週刊 石のスープ
定期号[2011年12月1日号/通巻No.14]

今号の執筆担当:渋井哲也
※この記事は、2011年12月に「まぐまぐ」で配信されたものを、「ニコニコ・チャンネル」用に再配信したものです。



  3月15日、JR宇都宮線は、上野ー宇都宮間の運転を再開した。3月11日の東日本大震災により運行を中止していたが、復旧作業が終了したのだ。宇都宮の 地震被害はほとんど伝えられていない。というのも、関東での被害は、茨城県や千葉県の沿岸部の津波被害は大きく伝えられていたものの、内陸での被害は、千 葉県の液状化現象によるものくらいだったためだ。


■放射能の心配が現実のものに

  ただ、この頃になると、東京電力・福島第一原子力発電所の事故も深刻な事態だった。週刊誌の「AERA」(朝日新聞出版)の表紙が防護マスクのしている作 業員の写真で、コピーが「放射能がやってくる」というものだった。当時は、「大げさすぎる」とTwitterなどで批判が相次ぎ、謝罪をする異例の事態に もなっていた。しかし、いまとなっては、関東地方にもホットスポットがいくつもでて、また、食料品の放射線量が心配になるなど、当時のコピーが現実味を帯 びて来ている。

 とはいうものの、当時はまだ放射能が関東にまで届くかどうかはわからないでいた。チェルノブイリの原発事故のときに、静 岡のお茶にまで放射線の影響が出たことを考えると、容易に想像ができるのだが、この頃は、原発事故がいまほど深刻には伝えられていない時期だった。しか し、子どものいる家庭の一部では、学校に対して、登下校時にはマスクを着用させること、体育は屋外でさせないこと、などを要望して来ていた。
 深 刻な事態とは考えられていない時期だったので、関東の学校現場では「保護者の反応が大げさすぎる」との声も聞かれていた。私のふるさとである栃木県でも学 校現場では、保護者対応に追われていた。そのため、ある学校では、登下校時のマスク着用を必須としていた。大げさな対応を見に来てほしい、との話もあり、 私は15日に宇都宮へ行くことになった。

 赤羽からJR宇都宮線に乗ると、電車はそれほど混雑している様子もなく、いつもと変わらない状 況だった。乗客のムードも緊張感はまったくない。実はこのころ、SPEEDIのデータでは、宇都宮市内の空間線量は1μSv/h以上を記録している。しか し、データは公表されていない。そのためもあり、パニックな状態でもなく、平然として市民生活を送っていた。もし、この段階でデータを知っていたら、私は このタイミングで宇都宮に行ったのかどうかを考えてしまうだろう。

 さて、宇都宮駅に着くが、普段よりも人は少なかった。原発事故の影響 による計画停電が各地で実施されており、宇都宮もその対象になっていたからだ。市内には、いたるところに計画停電によるイベントの中止や店舗の開店時間の 変更を伝えるチラシが貼られていた。原発事故そのものの影響というよりも、計画停電の影響を心配している関係者がほとんどだった。

 私は このとき、放射線量や計画停電の影響よりも、地震被害がどのくらいあるのかを見てみたかった、ということもあり、宇都宮に来たのが動機のほとんどを占めて いた。いや、正直に言えば、東北の被災地に早く行きたかったが、交通手段を確保できないでいた。そのため、「近場の被災地」を探していたのだ。宇都宮の被 害状況はほとんど伝えられていないのに向かったのは、少しでも「東北に近い場所」に行き、震災を肌で感じたかったのだ。


■宇都宮市内で見えた、雰囲気の違い

  この頃、東京では震災直後から帰宅困難者、いわゆる帰宅難民が発生し、街中のコンビニエンスストアやスーパーでは買い占めが起きていた。そのため、食料品 を中心に、店舗から品物がなくなりつつあった時期だ。宇都宮もさぞかし、コンビニなどは品薄状態なのだろうと思い、駅前のセブンイレブンに入ってみた。た しかに、乾電池はなくなっていたが、食料品はたくさんあった。まったくの品薄状態ではない。この店舗での品薄は乾電池に限られていた。

  なぜ、この時期、宇都宮では買い占めが起きていないのか。想像するしかないが、首都圏とは違い、宇都宮は県庁所在地であっても、周囲に農家は多い。そのた め、わざわざ食料品を買い占めなくても、「自給」できる環境ではある。だからこそ、店舗から買い占める人の率は少なかったのではないかだろうか。