岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2019/06/05

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2019/05/19配信「『ムーミン』の光と影、そして『ムーミン』 俺語り」の内容をご紹介します。
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2019/05/19の内容一覧


3種類の異なるムーミン

 ええと、今日は3種類のムーミンの話をしようと思ってるんですね。
 まず「トーベ・ヤンソンのムーミン」。あと「公式のムーミン」。そして「マイムーミン」ですね。この3つの話をしようと思います。

 トーベ・ヤンソンのムーミンというのは何かと言うと。
 これは、一番最初に出た小説なんですけども、『小さなトロールと大きな洪水』という本です。
(本を見せる)

 1945年にフィンランドのキオスク、駅の売店でひっそりと発売されました。
 トーベ・ヤンソンというのは、もともと小説家でもなければ児童文学者でもなくて、画家だったんですね。普通に絵を描く画家だったんですけども。第2次大戦で、かなりショックを受けて、絵が描けなくなってしまったという、31歳のトーベ・ヤンソンの作品です。
 絵を描けなくなってしまったので、思い切って子供向けの本を書いた。

 その時に描かれた最初期のムーミンがこれです。
(パネルを見せる)

 はい。ムーミントロールとムーミンママですね。今とはだいぶ違います。鼻が長いんですね。
 これ以外にも、第2次大戦中に政治風刺新聞『GARM(ガルム)』などにトーベが描いたムーミンの絵も残ってるんですけど、言えるのは「とりあえず鼻が長くて、わりと醜い生物」ということなんですね。
 「そんな醜い生物というのが我々の世界の隣に住んでいる」という話です。

 この『小さなトロールと大きな洪水』にはニョロニョロも出てきます。

 実は初期のニョロニョロは足が生えているんですね。だから、そんなにムーミン達と変わってる生物でもないんですね。
 ムーミンママは、ハンドバック持ってるからなんとかムーミンママとわかるような感じです。
 この後、『ムーミン谷の彗星』『楽しいムーミン一家』というふうにシリーズが続いて、ようやっとキャラが確立します。

 また、このムーミンシリーズに出てくるキャラクターというのには、トーベ・ヤンソン自身の家族観が投影されてます。

 例えば、何があっても動じずに、いつも家族の世話をやいているムーミンママというのは、トーベ・ヤンソン自身の母親。

 リトル・ミィというのは……このミィというのは、辛辣で本質を見抜く発言をいつもするんですよ。日本のテレビアニメ版だと、わりと乱暴で嫌なキャラクターなんですけど、実は原作のチビのミィというのは、ニヒル系ですごく頭が切れるような存在で、とにかくセリフの一言一言が正鵠を射ているというか、その場で一番正しいことを言うんですね。ただ、過激だから他人に聞いてもらえない。
 これはトーベ・ヤンソンにとっての「こうありたかった自分」なんですね。トーベ・ヤンソン自身は色々な状況とかに振り回されるんですけど、その中で頑固な自分を保とうとして、自分の意見を持っていた。
 トーベ・ヤンソン自身が一番なりたかった自分というのがチビのミィに投影されています。

 ムーミンパパというのは夢見がちで役に立たないんですけど、これはトーベ・ヤンソン自身の父親が投影されています。
 父親はわりと有名な彫刻家で、国の賞を貰うくらいの人だったんですけど、国の賞を貰ったとしても、彫刻家なんて本当にあんまり仕事がないんですよね。おまけに、家族を顧みないことも時々あった人なので、やっぱりそういう自分の父親像がムーミンパパに投影されているというふうに言われています。

 その中でも、日本で一番人気のあるスナフキン。あと、そっくり同じ姿をしたトフスランとビフスランという2人がいるんですけど、その帽子を被ってない方のビフスラン。これは、トーベ・ヤンソン自身の彼氏がモデルです。

 スナフキンは、アトス・ヴィルタネンという社会活動家で、後に国会議員になった彼氏がいて、まあ、付き合ってて結婚まで考えて婚約してたんですけど別れちゃいました。その人は、いつもボロボロの帽子を被ってて、毎回同じような服を着てて、まあスナフキンのモデルというふうに言われてます。
 ビフスランの方は、ヴィヴィカ・バンドレルという舞台監督です。この人とトーベ・ヤンソンが付き合ってたから、あの舞台版のムーミンという悪夢のようなムーミンが出来上がっちゃったわけなんですけども。

 この当時のトーベ・ヤンソンは、まあ恋多き女で、いろんな男の人と付き合ってました。
(本を見せる)
 この辺りは、この『トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン』という本の中に細かく細かく書いてあります。

 有名なんだけど、あまり取り上げられないのが、このおしゃまさんですね。
 トーベは、90年代に入った辺りくらいだったと思うんですけど、自分自身が同性愛者であることを認めます。実は、彼氏とかと付き合ってた頃から、フィンランドでは同性愛というのが犯罪だったんですね。

 このおしゃまさんのモデルになったのが、グラフィックデザイナーのトゥーリッキですね、トゥーリッキ・ピエティラという人がいるんですけど、この女性と付き合っていました。
 結局、最後は死ぬまでだったと思うんですけど、50年くらい、このトゥーリッキという女性と付き合っていて。クルーヴ・ハルというフィンランドの沖にある島に小屋を建てて、夏の間はそこで2人で暮らしてたんですよ。
 そんなトゥーリッキとのイチャイチャ生活というか、すごく仲がいい2人の生活を撮った8ミリビデオというのが残っていて。なぜかというと、その8ミリがDVDになってるんですよね。僕も持ってて全部見たんですけども。
 もう、最初はね「トゥーリッキとのイチャイチャ生活を撮っただけだから、どうせしょーもないものなんだろうけど、見るしかねえか」と思って見たら、案外カッコいいんですよ、これが(笑)。「トーベ・ヤンソンって、映像作家としても才能あったんだ」と。8ミリであんなにカッコいい映画を作れると思ってなくて、自主映画をやってる人はちょっと見た方がいいというか。
 だって、被写体は2人しかいない上に、島で2人だけで暮らしてるから、カメラには必ず1人しか映らないわけですよ。それでも、ちゃんと面白い映像とか、カッコいい映像、「島に風が吹いてる」とか「雨が降ってる」とか、もうそれだけなんですけど、案外面白いんですよね。

 このように、トーベ・ヤンソンの中では「ムーミンとは何なのか? ムーミントロールというのはそれぞれ何を象徴しているのか?」っていうのが、わりときちんとあったんですよね。
 だけど、今日の話は、もう一度思い出してください。「3つのムーミン」なんですね。
 トーベのムーミンというのは、わりと確立してるんですよ。今言ったように、「モデルは誰か?」、「何を言いたいためにこのキャラクターがいるのか?」っていうのが、確立していたんですけど。
 それは、2つ目の公式のムーミンとはあまり一致してないんですね。

(続きはアーカイブサイトでご覧ください)

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