今回オリンピックを見ていて途中から気になったことがあります。

 それは選手たちの見せる涙がコンテンツとして洗練されているということです。

 メモとか取ってないので記憶で書きますが、たとえば銅メダルを取った時の福原愛選手とか、レスリング決勝で負けた吉田沙保里選手とか号泣した選手までいます。吉田沙保里選手とか、霊長類最強女子と言われているのに号泣するわけで、強いから泣かないという図式はそこにはありません。

 余談ですけど、福原愛選手が個人で負けて銅メダルが取れなかった北朝鮮の相手が、勝った後ものすごい号泣してたのが印象的でした。どんだけ重圧かかってんねん。

 一方、オリンピックを放送するスタッフが女性だけということも良くありました。記憶ですけど、アナウンサー・解説者・ゲスト3人全員女性という放送も珍しくなかったはずです。

 で、選手が泣いた後にスタジオに場面が移るとゲストとかがもらい泣きしたりしているわけです。

 女性の選手が泣き、スタジオの女性スタッフがもらい泣きし、全国の女性ももらい泣きする、そんなやりとりが成立しているのです。

 これって男をよそに、かなり重要なコンテンツになっているのではないでしょうか。非言語領域なのであんまりマスコミで取り上げられないし、というかマスコミの発言は男が多いので、そういう話にならないし、でも、この選手はここがよかったとか、ここが悪かったとかそんな分析なんて実はささいな話で、そんなことより、すさまじいストーリーの末、銅を取って号泣する愛ちゃんに、全国の女性たちがよかったねよかったねと一緒に泣いたことの方がはるかに大きな現象なのです。

 そういう意味で、女性だけのスタッフで放送しているというのは、女性には嬉しいはずで、もしそこに男性がいれば、どうでもいい分析とかごちゃごちゃ入るわけです。でも女性だけなら、もうもらい泣きしちゃってるゲストがいて、よかったねよかったねっていう解説者がいて、それを見ている女性たちは気兼ねなくそれに共感できるわけです。

 今回のオリンピック、すごく楽しかった女性多かったんじゃないかと思います。無粋な男性に邪魔されずにオリンピックを楽しめた瞬間があったのではないかと。

 まだまだ男性中心の世の中ではありますが、女性が女性たちだけで楽しんでいる世界というのはどんどん増えていて、女子会なんて言葉も発明されましたし、それがテレビのそれもオリンピックという男性の目にさらされているようなところにまで広がっているのです。

 多様な社会が板についてきたのではないでしょうか。


《ワンポイントミライ》(

ミライ: 男性の見えないところではいくらでも女性の世界ありますけどね。

フツクロウ: それがおおっぴらに、違和感なく出てきているところが変わってきているということかの。