週刊 石のスープ
定期号[2011年10月29日号/通巻No.8]
今号の執筆担当:渡部真
■連載コラム【勝手気ままに】vol.1
現場に行くことの大切さ〜『自由報道協会が追った3.11』編集後記その1〜
■【おまけコーナー】今月のお宿
福島県相馬市・蒲庭温泉「蒲庭館」
※この記事は、2011年10月に「まぐまぐ」で配信されたものを、「ニコニコ・チャンネル」用に再配信したものです。
■サイドミラーから消えた理由
さて、まずは渋井さんからいただいた宿題について……
9月29日に渋井さんと二人で訪れた石巻市と女川町。震災以来これまで3万キロメートル弱、僕らを乗せて走り続けているオンボロ愛車のマーチが、砂浜にハマってしまいました。
渋井さんの文章を再掲します。
http://twitter.com/shibutetu/status/119296508616114178
渡部氏は、北海道にいた学生時代に、車で砂浜にわざとはまり、脱出する練習をしていたそうです。なぜそんな練習をしていたのかと言えば、雪にはまったときに脱出するのと同じだということです。
雪深い長野県では聞いたことない練習ではありますが、なんとか、その経験を活かすことができました。
脱出するまで約1時間。渡部氏は体力を失っていました。運転を代わった私は、再び女川町方面に車を走らせました。途中で、4月頃に撮影した桜の木がありま した。比較するためにも、この場所を撮影することにしました。桜の木だけでなく、周辺の撮影をしました。渡部氏は「少し休みたい」と言って、車の外で座っ ていました。相当、疲れたようです。私は車に戻って携帯電話を充電していました。運転席からサイドミラーに渡部氏が疲れた様子で映っています。しばらくし て、サイドミラーを見ると、渡部氏の姿が消えていました。
そのため、私はこうツイートしました。
http://twitter.com/shibutetu/status/119298640912187392
いったい、渡部氏はどこに消えたのでしょうか。きっと渡部氏が応えてくれることでしょう(笑)。
渋井さんが、僕が消えたと気づいたのは15時33分。そんなことは知らずに、僕は車の側の日陰で大の字になって寝ていました。
約1時間半後、眠りから覚めた僕は17時1分に、こうつぶやいています。
http://twitter.com/craft_box/status/119320867296657408
この日は晴天でした。こうやって写真を見返すと、たった1か月前ですが、まだ日が高かったのが分かります。渋井さんが紹介してくれたように、僕は大学時代を北海道で過ごしていたんですが、北海道の夏は、ちょうどこの日の陽気のように、日の射すところは暖かく、日の陰ったところに行けば涼しくて気持ちいいのです。そんなことを思い出しながら、十分な休憩を取らせてもらいました。
そもそも、なぜ具合が悪くなったか。
砂にハマった車を脱出させるために車の下の砂をかき出したんです。偶然近くにいたお爺さんがスコップを貸してくれて、それでかき出したんですね。で、中年になってすっかり持久力を失ってしまった僕としては、時間をかけてかき出そうと思っていたんです。ところが、僕が休憩すると、そのお爺さんがスコップで砂をかき出し始めちゃう。どう見ても二周りくらい年輩のお爺さんが、一所懸命にやってくれているのに、僕がゆっくり休むわけにもいかない。だから少し休んだらすぐにお爺さんと代って、また僕が砂をかき出す。その繰り返しで1時間、たっぷり運動する羽目に……。
そして、精根使い果たした僕は、体力回復の為に一寝入りしたという訳です。
起き上がった道路には、背中とお尻の部分にたっぷりと汗が染み込んでいました。血圧が高くなったのか、汗をかいたようです。今のところ、普段は血圧も正常値ですが、僕は父方も母方も高血圧の家計なので、気をつけなければ……。
■とにかく動け! 現場に行け!
しかし、その休憩のお陰で、この後の取材は予想以上の収穫でした。
この日、砂浜でのトラブルや僕の休憩などがなくて順調に取材が進めば、午後の早い時間に「女川町御前浜避難所」に立ち寄り、簡単な挨拶だけして移動する予定でした。自分たちで避難所を作り上げたというこの避難所のことは、『3.11 絆のメッセージ』(東京書店)で紹介していますので、詳しくはそちらをお読みください。
本来は挨拶だけしたら、この日の宿泊先である福島市に移動する予定だった御前浜避難所は、この日の夕方からボランティアの方達が来て宴会が始まり、ちょうどそのタイミングで伺うことができたために、僕たちも宴会に参加して避難所の皆さんたちと、再び交流を深めることができました。まさに怪我の功名。深夜まで宴やカラオケを楽しみました。
宴会の終盤に、避難所の方とボランティアの方たちを撮りました。と言っても、避難所の方たちはほとんど寝てしまい、3人を除いてすべてボランティアの人たちという、これだけ見ると何の宴会だか分からなくなりますが……。