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わたしは大学院の数学科に2013年から10年間在籍していたので、その間、数学仲間というか、大学院の「同級生」も沢山いたのですが、博士課程後期に進学した同期も少なくない(10年で5人だから多い方ではないかもしれない)。
旧帝大で教鞭をとっているものも2人いて、彼らは学部のときから別格にすごかったが、そのような、わたしからみたら才能あふれる「すごい」連中も、自ら落ち込み「自分には才能がない」と自信をなくすことが多々あった。
若く、やる気に溢れる数学者が「才能がない」と悩んでいる。これは、わたしには、とても滑稽に見えたのです。天才には天才の悩みがあるのか。
彼らが「才能がない」と嘆くときは、研究が進まないときではなく、飛びぬけて「自分より」すごい人に会った後なのです。
この前、すごいやつに会っちゃって、凹んじゃいました。。。
そう悩む天才。凡才のわたしからみれば、それは悩むことじゃないのだけど。
わたしからのアドバイスはいつも同じ。
「他人と自分を比べちゃだめだよ」
これだけ。
もし比べたいなら、昨日の自分と今日の自分。今日の自分と明日の自分だよ。
「いまを悔いなく生きれば、それでよし」。
「山本さんは、そうやって生きているのですか??」と天才は聞いてくる。
「そうだよ」「わたしはそもそも悩まないけどね」
そう。わたしはあまり悩まない。
いや、正確にいえば、悩まないことに努力する。
悩まないように自らを訓練してきた。
悩んでいる時間があれば、とっとと努力しろ、と自分に言いきかせる。
やるのか。やらないのか。
好きなことを好きなだけやるのが幸せ。
そして、面白いことに、何かをしっかりとやれるだけやれば、そのことを好きになってしまう。それが人間というもの。
要するに、われわれには「悩む」という「お気楽な」時間は残されていない。
落ち込み、がっかりするような悠長な時間は残されていない。
折角、与えられた人生。悩まずに好きなことだけをやって全うしたいものだ。
天才たちは、才能が他者より秀でているがゆえに、他人との比較で、自分を安心させる傾向がある。人は好きなことを好きなだけやっているならば、毎日、それなりに納得して生きていけるものだ。
納得して生きてほしい。
才能がないなどという理由で悩む必要は毛頭ない。
下手の横好き。それで幸せ。才能のあるなしで悩まないでほしい。
(NPO法人イノベーターズ・フォーラム理事 山本 潤)
(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。また、内容は執筆者個人の見解であり、所属する組織/団体の見解ではありません。)