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物心ついたころから言われてきた「やさしくしなさい」という言葉。大人になった今、やさしい人になれているのだろうかと、ふと心配になることがあります。
やさしいというのは、きっと思いやりを持つということ。相手の身になって考える、その人の心に寄り添ってみる、ただ笑顔で接することや気づかいの言葉をかけることなども、やさしさだと思います。でもそれがときに自分勝手なやさしさの押しつけになる場合もあります。
じつはとても難しい「やさしさ」ですが、誰にでもできて、押しつけにならない簡単な表現方法がありました。それは、ただ相手が言いたいことを聴いてあげるということです。
気がきく人は、「聴く」料亭で日本古来の和の気づかいを、三越で商人の気づかいを、ディズニーで洋の気づかいを学んできた上田比呂志氏の著書『「気がきく人」の習慣』にこのようなことが書かれていました。
気がきく人は、
とにかく「聴く」
気がきかない人は、
とにかく「話す」
(『「気がきく人」の習慣』78ページより引用)
気がきく人というのは、やさしい印象があります。
たしかに相手の身になって考えるときも、まず相手の気持ちを聴いてあげなければ独りよがりになってしまいます。また笑顔で接するときも、相手の状況によっては「笑われた」ととらえられることも。さらに気づかいの言葉をかけたつもりが、「そんなことを言われたいんじゃない」と反論されることだってあります。
まごころは、やさしさ著者がお勤めしていた三越では「まごころの精神」というものがあるそうです。そこで経験したことをふまえ、このようにまとめられました。
語りかけるだけが気づかいではない。相手の言葉に耳をかたむけることそのものが、気づかいであり、おもてなしになる。
(『「気がきく人」の習慣』83ページより引用)
この精神こそが、あいまいだった「やさしさ」を知るうえでもっとも大切なことなのかもしれません。
two adorable girls via Shutterstock
RSSブログ情報:http://www.mylohas.net/2014/08/040233listening.html