今年から姪っ子が高校生になったの。
実家に帰るたびに「ひさこーーーー!」って飛んできていたかわいこちゃんは、最近めっきり女性らしい表情に。
休みの日にはメイクして出かけるし、すっかり女のコじゃなくなってる。
思えば小学生のころから「ひさこ、マツエクの長さ変えたでしょう?」「そのネイルはどういう風に頼むとその色になるの?」なんておしゃれ感度はだいぶ高めだった。
同じ学校の彼に毎日家の前まで送らせているらしい。なんとも頼もしい!
デジタルネイティヴも私たちも、あまり変わらないのかもしれない姪っ子は小学生のころから友だちとの会話はTwitter、友だちだけじゃなく学校行事のやりとりはすべてLINEグループ。LINEのタイムラインを分刻みでチェックしてた。
生まれてすぐからiPadがお友だちの、いまの子どもたちはもちろんだけど、彼女も立派なデジタルネイティヴ世代。
きっと私たちと違ってアナログカメラなんてほぼ触れたことないだろうし、小学生のころからプリクラで顔の加工をすることに慣れているから、デジタルな加工にもまったく違和感がないんじゃないかな。
そもそも私たちが目にしていた広告や雑誌の表紙のほとんどがシワやシミ、クマやにきび跡なんかのリタッチをしてる。
私も雑誌に掲載された自分が、実物よりもややスリムに修正されていたこともあったよ。
実際に顔を整形しちゃう人もどんどん増えているのが本当のところ。
見えているところだけじゃなく、性格や想いを偽り続けていることだってありえる。見えている部分と本質との間に差があることが普通になってる。
だから、デジタルネイティヴ世代も私たちも、あまり変わらないのかもしれない。
デジタルネイティヴ世代はいずれにしてもたくましいっていうのが、私の思うところ私たちより上の世代は、自分の職業がなくなるかもしれないだなんて想像もしていなかったと思う。
いま、デジタルネイティヴ世代は、自分のなりたい職業がこの先ずっとあるのかどうかを見極めなきゃならない。
AIに取って代わられてしまう職業はどんどん増えるとあちこちで言われてる。
常識がどんどん変わっていく時代だからこそ、人間らしいことやサービス、気持ちを改めて考えなくちゃいけなくなると思うんだ。
頭を使わないと、クリエイティヴでないと、生き残れない時代。マンモスを追いかけていた時代...人類として初心に戻る感じ? それって大変なことだよね。
デジタルネイティヴ世代はいずれにしてもたくましいっていうのが私の思うところ。
まわりの評判の良し悪しに流されていないか、それにかまけていないか価値を理解する、価値を作るということについてよく考える。
まわりの評判の良し悪しに流されていないか、それにかまけてちゃんと感じたり観察したりしていないんじゃないかって。
先日の奈良に続いて念願だった美山荘を訪れたことで、また一層考えた。
美山荘とは京都の奥山、花背の里にある「摘み草料理」で有名な料理旅館。もともと世俗を離れた修験道の宿坊を、一般人も泊まれるように上質にしたお宿。
京都駅から車で2時間弱もかかる山奥に位置しているの。
「摘み草料理」というのは摘み取った季節の草花や旬の野菜を中心とした、その地の食材をふんだんに取り入れて、ていねいに作られた美しい料理。
こだわりを持って集められた、代々大切に使われている器とともに提供されて、派手さはないけれど心に染み入るおいしいお食事だった。
豊かな自然のなかで、四季折々の自然と数寄屋づくり建築に身を包まれながら、俗世を忘れるかのような特別な時間を堪能してきた。
とはいえ、マッサージのサービスがあるわけでも、温泉が出るわけでもない。決められた時間に一度しか入浴はできない。お手洗いが付いていないお部屋もある。
利便性の向上や提供こそ価値があるとされているいまの世のなかで、ここで過ごす時間の価値や意味を感じた貴重な時間になった。
そもそもそんなに過剰な「便利」っている? 「便利」とホスピタリティって同じ尺じゃないよね。
急行と普通電車の到着時間がじつは10分しか違わなかった、なんてことみたいに「便利」になったからってそんなには変わってないと思うんだ。「便利」にすることを選んだことで失ってしまったもののほうが何倍も多いんじゃないかな。
最近は、少しの時間だけれど朝に瞑想をしてる。
トレーニングもそうだけど、自分の内に内にと目を向けることで、自分マーケティングにもなるしエネルギーが湧いてくるような気がするんだ。
久美ちゃん、トレーニングでなにか変化や効果はあった?
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