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「思春期になると、誰もが異性への関心が高まるようになります」、保健体育の教科書にはしれっとそう書いてありました。
先生がその部分を読んだとき、何がおかしいのか、教室のくすくすと笑ってそわそわし始めたクラスメートたち。
私はその一文に対して、それほど違和感はなかったものの、日本のスタンダードとの隔たりを感じた象徴的な出来事でした。
日本では、年頃になると男女が恋しあい、結婚して子どもを作るのが「普通」なのです。
誰もが当たり前だと思って疑いもしないでいたそのルールを、私も小さいころからすりこまれ、いつの間にか染まり切っていたのでしょう。
教科書には、「ありのままの自分を認めることが大切」ともあったのですが、今思えば私はまったく自分自身を認めることができず、ウソの人生を歩んできたのです。
小学校のころ、女子のグループの間でこんなことがありました。
クラスの男子のうち、誰が好きか教え合う、というものでした。
特に好きな子はいなかったのですが、その時は皆に合わせないといけないと思っていたため、かっこいいと評判だったクラスメートの名前を言ってごまかしました。
皆にウソを言ったこと以上に、なぜだか自分で自分を欺いたことが無性に悲しく、家に帰ってからしばらく布団にこもっていたことは、今でも鮮明に覚えています。
付き合うって友達とはどう違うの? 周囲との温度差をひたすら深めた思春期の体験
小学校の高学年では気恥ずかしさもあって、何となく男女で別れてあまり関わらなかったのが、中学になると、いつの間にか男女のカップルができてきました。
私の通っていた中学では、特に後輩の女子と先輩の男子で付き合うことがステータスのようになっていました。
特に性別にこだわりはなかったものの、幼いころから何となく男の子といる方が楽だった私は、異性の友人と気軽におしゃべりしても冷やかされることがなくなって喜んでいました。
ところが、男子ともフランクに付き合う私の姿勢が、思わぬ誤解を招いてしまったのです。
ある日、家に帰ると母がうれしそうに、「あんたも彼氏できたんだって? 言ってくれればいいのに」と言うのです。
3つ上の姉に比べると私は奥手だったので、母にすればやっと娘が恋愛に興味を持つようになって安堵していたのでしょう。
しかし、私には身に覚えがないことで、彼氏なんていないと否定したのですが、母は私が恥ずかしがってはぐらかしていると思ったようです。
どうやら、クラスの親御さんが私と友人が並んで下校する様子を見て、カップルだと勘違いしたまま母に報告したらしいのです。
クラスの友達も何人か、私と彼との関係について聞きたがりました。
私はただの友達だと否定したのですが、まったく取り合ってもらえませんでした。
「どうして? 付き合ってるんでしょう? クラス公認カップルなんてたくさんいるんだから、隠す必要ないじゃん」
なぜだか、男子と女子が2人で行動していると、カップルだということになるようです。
男友達3人で歩いていたときは、後からどっちが好きなのかと別の人に聞かれました。
性別が違うと、友情というものはないのでしょうか?
恋愛感情はないし、本当にただの友達だと言っても、「そのうち好きになるよ」「本当は告白しようと思ってるんでしょう?」と聞き入れてもらえませんでした。
高校は進学校で、恋愛なんてしている場合じゃないと先生たちは言っていたものの、生徒には関係のないことでした。
私は一部の男子の下ネタが苦手ではあったものの、それまでと変わらず男子と行動することが多めでした。
そんな友人たちとの決定的な考えの違いを、嫌でも意識するきっかけとなる出来事が起こったのです。
いつも一緒にいることが多い男友達が、あるとき食堂で姿勢を正して言った言葉が私を混乱させました。
「俺たち、そろそろ付き合わない?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった私に、彼が次の一手を繰り出します。
「いや、他の女子と違ってお前といると落ち着くし、ってゆーか、もう付き合ってる感じじゃない?」
私はカレーのスプーンを口に運んだまま呆然としてしまいました。
彼の言っていることが、何ひとつ分かりませんでした。
クラスには何人か、恋に恋しているような人たちもいるけれど、その仲間入りをしたいのか。何が「そろそろ」なんだろう。
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど、付き合うって何?」
素朴な疑問をぶつけてみたところ、彼は言い淀んでしまいました。
「一緒に帰ったり、図書館寄ったり、何が違うの? 別に何も変わらないよね?」
同級生の誰が誰とキスしたとか、それ以上のことまでしたとか、いろいろなウワサがあったものの、自分が目の前の彼と同じようなことをできるとは思えなかったのです。
そのうち、自分も誰かを好きになるだろうと思いつつ、どこか違うような気もしていました。
率直な疑問符を浮かべた私を見て、友達は今ひとつ合点がいかないよう顔をしながらも、引き下がりました。
どうして告白されたのか分からなくてモヤモヤした気持ちもありましたし、友達だと思っていたのに裏切られたようにも感じていました。
私とは気まずくなってしまったのか、それから彼とは何となく疎遠になってしまいました。
誰が話したのか、彼とのことはいつの間にかクラスの女子に知られていたらしく、ある日、2、3人のクラスメートが、興味津々といった様子で話しかけてきました。
「どうして振っちゃったの?」と、普段はあまり関わらないのにずけずけと聞いてくる態度に私は軽くイライラました。
「友達だからだよ」と答えても、「もったいない!」と、唖然とされました。
何がもったいないのか聞いてみると、「好きじゃなくてもとりあえず付き合ってみればいいのに」、とのことでした。
付き合ってもお互い不幸になることは目に見えているし、彼らは友達だからと説明しても、「モテ自慢なの?」と取り合ってもらえません。
どうしてこうも話が通じないのか、まじめに応じたことを後悔しました。
告白の一件だけでなく、昔からすこし変わっていた私は、周囲の人から心無い言葉をかけられることも少なくありませんでした。
「男の子が嫌いなの? その割には一緒にいるよね」
「恋しないなんて人生損してる」
「もしかして女の子が好きなの?」
「なんか冷たいよね。心がないみたい」
きっと彼らにすれば、私を傷つける意図はなく、ただ本当に率直なことを言ってのけただけなのでしょう。
しかし、どうして、こうも他人のことに首を突っ込むのが好きなのでしょうか。
思春期になると恋愛するのが普通だとは思っていたものの、しないからといって損をするって……人生はそんなに薄っぺらいものなんでしょうか。
しかも、男の人を好きにならないからといって、どうして女の人が好きだということになるのでしょう。
もしも心がなければ、私はこんなに傷ついたりしないはずなのに……。
口に出して言い返すことはなかったものの、私は頭のなかでさまざまなことを考えました。
暗い考えを180度変えたキャンパスでの出会い
努力の甲斐あって、県外の志望校に入学できましたが、華々しいキャンパスデビューとはいきません。
もう傷つきたくないという気持ちから、ひとりでいた方がマシだと思い、同じ学科の人とも最低限のコミュニケーションしか取りませんでした。
すべての男性が恋愛感情を向けてくるわけではないはずなのに、男女の友情は成立しないと自分のなかで思い込んでいたのです。
ところが、そんな私の思い込みを覆すような出会いが、1年生の後期に待っていました。