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【政局メルマガ
(68)+安倍元首相暗殺の真相(9)

「奈良事変ー知事選勝利を捨ててまで『別の事』を優先させる自民党の深い闇」


 今、奈良の知事選で大変な事が起きています。

 一旦不出馬・引退を表明していた現職の荒井正吾奈良県知事が、なぜか突然再出馬を宣言して、大混乱に陥っているのです。

 荒井正吾知事は安倍元首相暗殺以降ほとんど発信をしなくなっていました。そして高齢や自民党の多選抑止方針から、昨年秋の段階では不出馬の方向と見られていました。そして、昨年12月党幹部(≒二階俊博元幹事長)に対して不出馬の意向を伝えたと言われています。

 荒井知事の不出馬の意向を受けて総務省出身の平木省(ひらき・しょう)氏が自ら名乗りを挙げます。




 これを受けて高市早苗経済安全保障担当大臣は、自民党奈良県連会長として県連幹部会を開いて、満場一致で平木氏を正式な自民党候補とする方針を決めました。

 ここで重要なのは、「全ての自民党の奈良県選出国会議員が」「満場一致で」平木氏を公認候補とすべしと議決した、という事です。これについては後段で詳述します。


 平木さんは、奈良県知事候補としてはほぼ完璧な経歴の持ち主です。平木さんのプロフィールは以下の通り。


1974年5月生まれ

奈良県香芝市出身

東大寺学園中・高(奈良市)

東京大学法学部卒

ハーバードロースクール課程修了

ニューヨーク大学法学修士


1997年 自治省(現総務省)入省

2005年 浜松市財政部長

2010年 京都府自治振興課長

2014年 総務大臣秘書官(高市早苗大臣)

2017年 総務省大臣官房企画官

2018年 総務省自動車税制企画室長

2019年 岐阜県副知事

2022年 総務省財務調査課長

      退官


 奈良生まれで奈良の名目東大寺学園東大ハーバード総務省(旧自治省)岐阜県副知事。

 首長選挙では、「若さ、学歴、行政経験」に加えて、「地元出身」の度合いが問われます。

 首都圏以外の首長選挙では他府県出身者はそれだけでマイナスです。たとえ奈良県生まれでもすぐに転出して小学校は別の都府県だと「ニセ者」の烙印を押されます。

 その点平木さんは奈良県の名門東大寺学園で高校まで奈良にいたのですこから、キャリア的にはこれ以上の人はまずいません。高市さんはよくこの人を見つけて来たと思います。


 4選で78歳。「多選・高齢」という批判が高まっていた荒井知事に代、清新な次世代の奈良県知事候補がようやく見つかった矢先の今年1/4、荒井氏が「不出馬方針の取り消し・再出馬宣言」をしたものだから、地元奈良は大混乱に陥りました。



 


 これを受け、あまりツィートを連投しない高市さんが、この件では2/27に一気に18葉もの大量の投稿をしました。



 

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 この連続ツイートには、この事態の経緯が克明に説明されている上、高市さんの誠実な性格と党本部に翻弄されて苦悩する様子が手に取るように伝わって来ます。

 余裕のある方はTwitterの(@takaichi_sanae)から全文を時系列でお読みになる事をお勧めします。


 茂木幹事長が牛耳る自民党本部は、一旦は平木さんに出すと内定していた「自民党公認」や「自民党推薦」を結局与えませんでした。

 高市さんと平木さんは党執行部からハシゴを外されてしまったのです。

 平木さんは総務省を退職して退路を絶って立候補していますから、撤退の選択肢はありません。

 読売新聞は奈良県知事選についてこんな図をまとめています。




 このまま行くと、自民票が平木・荒井で割れて、維新の山下真候補が楽勝の情勢です。

 私は長く政治記者をしていますが、こんな知事選は過去にほとんど例がありません。なぜこんな事になってしまったのでしょうか?



◯荒井正吾氏とは


 カギを握るのは、今年に入って再出馬の方針を表明した荒井正吾氏です。

 実は私は荒井正吾さんの事を個人的にも極めてよく知っています。TBS社会部で国土交通省(当時の運輸省)担当記者をしていた当時、荒井さんはキャリア官僚として鉄道局次長や自動車交通局長を務めていました。

 荒井さんはいい意味で「官僚らしくない」、前例に囚われない豪胆な手法で行政手腕を発揮し、運輸省のキャリア官僚の事務次官レースでもいい位置につけていました。

 ところが、不動産投資とリゾート開発で一世を風靡したイアイ・インターナショナルの高橋治則氏による「2信組事件」が1994年に弾けると、荒井氏の人生は大きく変化をし始めます。

 1989年に運輸省航空局航空事業課長をしていた荒井氏は、日本航空の関連会によるサイパンなどの海外投資案件を通じて高橋氏と知り合います。

 航空事業課長というのは40代半ばにして日本の全ての航空会社を絶対な権力を持って指導・監督するという極めて特異な役職です。

 日本の航空会社は、簡単に言えば羽田発着の福岡線、札幌線、伊丹線で儲けて、他の全路線の赤字を補填するというビジネスモデルです。だから、羽田の発着枠が会社存続の根幹であって、これを握っている航空事業課長は「絶対権力者」なのです。

 こうした民間分野への介入に特異な才能を発揮する荒井氏は当時の航空3社、日本航空、全日空、東亜国内航空(日本エアシステム)各社幹部と太いパイプを築きます。

 2002年日本航空と日本エアシステムが経営統合合併する際には、航空局を離れて久しい荒井氏の名前が各所で取り沙汰されました。

 それほど「業界」「人脈」「官民協業のアイデア」という点では類を見ない才能を発揮する荒井氏が、当時昇り龍と呼ばれて飛ぶ鳥を落とす勢いだった高橋治則氏と入魂になったのも当然の成り行きだと思います。

 しかし1996年に高橋治則氏が逮捕されると荒井氏は刑事訴追こそ逃れたものの、次官レースからは完全に脱落しました。

 荒井氏は、次官レースから脱落した運輸省のキャリア官僚の行き先ポストの一つだった海上保安庁長官に就任します。

 しかしここでも荒井さんは「腰掛け長官」に甘んじる事なく、様々な改革を仕掛けました。生え抜きの海上保安官からは煙たがられていましたが、私はキャリア官僚の最後のあり方としては立派だったと思っています。


 私は前例に囚われず、現状に甘んじず、大胆に改革を仕掛ける荒井さんとウマが合ったので、ちょくちょく海上保安庁の長官室に行って、雑談をしていました。

 荒井さんは時間がある時には「昼ごはんまだですか?」と電話をかけてくる事もありました。そんな時はいつも荒井さんのお気に入りの鰻重をとってくれて、2時間くらいたっぷりと話をしました。

 記者としてご馳走になってばかりでは有事に厳しい取材ができなくなるので、鰻重をご馳走になったら私が新橋の居酒屋か安い寿司屋に招待しました。


 こうしたやり取りの中で、私は折に触れて「荒井さんは『成仏』してないな」と感じていました。

 「成仏」というのは、自分の人生の中で「仕事をし尽くした」と感じているかどうかという意味です。

 キャリア官僚なら、事務次官まで上り詰めれば、後は退官して超一流の民間企業に天下って「余生」を送る。

 次官になれなかった人は、外局などの「上がりポスト」で国家公務員として最後の奉公をした後は、準一流の民間企業に天下って余生を送る。

 外局というのは国土交通省なら海上保安庁や観光庁や国土庁、財務省なら国税庁や金融庁、経産省なら資源エネルギー庁、特許庁、中小企業庁、防衛省なら防衛装備庁などの事を指します。これらの外局はそれぞれに行政上重要な役割を果たしていますが、トップの長官は監督官庁から次官レースに敗れたキャリア官僚が派遣される場合がほとんどです。

 次官になれた人は次官を退官したら、次官になれなかった人はレースから外れたら、そこから「余生」が始まります。

 そして、中には「自分は余生を送るにはまだ早い」「もっと社会で現役で輝きたい」と考える人もいます。荒井正吾さんはその典型例でした。

 もし航空事業課長時代に高橋治則と知り会っていなければ、荒井さんはかなりの確率で事務次官になっていたでしょう。

 事務次官になれなかったからこそ、荒井さんは成仏できなかった。


「俺の人生はこんなものじゃない」

そんなグラグラと煮えたぎる悔しさのようなものを、海上保安庁長官室の鰻重越しに、あるいは居酒屋の徳利越しに、私は何度も感じていました。



◯無念の荒井正吾に手を差し伸べた二階俊博


 当時の運輸省で、隠然とした力を振るっていたのが二階俊博元幹事長です。

 二階さんは1990年に運輸政務次官に就任すると、瞬く間に省内の人間関係を掌握しました。

 政務次官というのは、内閣が発足すると大臣と一緒に各役所に派遣される中堅どころの政治家の務めるポストです。


 今の中央省庁は「大臣ー副大臣ー政務官」というシステムでそれぞれに担務があって一定の役割を果たしているので、受け入れる役所の側もそれなりの経緯と配慮をもって処遇していますが、当時の政務次官と言えば、当時は「役所の盲腸」とまで言われた存在感の薄い役職でした。

 ところが、二階さんは他の政務次官とは全く違いました。

 官僚が何を考え何を必要としているかを忖度して先回りしてサービスしたのです。例えば新しい法案や予算案を出そうとしているセクションがあれば、党内の然るべき大物に話をつけたり、党内の意思決定上の重要人物と官僚との宴席をセットするなどして、官僚の心を掴んでいったのです。

 そしてもう一つ、二階さんの贈り物攻勢は有名でした。運輸省の幹部で二階さんから超高級南高梅の箱詰めをもらった事がない人は一人もいないと思います。

 たかが梅という勿れ、二階さんが送るギフト用南高梅は個別包装で一つ8001500円もする梅が20個も30個も入っているのです。虎屋の羊羹よりも確実に高い30000円相当のギフトを政治家からもらってしまったら、その官僚は明確に役所の服務規定違反です。しかし二階さんからの贈り物を突き返す事もできない。

 こうして二階さんは運輸省のキャリア官僚を瞬く間に掌握してしまったのです。

 南高梅以外にも、もっと高価な「裏ギフト」があったという証言もあります。「いくら政治家でもこれだけのギフトと宴席の資金を自腹で賄えるとは思えない。誰からカネを得ているんだろう?」という疑問は、運輸省の中では常に渦巻いていました。


 そして、高橋治則との黒い噂で次官レースから脱落した荒井正吾に手を差し伸べたのも二階俊博でした。

 20011月に海上保安庁長官を退官すると、二階さんの後押しでその年の7月の参院選に出馬します。

 当時二階さんは自民党と連立を組んでいた保守党の大幹部でしたが、荒井さんは自民党公認候補として出馬します。ここら辺が二階さんの老練な所で、翌年保守党は自民党に吸収合併されるのですから、ある意味では荒井さんは二階さんの自民党復帰への呼び水でもあったわけです。

 官界からの引退が確定していたものの心情的に成仏していなかった荒井氏は、二階氏のお陰で再び参議院議員として日の当たる場所に戻りました。

 こうして、荒井氏は「二階俊博に絶対服従する」参議院議員として国会デビューを果たす事になります。



◯絶対勝てない選挙に全力投球?


 さて、今の奈良県知事選に話を戻します。

 1ヶ月前の週末、自民党が行った情勢調査(34日~5日)では、

・山下33.2(-2.6 

・平木27.9(+2.6

・荒井18.1(-0.8


 要するに、

「荒井さえ出なければ平木は確実に勝てる」

「自民党が荒井に一本化しても山下には勝てない」

という事がはっきりしている情勢でした。

 そもそも昨年の情勢調査で「多選・高齢」の荒井では山下に勝てないからこそ、若い候補を立てる事になったのです。

 だからこそ荒井氏も今度こそは「成仏」して、引退の意向を周囲に伝えていました。


 こうした流れが突然めちゃくちゃになったのは、「自民党奈良県連≒高市早苗が平木省氏を立てる」と決まって直後からです。

 要するに、「平木氏を奈良県知事にしないために、負け戦を承知で荒井正吾が出馬した」という事です。


 最新の共同通信の調査(4/1-2)でも


・山下35.1(+1.9

・平木26.8−1.1

・荒井15.8−2.3


 自民党執行部は現在総力を挙げて荒井をやっていますが、数字は全く上がっていません。荒井正吾はもはや、勝てるはずがない候補なのです。

 この二階俊博の「玉砕選挙」について、永田町のわかったような政治評論家は「党執行部の高市早苗潰し」と解説しています。 この説明は、永田町の事を深く知らない人達にすれば一見筋が通っているようにも見えます。

 

 しかし、そんな事は絶対にあり得ません。維新の山下真候補は、生駒市長として荒井知事の姿勢を厳しく批判し続け2015年の奈良県知事選で荒井氏を猛追して冷や汗をかかせた因縁のライバルです。