有料メルマガ評論家の渡辺文重です。先週、3週間前の日記を書くことが大変だという苦労を味わったばかりですが、また、3週間前の日記を書くことになりました。
この文章を書いている日は、9月1日(日)なのですが、きょう、バスでマナーの悪い子供を見掛けました。どのようにマナーが悪かったかは本筋から外れるため、ここでは記しません。そこで、注意しようかと思ったのですが、止めました。その子供の母親と思われる人物が近くにいたからです。正確には、以前、私は同じようなシチュエーションで子供を注意したことがあったのですが、その子供の母親に「逆ギレ」されるという経験をしていたため、今回も「逆ギレ」されると面倒だなと思い、注意することをためらった次第です。
唐木元氏が、自身のはてなダイアリー「ROOTSY!」2013年8月20日の記事(http://d.hatena.ne.jp/rootsy/20130820)で、容姿に関する考察を行っていましたが、もしかすると、その時の私の容姿が普通のサラリーマン風だったため、母親になめられたのかもしれません。ちなみに、きょうの私はといえば、どう見ても平凡なおっさんでした。これならば、注意をしない方が無難です。
さて、私は「逆ギレ」されたと書きましたが、これは、あくまでも私の感想です。もしかすると、彼女の主張に理があるのかもしれません。なお、彼女の主張は「子供の教育は自分たちが行っているので、赤の他人が口を出さないでほしい」ということでした。
確かに、これは一理あります。私の注意は、その子供の成長過程において、どのような影響を与えるかを考えた結果の行為ではありません。いってしまえば、気まぐれな行為です。そうした気まぐれの結果、子供が「悪い大人」に成長してしまったとしても、私には責任が取れません。私の注意は、子供の母親にしてみれば、許しがたい、無責任な行為に思えたのでしょう。実際、そう判断されたら、返す言葉もありません。
さて、私としては、そこまでのリスクを負う義理もなければ、覚悟もありません。騒がしい子供に目をつぶった方が安全です。このようにリスクを避けることは、「正しい大人」の判断ともいえます。
子供を注意することは、いかなる場合においても「将来、悪い大人になるキッカケを作る」というリスクを負うことになります。それならば、「悪い大人」になってから注意をすれば良いのです。「悪い大人」に対してなら、「将来、悪い大人になるキッカケを作る」というリスクを負うことなく、いくらでも注意できます。もちろん、大人に注意する場合には、注意した大人から「逆ギレ」の暴力を振るわれるリスクが存在します。しかし、インターネットのような「遠隔地」からであれば、そうしたリスクも避けることが可能です。
こうして、見知らぬ誰かから注意されない環境で育った子供は、いつの間にか「正しい大人」のネットワーク社会に足を踏み入れ、「悪い大人」として見知らぬ誰かから袋だたきにあったとさ。そんなフィクションを想像してみた日曜日の午後でした。