閉じる
閉じる
×
どの家にも分担がある。わたしの実家では、箏を教えることと娯楽は母の担当、残りは父が担当していた。
子育ても父の担当だった。わたしがよちよち歩く後についていたのも父だった。
演奏会の舞台で弾いているのが母だと分かると、わたしがお乳を求めて泣き叫ぶので、父が演奏会の合間にお乳をやってくれと母に頼むと、母は着崩れするからイヤだと断ったらしい。
わたしがブランコに乗れないでいると、他の子をどかして乗せてくれた。本人は野球などしたこともなかったのにバットを作ってくれた。いつも父と一緒だったので、幼稚園の入園テストで、ヒヨコと一緒にいるニワトリの絵を見せられ、「これは何?」と質問されたとき「お父さんドリ!」と答えたらしい。子どもと一緒にいるのは父親だと思っていたのだ。そのとき付き添っていたのは父だった。
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
入会して購読
チャンネルに入会して、購読者になればこのチャンネルの全記事が読めます。
入会者特典:当月に発行された記事はチャンネル月額会員限定です。
週刊文春デジタル
更新頻度:
毎週水,木曜日
最終更新日:2024-11-21 05:00
チャンネル月額:
¥880
(税込)
ニコニコポイントで購入
この記事は月額会員限定の記事です。都度購入はできません。