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夫が生理休暇をとる平安時代。月経小屋に隔離。世界中で生理が嫌われた理由
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夫が生理休暇をとる平安時代。月経小屋に隔離。世界中で生理が嫌われた理由

2019-10-07 20:00
    世界一の生理用品先進国」ともいわれる日本。しかし今日のような使い捨てナプキンが登場する以前には、生理がタブー視されてきた長い歴史があります。歴史社会学者の田中ひかるさんに、知られざる生理の歴史についてお話をうかがいました。

    生理がタブー視されたのはなぜ?

    田中ひかるさん :

    そもそも「タブー」という言葉の語源は、ポリネシア語で月経を意味する「タブ(tabu または tapu)」なんですよ。

    歴史社会学者の田中ひかるさんは、仏教、ユダヤ教、イスラム教などの主要な宗教に月経を禁忌(タブー)とする認識がみられると話します。

    田中ひかるさん :

    医学が発達していなかった時代、出血は死を連想させました。人々は経験的に血液が病気を媒介することも知っていたので、経血への恐れがあったのでしょう。

    昔の女性は多産で月経の回数が少なく、経血を見る機会が少なかったことも恐怖心をあおり、“恐れ”から“穢れ”の意識が形成されていったようです。

    母が子を抱かない「お宮参り」。世界各地にあった月経禁忌

    “血の穢れ”を理由に、月経中の女性、さらに月経のある体を持つ女性そのものをタブーと見なす慣習は、今もなくなってはいません。

    民俗学者の大森元吉氏は、1972年に世界各地の月経禁忌について報告を行っていますが、コスタリカでは月経中の女性は極めて危険な存在とされ、「月経中の女性と同じ食器を使った人は確実に死ぬ」と信じられていたそう。

    田中ひかるさん :

    アメリカのフェミニストが1970年代に行った報告によると、イタリア、スペイン、ドイツ、オランダの農家では、月経中の女性が花や果物に触れると萎びると言い伝えられていたそうです。月経中の女性がそばにいるとマヨネーズが上手に作れない、ベーコンがうまく仕上がらない、砂糖が白くならない、といった伝承も各地にありました。

    食品加工といえば、日本でも長らく女性は酒造りの現場から遠ざけられていましたよね。

    あまり意識されていませんが、お宮参りで父方の祖母が孫を抱く、という慣習も経血に対する禁忌のひとつ。出血を伴う出産は“血の穢れ”とされ、神様に近づけないと考えられていたことが由来です。

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    妻の月経中、夫が「生理休暇」をとっていた平安時代

    月経についての最も古い記述は、日本では『古事記』(712年)に登場します。しかしこのときは、倭建命(ヤマトタケルノミコト)が月経中の姫と「婚合(性交)」していて、後世のようにタブー視されていなかったことがわかるとのこと。

    田中ひかるさん :

    “血の穢れ”が制度化されたのは平安時代です。中国に倣ってつくられた『貞観式』(871年)や『延喜式』(927年)で、妻の月経中(血穢)・出産後(産穢)は夫も穢れているため、宮中に参内してはいけないと規定されました。

    この定めが正式に廃止されたのは明治5年(1872年)。大蔵省を訪ねたお雇い外国人が、妻の「産穢」を理由に欠勤している担当役人にあきれ、クレームを出したことがきっかけといわれているそうです。

    1970年代まで日本各地にあった「月経小屋」での隔離

    じつに1000年の長きにわたり、月経が公的にタブー視され続けた日本。制度化された“血の穢れ”は徐々に一般社会にも浸透しました。

    田中ひかるさん :

    一般社会への影響力が強かったのは、室町時代に入ってきた『血盆経』という偽経です。女性は経血で地神や水神を穢すため、死後は血の池地獄に堕ちる。『血盆経』を信仰すれば女性でも救われると、仏教各宗派で積極的に教えが広められました。

    「血盆経」が普及した地域に多く確認されているのが、「月経小屋」の慣習です。生理中の女性が小屋にこもることで他の人に穢れを移さないというもので、今もネパールなどに同様の慣習が残っています。

    田中ひかるさん :

    月経小屋は“不浄小屋”、“よごれや”などさまざまな名称で呼ばれていて、1970年代まで残っていた地域もあります。

    月経小屋があることで体を休められたという意見もありますが、「みじめな思いをした」という体験談も多く、女性の自己卑下につながってきた面は見過ごせません。

    日本で生理用品の開発が遅れたワケ

    月経をタブー視する地域では、生理用品に対するタブー視も強いと田中さん。日本で生理用品の開発が遅かったのも、月経へのタブー視が強かったからと語ります。

    田中ひかるさん :

    女性にとって、生理用品は手作りするもの。粗末なハギレや紙を膣に詰めたり、当てたりして、その上から手作りのフンドシのような布(丁字帯)で押さえるという方法が、平安時代から近代までとられていました。

    明治時代になると、布や紙に替わるものとして脱脂綿が登場。丁字帯をゴムや布で作った既製品も出回り、月経帯と呼ばれるようになります。

    田中ひかるさん :

    明治末期にはアメリカ製の月経帯「ビクトリヤ」が輸入販売され、婦人雑誌に広告が載るようになりました。

    1930年代には国産の「ズロース型」が広まり、これが戦後のいわゆる「黒いゴム引きパンツ(股の部分にゴムをコーティングしたショーツ)」の原型になっていきます。しかしこれは、とても使用感が悪くて、女性達の悩みの種だったようです。

    歴史社会学者の田中ひかるさんに聞く生理の社会史。後編では日本女性の生活を大きく変えた、ある生理用品の誕生秘話を追っていきます。

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    田中ひかるさん
    1970年東京生まれ。歴史社会学者。著書に『月経と犯罪 女性犯罪論の真偽を問う』(批評社)、『「オバサン」はなぜ嫌われるか』(集英社新書)、『「毒婦」 和歌山カレー事件20年目の真実』(ビジネス社)、『生理用品の社会史』(角川ソフィア文庫)などがある。 公式サイト

    取材・文/田邉愛理、企画・構成/寺田佳織(マイロハス編集部)、image via shutterstock

    RSSブログ情報:https://www.mylohas.net/2019/10/199708sp_womens_diseases_history01.html
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