岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/04/03

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2015/07/26配信「ニコ生限定!『バケモノの子』の本音と究極のニコ生アンケートSP」の内容をご紹介します。
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2015/07/26の内容一覧

『インサイド・ヘッド』の話の作りのうまさ

 映画『インサイド・ヘッド』、面白かったです。11歳のライリーっていう女の子の内面世界なんだけども。
 同じようなテーマを扱った作品として、『脳内ポイズンベリー』っていう日本の映画があって、こちらはもともとマンガ原作なんですよね。ある映画評論家のページを見てたら『脳内ポイズンベリー』の評価が高くて、『インサイド・ヘッド』の評価が低いんですね。

 これ観て、「あー、こいつ映画を見る力ねーな」と思っちゃいました。
 なんでかっていうと、『脳内ポイズンベリー』っていうのはアイデアものなんだよ。
 アイデアものだから、脳内で会議があったらどうなるのか、脳内で、自分の中で何人ものキャラクターが会議してたらどうなるのかっていう、その設定だけぱっと見せたら、次はすぐに事件にいっちゃう。
 つまり、恋愛の出会いがあった、どうしようかという悩みがあった、自分の中で葛藤があった、そうするとその度に脳内でいろんなキャラクターがあーしろこーしろって言って、主導権争いになるという、こういうお話なんだ。

 ところが、『インサイド・ヘッド』っていうのは、似ているようで全く違う。
 さっき言った、アイデアというのをドラマにするのを、ちゃんと成功してるんだよね。
 『脳内ポイズンベリー』は、脳内でドラマが全く起こってないの。
 だから、脳内でなんでそんな感情があるのかとか、そういう葛藤が全くないので、結局、主人公の恋愛模様しか観てる人間というのは、共感できるというのかな、ドラマツルギーがそこにしかないんだけども、ところが『インサイド・ヘッド』というのはヨロコビ・カナシミ・ムカムカ・イカリ・ビビリという5つのキャラクターが出てくる。
 これは日本人にとっても不思議なのが、ムカムカとイカリを分けてるんだよね。
 これが理想主義のアメリカ人の、そのムカムカするっていうのと怒る、アングリーっていうのとは全く別のものだという考え方がちょっと見れて面白いんだけども、これ、日本人だったら、恥ずかしいというのを入れると思うんだよね。
 その恥ずかしいっていうのがなくて、恥ずかしいっていうのはたぶん、彼らは感情だというふうにとらえてないんだ。
 そうじゃなくて、ムカムカとイカリを分離するというところが、やっぱ面白い。

 アイデアの煮詰めのレベルがやっぱり『脳内ポイズンベリー』と『インサイド・ヘッド』は全く違って、じゃあなんで人間に感情が発生するのかっていうのを、一番最初はヨロコビがすべてを制御していると、ヨロコビがライリーっていう女の子をすべて制御しているから、ライリーって女の子の想い出のほとんどは喜びにあふれていて、だから彼女はすくすくと育った、これからもずーっとそうなればいいねという話なんだけども。
 ところがカナシミっていう感情が、自分でもわからない理由でいろんなものに触りだしてしまうと、自分でもわからない、やってはいけないとわかってるのにヨロコビに満ちた記憶、コアメモリーというものに触れてしまう。そうすると、カナシミ色に染まっていくと。そんなことしたら、彼女の中でそれはカナシミになってしまうからダメとかいって止められるんだけども、やめられないと。
 それはなんでかっていうと、人間がカナシミっていうのがないと大人になれないというのを描いていると。
 親が子に望むのはカナシミなんかない育ち方なんだよね。
 子どもを育てる時って、自分の子どもがずーっと幸せだったらいい、幸せだったらいいってその連続で育てばいいと思ってるんだけども、でも、子どもはそうは生きられなくて、日常生活の中から悲しいことが出てくる、悲しいことが出て来てふさぎ込んだり、反抗期になったり、返事しなくなったら、親はどうしちゃったんだろう? って考えるんだけども、そうではなくて、それこそが成長で、より深い感情のチャンスだと。

 だから、ライリーの中にあるいくつもの、たとえば家族の世界とか友情の世界とかホッケーの想い出の世界とか、いろいろテーマパークみたいなのがあって、それがすごい幸せそうにできてるんだけども、カナシミとかヨロコビが冒険することでそれらの世界がどんどん崩れていくんだよ。
 で、崩れていった後で、最後のほうに見えてくる世界はカナシミが自分の中に入ってくるおかげでより豊かになるという、ちゃんと成長物語としてあるんだよ。
 この辺が『脳内ポイズンベリー』との大きな差で、『脳内ポイズンベリー』は脳内の、で、こんな人間が会議しているというアイデアだけなので、主人公の成長っていうのは今の恋愛をどうとらえるのか、今の恋愛を卒業して次の恋愛にどう立ち向かうのかという、現実世界のドラマになっちゃうんだけども、『インサイド・ヘッド』は脳内でそれぞれの感情が、なんで他に感情があるのかわかると同時に、観てる側にも自分の中で感情が生まれてきた順番がわかると。
 人間っていうのは、カナシミっていうのはわりとたぶん8歳とか9歳くらいになってこないと、「イヤだ」はわかるんだけど、悲しいというのはなかなか理解できないんだよね。
 それが順次、見せられてくるから、「うわぁっ、これふっけえ話しだな」と、深くつっこもうと思うといくらでもつっこめる話としてできてるので。

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