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私は幼少期、とても明るく、よく笑う、活発な女の子でした。
さらに、学級委員に選出されたり、生徒会長になるなど、模範的な小学生。
間違ったことが大嫌いで、友だちのケンカの仲裁に入ったり、友だちがなにか悪いことをするのを目にすると、率先して注意したりするなど、真面目な性格で曲がったことが嫌いでした。
そこから、まさか、自分が偽りの人生を送ることになろうとは……、このときの私は、まったく想像もしていませんでした。
中学校に入学。周りの大人びた女子に圧倒される
楽しかった小学校の6年間はあっという間に終わり、中学校へ入学しました。
私が通っていた中学校は、周囲の小学校3校から多くの人たちが加わり、クラスも6クラスあるいわゆる「マンモス校」でした。
クラスの3分の2は、知らない顔ぶればかり。人見知りの私には、なかなか友だちができませんでした。
他校出身の女の子たちは、私たちの小学校の女子たちよりも、はるか容姿が大人びていて、圧倒されるばかりでした。
指定された制服で通学していたのですが、他校出身の女の子たちは、スカートをひざよりも短くして、当時、原宿の女子高生を中心に流行していたルーズソックスまで履いていました。
メイクもばっちりしていて、いつも唇はほんのりピンク色。つい見とれてしまうことも多々ありました。
メイクなんて一度もしたことのなかったオシャレに疎い私にとって、何もかもが衝撃的でした。
陸上部に入部し、だんだん学校生活が楽しくなるものの……
そんな私が中学生になって、何よりも楽しみにしていたことは、部活動でした。
昔から走ることが得意だったので、陸上部に入部することにしました。
この部活動を通して、違うクラスの人や先輩と知り合うようになり、少しずつではありますが、友達もできて、中学生活が楽しくなってきました。
そんななか、1か月ほど経ったころのこと。
いつものように部活動の準備のために、授業が終わると急いでジャージに着替えて、運動場の砂をならしました。
これは、一番後輩の役割で、先輩が来るまでに、運動場全体をならしておかなければなりませんでした。
陸上部は、同学年で男女合わせて約20人、先輩も合わせると約50人と、ほかの部活動と比べてもわりと人数の多い部活でした。
そのため、1か月も経つと、部活のなかにいくつかのグループができていました。
男子は、全体的に仲が良かったのですが、女子同士は、表面上は仲良くしていたものの、裏ではお互いの悪口を言い合ったり、無視したりするなど、陰湿ないじめがありました。
私は、小学校のときから正義感が強かったせいか、どっち付かずの状態で、あまり関わらないようしていました。
そんな状況のなか、運動場の砂をならしていると、同学年のひとりの女の子が
「私、今日やりたくない」
と言い出しました。
私は、そんなわがままはおかしいのではないかと憤りを感じ、その子に
「みんなやっているから一緒にやろう」
と言いました。
すると、そのひと言が、癇に障ったのでしょうか、彼女は私のことをにらみつけながら
「うるさい、ブス」
と言い放ちました。