬一瞬を深く味わうというマインドフルネスが必要だったのです。今この瞬間に完全にいる実践なくしては、平静さを保つことができない状況だったそうです。後年にもティク・ナット・ハンは、祖国ベトナムの分断などを苦に鬱状態に陥った時、歩く瞑想で心を立て直したといいます」

私たちがマインドフルに呼吸し、ほほえみ、休み、歩み、働くとき、
私たち自身が社会のポジティブな要素になっていきます。
それが周囲の人々の自信を呼び覚ますのです。
これが絶望が私たちを圧倒することを防ぐ方法なのです。

─ ティク・ナット・ハン (訳:西田佳奈子)

アメリカでマインドフルネスを広める

キング牧師とティク・ナット・ハン

やがてティク・ナット・ハンはアメリカに渡り、マーティン・ルーサー・キング牧師などとともに反戦運動を続けます。その活動を通して、戦争の根は一人ひとりの心にあると見抜き、マインドフルネスを広める活動を行います

「当時のベトナムでは焼身自殺が相次いでいましたが、アメリカ人にはその理由が理解できませんでした。仏教圏では、それが弾圧に対する宗教的な意味を含む抗議であると理解できます。しかしアメリカ人の目には、ただ『クレイジー』だと映ったのです。ティク・ナット・ハンは、戦争を終わらせるためには、ベトナムはアメリカの事情を、アメリカはベトナムの事情を理解する必要があると考えました。しかし、そのような活動はベトナム政府から反逆とみなされ、彼はフランスに亡命を余儀なくされました」

伝統的な仏教の瞑想法をアメリカに紹介するにあたって、ティク・ナット・ハンはアジアではなじみのないハグ(抱擁)を取り入れたハグの瞑想など、教えを柔軟に変化させました。信仰にかかわらず、誰でも実践できる心のトレーニングとしてのマインドフルネスは、文化の違いを越えていかに相手を理解するかということに取り組む必要性から生まれたのだと思います。

あらゆる瞬間がマインドフルな、プラムビレッジの暮らし

ティク・ナット・ハンの重要な教えに「インタービーイング」という考え方があります。あらゆるものは、互いに影響を与え合い存在しているという仏教の考え方に基づくもので、「相互存在」、「相即」などと訳されます。プラムビレッジと、ティク・ナット・ハンについて知るほど、「果てしない優しさ」が伝わってくるのですが、その理由のひとつとして、「インタービーイング」を徹底する姿勢があるように思います。

「プラムビレッジはマインドフルネスを実践するコミュニティーではありますが、座って目を閉じて瞑想している時間は、実はあまり多くはありません。ではシスターたちが何をやっているかといえば、その人自身をも含め、目の前にいる人に全力の存在を捧げることに懸命に取り組んでいるのだと思います。自分のためにこれほど真剣になってくれる人がいるというだけで、人はすごく癒やされます」

プラムビレッジでの朝は早く、5時頃に起床して、讃美歌のような節がついたお経を唱えたり、座る瞑想や歩く瞑想を行い、法話を聞いたり、シェアリングなどの時間もあります。朝食後は、滞在者も農作業やジャム作りなど、共同体を維持するためのさまざまな作業にたずさわるそうです。大切なことは、それらのあらゆる活動を瞑想として行うということ。また、休むことや遊ぶこと、友情を育んだり、自然に触れて充分楽しむことも日々大切な実践です。さらにプラムビレッジでは、ノーブルサイレンス(聖なる静寂)という、夜9時ごろから次の日の朝食後、食器を洗うときまで沈黙を守るルールがあります。

プラムビレッジの子供のためのくつろぎの瞑想のようす

「通常、朝は電車の時間を気にしたり、日々の雑事が気になって目覚めてしまいがちですが、プラムビレッジでは朝起きたら微笑んで、新しい24時間を自分のために始めることができます。心の平和を互いに大切にする仲間の中で目覚め、また朝一番に誰かに話しかけられて、それに応えることに頭を使わなくてもいいということが、これほど安心できるということを初めて知りました。沈黙の中にいるので、鳥の声など微細な美しさや静けさに非常に開かれています。そのように一日を始めることで、マインドフルな感覚が研ぎ澄まされ、身に着けていくことができます

怒りは変容させることができる

ごく身近にある感情ですが、誰でも巻き込まれてしまいがちな「怒り」という感情には、どう対処すべきなのでしょう。ティク・ナット・ハンは「じゃがいもを茹でる」という独特のたとえを用いて説明します。

怒りの根には、内面の寂しさや悲しさがあります。彼は、怒りとは、まるで赤ちゃんが泣いているようなものだといいます。私たちは、泣き叫ぶ赤ちゃんを投げ捨てるのでもなく、否定するのでもなく、ねじ伏せるのでもなく、優しく抱き締めなくてはならないと。

怒りは一瞬では収まりません。じゃがいもを鍋の水に入れて15分間茹でるといい香りが漂ってくるように、ある程度の時間をかけてマインドフルな感覚に集中し、自分自身を理解することで、怒りをよいエネルギーに変容させることができると教えられました。怒りというつかみどころのないと思っていたものについて、そこまでロジカルな説明をされた経験は初めてでしたが、ベトナム戦争を通して、あらゆる怒りを経験してきた人が確信をもって、"じゃがいも"というあまりにも身近な食材に例えて説明しつくす様子は、意外でいてこの上ない説得力がありました」(参照リンク「怒りを料理する」)


悲しみや絶望、怒りを感じている時には、今していることをやめて、
自分自身へと戻り、いたわってあげてください。
どこかに座るか、横たわって意識的な呼吸を始めましょう。
日々、呼吸に気づく実践をすることはとても役に立ちます。
激情の波は、ちょうど嵐のようなものです。嵐を乗り切るには備えが要ります。
考え事をして、頭の高さに意識を置いていてはいけません。
意識はすべて腹部の高さへと集中させてください。
呼吸に意識を向け、お腹がふくらみ、へこんでいくことに気づきます。
息が入り、ふくらんでいく。息が出ていき、へこんでいく。
考え事は一切やめます。強い感情をさらに増幅させてしまうからです。

─ ティク・ナット・ハン(訳:西田佳奈子)

瞑想とは、あるがままの幸せにつながる感覚

さらに西田さんはこう語ります。「瞑想によってダイレクトに幸せに結びつくことができます。たとえば高価ですてきなジュエリーやハイブランドのバッグや資格など、次々と手に入れたいものがあった頃の気持ちを突き詰めると、それによって得られる充足感や幸福感、美しさ、安心感を求めていたように思います。瞑想を通じて、あるがままでその状態にアクセスすることができます。そして、そうした欲求の多くは実はそれ程必要なく、すでにあり余るほど幸せの条件に恵まれているのだと知ると、身近な美しさに目が開かれ、安堵感や自由を感じるとともに、『自分が本来何をしたいのか』ということに気づかされます。それこそが、私にとっては本質的な欲求でした」

"本当のふるさと"とは、あなた自身の外に見つかるものではありません。
それはあなたのすぐ、心の中にあります。

─ ティク・ナット・ハン (訳:西田佳奈子)

<ティク・ナット・ハン>

マインドフルネスを世界に広めた精神性指導者・禅師・平和活動家・詩人で、著書が多数。毎年4~5月に僧侶団が来日している。2018年には映画『Walk With Me』が日本でリリース予定。フランス・プラムヴィレッジでは日本語通訳もあり。問い合わせメールはこちら

<西田佳奈子>

翻訳者・マインドフルネス実践グループ主宰。共訳書に『愛する』。

・参考文献

『サンガ19号 ティク・ナット・ハンとマインドフルネス』(サンガ出版)
仏の教え ビーイング・ピース』(中公文庫)
愛する』(河出書房新社)

写真提供:プラムビレッジ、西田佳奈子

RSS情報:https://www.mylohas.net/2017/12/066630meisou.html