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すべては無である。
存在とは幻だ。
だが、そう思う私は確かにここにいる。
これは矛盾であろうか?
違う。
私は存在でも無でもないのだ。
私は場所である。
すべてがそこに立ち現れる場所なのだ。
世界は私という場所に言葉によって共同主観的に立ち現れる。
人間の根源には他者との共同性が刻印されている。
人間は他者とのやり取りの中で言葉によってすべてを分節化し、世界を認識として形づくる。
五感すらもこの過程で他者と共通した感覚をそなえるようになる。
一方で人間は言葉や理屈では収まらないものをも宿している。
それは身体性であり、性や死への欲動だ。
それらを人間はどうやってコントロールするか?
人間はそういった無意識下の生命力とは別に自己を客観的に眺める意識を形成する。
その意識によって無意識を統御しようと人間は試みる。
だがそれは完全にはうまくいかない。
よって人間は理屈や常識を超越しようとする力を常に持て余す。
それが作品を通
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