-
思想メモ7
2018-06-29 18:08差別とは意識されなかったことが差別だと意識されるようになるのは、コスモロジーの貧困化せいだ、コミューナルなものの空洞化せいだ
それまで鬱屈しないで良かったものに鬱屈するようになった背景に、「フラットな社会における感情の劣化」
「男がいて、女がいる」んじゃなく「私は男でも女でもある」。同じく「私はLでもGでもBでもTでもある」
「恋愛稼働率」つまり恋愛パートナーがいる割合は、どの世代でも女は男の2倍、男は女の2分の1
今日の童貞とは、セクシズムを前提にした性的未経験者の男
正しさという感覚のルーツは「仲間のための自己犠牲を肯んじる構え」。「小さな仲間集団を犠牲にして大きな仲間集団に貢献する構え」
正しさとは「仲間への愛のために法を破る=正しさのために法を破る」
「正しさ」は、交換ならぬ贈与、バランスならぬ過剰
ヒトは、感情の働きを使って絆を作ることで集団的生存確率を上げ、そのことで個体的生存 -
思想メモ6
2018-06-27 20:22左派が今やいかなる意味でも「ユートピア」を語れなくなっている
そのつどユートピアを携えてこそ、哲学は政治的なものに生成し、おのれの時代に対する批判をこのうえなく激しく遂行する
ユートピアは《歴史》と対立する時でさえも、その歴史になお準拠しており、そのなかに理想あるいは動機として書き込まれている
資本主義終焉論と相互補完的に、資本主義は永遠であるという言説が強力に主張されている
市民主義的、社会民主主義的な力ない改良主義
アナキズム的侵犯行為(一過的な暴動? 万引き?)
近代以前的な「伝統」への回帰(アソシエーショニズム? 家族制度?)
国民皆兵とともに、憲法の天皇条項も廃棄するのが、ブルジョワ革命の要諦
人間の終わりには、三つの要素が絡み合っている
(1)歴史的政治的「人間」――歴史の終わり。
(2)経済的合理的プレーヤーとしての「人間」――疎外の終わり。
(3)身体としての「人間」――科 -
思想メモ5
2018-06-15 18:57自分自身の人生の「全体」を「悔恨」なく――取り換えのきくものとしてではなく――生きようとすれば、
その外側に立って、それを分析的に眺める「知性」より以上に、その内側に立って、その流れを、つまり過去の全体を受け止めてみせる「直感」が必要
「今、ここ」を生きる「この私」のなかに一つのメロディとリズムを聴くことができるようになるのなら、その必然感によって、他者との比較(空間的対比)を克服することができる
「共通感覚」とは、「意味」の起源にある「自己配慮」を括弧に入れる力
一つの〈意味=自己配慮=エゴイズム〉を超えて、自らの言葉を多様な文脈(他者)に開いていく力
より深く「過去からの声」を聴くことのできる者が、より深く他者に「惚れる」(直感できる)ことができる
「過去」を自覚すればするほど、他者に対して、より深く〈循環的―運動的〉になっていく
「惚れ」と「解釈」とが「一つの事であって二つの事で
1 / 1