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[読者限定]三宅勝久【東京アパルトヘイト観察記】vol.2「裁判所のアパルトヘイト」
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[読者限定]三宅勝久【東京アパルトヘイト観察記】vol.2「裁判所のアパルトヘイト」

2011-11-17 19:47

    週刊 石のスープ
    定期号[2011年11月17日号/通巻No.12]

    今号の執筆担当:三宅勝久
    ※この記事は、2011年11月に「まぐまぐ」で配信されたものを、「ニコニコ・チャンネル」用に再配信したものです。



    ■南アのアパルトヘイトと日本の裁判所

      このメルマガをはじめるにあたって筆者がつけたテーマは「東京アパルトヘイト観察記」である。これ以外のテーマでもつれづれなるままに書いていくつもりで はあるが、「アパルトヘイト」はしばらく断続的に追いかけていくことになると思う。アパルトヘイトと筆者が呼ぶ、この「本題」に関する話をご紹介したい。

      部落差別や外国籍人差別を挙げるまでもなく、この国は差別と偏見に満ちている――かねてそう感じてきた。それでも南アフリカの「アパルトヘイト」よりはマ シな民主的で平等な国なのだろうと幻想をいだいてきたのも事実である。おおっぴらに差別をすることは許されない国だと思っていた。

     筆者 は1993年から半年ほど南アに滞在したことがある。アパルトヘイト政策が撤廃された直後だったが、人種差別政策の痕跡は濃厚に残っていた。トイレは入り 口が二つに分かれており、駅の券売所も黒人と白人で買う場所が異なっていた。白人は大理石を敷き詰めたロビーで買い、黒人は裏口のような狭い場所で買う。 乗り合いタクシーは「ブラックタクシー(黒人タクシー)」と呼ばれ、白人は絶対に乗り込んでこなかった。
    「日本? よい国だな。差別ないんだろう。仕事もあるんだろう? 俺も行きたい」
     黒人と話すとたいていそう言った。誇りであった。

     この旅から約20年がたったいま、じつは日本という国はかつての南アとさほど変わらない差別国家なのではないかと考えを改めるようになった。場合によっては差別の“本家”である南アのアパルトヘイトよりタチが悪いとすら思うのである。
     こんなことを言えば、おそらく差別された側にいる人たちは「何をいまさら寝言を言っているのか」という印象を持つことだろう。差別は自分が差別されてみてはじめて理解できる。ただ、差別されながらそれを差別と感じていない場合もある。

      この国はアパルトヘイトの国だ――と筆者が強く感じるようになったきっかけは、裁判所である。東京高裁・地裁という大きな裁判所が東京・千代田区の霞ヶ関 にある。戦前は隣の法務省と同じ組織で、「司法省」だった。戦後、新憲法が公布されて民主化が進み、裁判所は独立し、東京地裁・高裁がいまの場所に出来 た。
     法治国家である日本の民主主義の要は法律である。その法の番人が裁判所なのだが、以下に触れるとおり裁判所自身が国民を差別していると思わ ないわけにはいかなくなってしまったのだ。日本の法律のどこにも「差別をやるべし」とは書いていない。アパルトヘイトは法律によって差別を規定していた が、日本にそういう法はない。法律にない差別を法の番人である裁判所がやっている。本家のアパルトヘイトよりひどいというのはそういう意味である。
     
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