岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/06/04
おはよう! 岡田斗司夫です。
今回は、2018/05/27配信「『海賊の経済学』プラス、大英帝国の繁栄の礎は海賊が築いたものだった!」の内容をご紹介します。
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2018/05/27の内容一覧
- 海賊も「神の見えざる手」に導かれていた!
- そもそも、海賊とは何か?
- 海賊の分類
- “黒髭”こと、エドワード・ティーチ
- なぜ、彼らは海賊になったのか?
- 当時の水夫たちの最低な労働環境
- 最高に公平な海賊船
- リーダーの権力を分散させる「クオーターマスター制度」
- 海賊の資料の紹介
- 後半のお品書き
- 海賊船の公平さの裏にある「プリンシパル・エージェント問題」
- 船長よりもはるかに偉い「海賊の掟」
- 髑髏マークに込められた意味
- 仲間になるか死ぬか、計算ずくの入団儀式
- 海賊たちの黄昏
- イギリスは海賊産業で成り上がった
なぜ、彼らは海賊になったのか?
『海賊の経済学』で扱う海賊というのは、1670年から1730年までのカリブ海を荒らし回った、いわゆる海賊というヤツだよね。『パイレーツ・オブ・カリビアン』と同じ時代です。
(中略)
では、当時の海賊人口はどれくらいいたのか?
これは、資料によって色々と差があるんですよ。ディズニーの『パイレーツ・オブ・カリビアン』だったら、「5千人くらい」と言ってるんだけど、この『海賊の経済学』という本によると「千人から2千人じゃないか」と書いてある。
もちろん、時期ごとに増えたり減ったりするものなんだけど、まあ、大体、3千人から5千人くらいが正解だったんじゃないかと、僕は思います。
変な話だけど、吉本興業に所属している芸人すら7千人もいるんだよね。そう考えると、3千人から5千人という数字は、すごく少ないように思えるんだけども。
でも、実は、当時のイギリス海軍ですら、平均で1万3千人くらいなんだ。つまり、世界一の海軍力を誇ってる国ですら、1万数千人くらいの定員しかいないような中で、3千人から5千人の戦闘のみをする海の兵隊がいたわけだから、実はこれ、かなりの勢力なんだよね。
(手元の船の模型を見せながら)
これは、『パイレーツ・オブ・カリビアン』の「ブラック・パール号」という船のペーパーモデルなんだけども。この船1隻あたり、大体80人くらいが乗ってたんだって。
さっきも話した、有名な黒髭ティーチの乗っていた「アン王女の復讐号」という船には、300人も乗っていたそうだ。わりと大型の船だったんだよね。
大手の海賊というのは、だいたい艦隊を組んでたんだ。
これからもしょっちゅう名前が出てくる海賊として「バーソロミュー・ロバーツ艦長」という人がいるんだけど、彼は「4隻の船を持っていて、そこに500人の手下がいた」と言われている。
最大手は「モーガン船長」という伝説的な海賊船長がいるんだけども、彼は「37隻の海賊船に、2千人の手下がいた」っていうんだから、もう、ほとんど国だよね。下手な国の海軍よりも、ずっと規模が大きい。まあ、37隻の海賊船の中には、大きのもあれば小さいのもあったんだけども。
では、なぜ、当時、3千人から5千人も海賊がいたのかって言うと。
さっき、私掠船の略奪許可証の話をしたじゃん? これが、しょっちゅう取り上げられたんだって。
というのも、国と国とが喧嘩するたびに、この略奪許可証が発行されたんだよ。
例えば、スペインとイギリスにも「仲が良い時代」もあるんだよね。アン王女が次の女王になるんじゃないかと言われていた時は、カソリック教国のスペインとしては「イギリスもカソリック教国になるかも」と思っていた。この時期はすごく仲が良かったから、お互いに、こんな免状を出さないんだよ。
ところが、それからエリザベス1世が女王になった頃には、完全にプロテスタントの国になっちゃったもんで、いきなりスペインとの関係が悪化した。そうすると、両者ともに私掠免状というのをガンガン発行して、「略奪してよーし!」という許可を出す。おまけに、フランスもその機に応じて、どの国に対しても略奪免状を発行する。
こんなふうに、しょっちゅう発行されてたんだ。
それと同時に、またしょっちゅうこれを引っ込めるんだよね。
簡単に略奪免状を出すわりに、2,3年くらいで、それをシュッと引っ込めて「もう、あの国とはやっちゃダメ」っていうふうに権利を取り上げちゃうんだよ。
すると、どうなるのかというと、「はい、和平。はい、略奪禁止」と言われた瞬間に、この私掠船(プライヴェイティア)と呼ばれる国家公認の海賊は、全員失業しちゃうんだよね。
で、彼らはみんな、失業すると、だいたい海賊になっちゃう。もしくは、まだ免除を発行してくれる他の国の海賊になっちゃう。なので、海賊人口というのは一向に減らないわけなんだよね。
これ、エゲツない話のように思えるんだけど、当時の海軍というのも、実は同じだったんだ。
例えば、イギリス帝国海軍というのは、1713年には、5万人以上の水兵を雇っていた。たぶん、この時期が大航海時代の中で一番兵数が多い時期だったと思うんだけども。
だけど、スペイン継承戦争が終わると、いきなり「もうこんなに巨大な海軍はいらない」と言い出して、75%の人員を減らして、1万3千人くらいにすることにした。つまり、3万7千人もリストラしたんだよね。
おまけに、リストラされた水兵というのはどうなったかというと、「全部、現地でクビにした」んだって。イギリスから連れてきた水兵達を、それぞれの赴任先、働いている先でクビにしちゃったんだよ(笑)。
「あの、僕たちはどうやって帰ればいいですか?」「知らん!」って言って、現地に置いて来ちゃったんだよ。
この人達の再就職先というのは、民間の商船か、または海賊船しかない。
普通の輸送船に乗ったら、優秀な水夫で、年収が15ポンドから35ポンドと言われてる。この給料だけでも、仕送りしながら普通に生活ができるくらいの金額だから、今の価格にしたら150万から350万くらいと考えようか。
ところが、海賊船に乗ると、1回1ヶ月の航海で、1000ポンドもらえるのがザラだったんだよね。1000ポンドっていうと1億円くらいなんだよ(笑)。
うまく行ったら、1回の襲撃で、下っ端の水夫まで1人当たり3000ポンドとか4000ポンド、つまり3億円とか4億円稼げた。「それをもらって引退した」っていう話もわりとあったそうだし、海賊というのはリスクのわりにやたら儲かる商売だったんだ。
なので、英国海軍が3万7千人も一斉に現地でリストラした時に、海賊人口というのはメチャクチャ増えちゃったんだよね。
おまけに、またイギリス本国がキナ臭くなってきて、英国海軍が人員を募集することになった場合、「元海賊なんですけど」って言う人に対しても、「いや、それでもイギリスは君を必要としている!」とか言って、それ以前の犯罪記録が抹消されるということも結構あったんだって。
なので、当時は、軍人なのか海賊なのかわからないような、正規社員と不正規社員の間を行ったり来たりしているみたいな人も多かったと考えてください。すごいよね。
(続きはアーカイブサイトでご覧ください)
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