岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/12/21

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2018/11/25配信「【アポロ月着陸50周年記念】アポロ計画と4人の大統領+『2001年宇宙の旅』」の内容をご紹介します。
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2018/11/25の内容一覧


「月軌道ランデブー」という画期的なアイデア

 「宇宙ステーションは無理だ」ということで、ここで1人の男がすごいことを思いつきます。
(パネルを見せる)
 この人、いまだに無名なんですけど、ジョン・フーボルトという、ラングレー研究所にいた、本当に「名もなき技術者」なんですね。
 NASAでの宇宙計画の主流派というか、名前が残っているような人って、だいたいどこかの大学の教授とか、どこかの研究所の所長だったんですけど。このジョン・フーボルトは、大学院を卒業しただけの技術者で、いわゆる「平社員」だったんです。
 しかし、こいつが画期的なアイデアを思いつきます。

 それが「月軌道ランデブー方式」というやつです。
 サターンロケットで宇宙船と月着陸船を同時に打ち上げて、それをどんどん乗り捨てて行くという方式ですね。
 月の軌道に乗るまでに、とりあえずロケットの大部分を捨ててしまって、3人で月に行くんですけど、月に降りるのは2人だけ。それも、座る場所もない、立って乗るしかないような月着陸船に2人だけ乗って、1人は軌道上で待っている。
 2人が乗る月着陸船も、月軌道に登る時には下半分を捨てていく。全部、捨てて捨てて、使い捨て使い捨てで、最後、地球に帰って来る時には、それまで乗ってきたアポロ宇宙船というのも捨ててしまって、「司令船」と呼ばれる事実上カプセルだけで帰ってくるんです。
 このカプセルは、ウォークインクローゼットよりも狭い軽自動車にアメリカ人のゴツいおっちゃんが3人乗ってるようなものです。そんな、前のエンジン部分をカットした軽自動車だと思ってください。後ろの座席もほとんどカットして、2人分の座席に無理やり3人乗ってるようなギリギリのカプセルで帰って来るという方式を思いつくんですね。

 これが、その月着陸船の金属製の模型なんですけど。
(模型を見せる)
 ここにハシゴがあって、人が降りる。こうやって見ると大きそうに見えるんですけど。さっき紹介した、フォンブラウンが考えたムーンランダーと同じスケールで表すと、月着陸船ってこのサイズなんですよ。見えますか? メチャクチャ小さいんですよ。さっきも言ったように、本当に座るところもないんですよね(笑)。
 「月に基地を作って開発するということを全部諦めて、このサイズで我慢するならば、なんとか行けます」というふうに、ジョン・フーボルトが提案したんです。

 それを聞いたフォン・ブラウンは、最初はメチャクチャ嫌がりました。というよりも、NASA研究所の科学者は全員嫌がって「バカヤロー! バカヤロー!」と言ったんですけども。
 フーボルトは「でも、計算上は行ける。数式上は行ける」と。「いや、お前の数式、絶対怪しいよ!」なんて言われながらも、いろんな人を1人1人を説得しました。
 そして、遂には掟破りと言われた、平社員によるNASAの副長官に直接プレゼンも行います。「こんなことを言ったらいけないのはわかってる。NASAもそろそろ縦型の組織になってきているから、まずは自分の上司を説得するというルートが正しいということはわかるんですけど……月に行きたいんでしょ? だったら俺の言うことを聞いてくださいよ」と。
 この「月に行きたいんでしょ?」という言葉がキッカケになって、このフーボルトの言うことを段々と聞くようになっていきました。
 最初はコーヒータイムの雑談だった話が、ランチタイムに話されるようになり、ついには会議の議題に上って、最後はフォン・ブラウンが出席する会議での6時間の激論の末、フォン・ブラウンも「もうこの方式しかないな」と諦めて、「このメチャクチャ小さい月着陸船で行こうか」と決断した。
 このおかげで、NASAは大方針転換をして、60年代にギリギリ間に合う形で、月着陸を成し遂げたんですね。

 というわけで、このジョン・フーボルトという男は、学歴とかキャリアのない人達の星というか、神様みたいな人なんですけど。
 まあ「学歴がない」と言っても、ちゃんと良い大学は出てるんですけどね。いわゆる「エリートコース」じゃなかった人です。
 この人が考えた月軌道ランデブー方式は、スタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』を企画した時にも、NASAの内部では話されてたんですけど、外部資料には表れなかったために、気が付かれずに「巨大な宇宙ステーションを作って運用している2001年の世界」というのが想像されることになりました。
 そこが違っちゃったんですね。

 なぜ、宇宙ステーション方式がダメだったのかというと、理由はすべてケネディが「60年代の末までに」と約束してしまったからなんですよ。
 あと5年か、できれば10年、時間に余裕があったら、たぶん原案の通り、シャトルで宇宙に行って、宇宙で巨大な宇宙ステーションを組み立てて、そこで作った月へ行く専用の月着陸船で20人前後を月に送り、その3分の1ずつを定期的に交代させて、まるで南極基地みたいに、月に基地を建設をできたかもしれなかったんです。
 しかし、60年代末までに間に合わせるには、ステーションを作っている時間もなければ、お金もない。その結果、最後までステーション案にこだわっていたフォン・ブラウンも、ついには折れる形となりました。
 ここに来て、人が月に行けるかどうかの問題は、ついに科学の問題でなく、予算とスケジュールの問題になってしまったんです。

(続きはアーカイブサイトでご覧ください)

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