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  • お天気は変えられない

    2012-12-12 15:38
    東京の自宅に三週間も居て久しぶりに北京の自宅に戻った日に風邪を引きました。
    東京の服装のままで子供達と庭で遊んだからです。体は素直に寒いと分かっていましたが、「もうちょっと」という心がいけなかったようです。

    ソフトブレーン創立20周年の記念行事もあって私は東京 - 札幌 - 大阪 - 上海 - 北京の順で巡回してきました。それぞれの行き先で古い友人と会うのは楽しみですが、お天気だけはなかなか把握する余裕はありません。しかし、着いてからすぐ着替えるという簡単な対策で風邪を引かずに無事に乗り越えました。

    家族の待つ北京自宅に戻ってから風邪を引くとは完全なる自分の安心感によるものです。安心して着替えなかったからです。企業では、若い社員が風邪を引くと上司の方がよく「気が緩んだからだ」と叱りますが、フリーターの私は自分で自分を叱るしかありません。

    お天気は変えられません。我々個人が着替えることでその変えられない天気に対応するしかありません。しかし、ビジネスとなると多くの人はこの単純な理屈を忘れてしまいます。

    景気はいつどうなるか分かりません。誰がリーマンショックを予想できたでしょうか。政治はいつどうなるか分かりません。40年間も棚上げしてきた小さな無人島がなぜ急に経済にショックを与えるのでしょうか。

    最初は理不尽と思ったり落ち込んだりしますが、よく考えてみればこの問題が起きなければ別の問題が起きるのです。景気と政治もお天気と同様にいつどうなるかはまったく分かりません。我々個人が唯一できることは素早く着替えることです。

    長年、自分の会社を経営しながら経営コンサルタントをやってきましたが、良い企業と良くない企業を見分ける簡単な方法があります。なぜか良い企業ではあまり景気の話をする人がいません。政治の話も話題にしません。逆に業績を景気と絡める会社はだいたい良くない会社ですし、政治について熱く語る経営者はだいたいやる気のない経営者です。

    良いビジネスマンは政治や経済に鈍感ではないのです。むしろ敏感だと思います。しかし、彼らはその政治と経済の環境はお天気だと捉え、文句や言い訳をするのではなく、自分が素早く「着替えること」で対応しているのです。人によってはそれをチャンスとして捉え、長期的な戦略に活かす場合も多々あります。

    「人は世界を変えるために生きている」とアップル創業者ジョブズ氏が言いましたが、それは奔放な彼の語り口であり、彼流の世界観であり、大いに尊重します。しかし、もしこの言葉がヒトラーの口から出てきた場合、あなたはぞっとするでしょう。

    ジョブスが現在のアメリカではなく、中世ヨーロッパや文革期の中国に生れたらとてもそんなことは言えないはずです。

    我々ビジネスマンは世界を変えるために居る訳ではありません。我々が世界を変えることはできないし、変える前に自分を変える努力すべきです。個人にとってマーケットは変えられません。政治は変えられません。経済は変えられません。それぞれの個人の思惑と立場と価値観が異なるからです。

    結婚している方なら分かると思いますが、我々は一人の異性の性格さえも変えられません。変えようと思ったのは若い頃の無知に由来した妄想です。ましてや部下を変えるなんて妄想中の妄想でしょう。

    お天気は変えられませんが、着替えることで対応しましょう。
  • 日本は成熟社会か

    2012-11-28 17:343

    最近、気になる言葉があります。それはよく人々の話に出てくる「日本は成熟社会だ」という「定説」です。何を持って成熟したと言っているのでしょうか。

    政治といえばいつまでも政権交代がメインテーマで、地方分権、経済成長と国際化などの前向きの議論になりません。暴動が起きない安定性は羨ましいのですが、毎年総理が変わる政治は果たして成熟政治でしょうか。

    政権ごとに過去への解釈と態度が変わり、両国トップ間の約束を「外交文書にしていない」といって無視するような外交は果たして成熟外交でしょうか。今後誰が日本のトップとの会話を信用するのでしょうか。

    企業に未だに「年功序列」、「終身雇用」、「男尊女卑」などの古い風習が蔓延り、若者と女性の才能を活かせない経済は成熟経済でしょうか。企業と個人間に未だに契約書すら存在しない雇用関係は成熟した労使関係でしょうか。

    ベンチャー精神が後退し、若者が海外に出て行かず、行動範囲がどんどん小さくなる社会は成熟と言うでしょうか。若者の闘争心と競争心の無さを豊かさのせいにするのは成熟社会の必然でしょうか。

    ここ30年間、日本は進化したところがたくさんあります。しかし、それは成熟とはほど遠いものです。それを一番象徴しているのは人間の力にあります。人間の精神がどんどん幼稚化しているのに社会がどうして成熟したと言えるのでしょうか。社会とは人間社会のことではないのでしょうか。

    私は「老害」を批判しながらも、尊敬している人の大半は「年寄り」であることに自分も驚きます。よくよく考えて気付きましたが、彼らを昔から尊敬していたのです。年寄りを尊敬しているのではなく、尊敬している人が年をとっただけです。

    「暴走老人」にしても「老害」にしても、結局周囲に彼らを止めるだけの力量を持つ次世代のリーダーが居ないから、老人の「暴走」と「害」を許しているのです。成熟すべき世代が成熟しないのだから、社会全体が未熟に向かうのです。

    尖閣問題はその典型なのです。「石原さんが買うから、仕方がなく国が買った」というロジックが通じるのは今の日本だけです。「営業部長がやるというから会社が仕方なくやりました」という経営者は成熟した経営者でしょうか。

    外国では通じないだけではなく、20年前の日本にもあり得ないことです。重大な外交問題と国策が国政選挙も通っていない一老人に左右されるならば、その国の外交は安定性と信用性がない未熟外交です。

    1980年代、石原さんは今と同じように国会でいろいろと奇抜な発言をしたのです。自民党の政治家が「あなたは小説ばかりを言わないで政治家として大説を語ったらどうだい」と一喝したものです。そういう成熟さがあるからこそ、日本は安定政治を維持し、経済成長にエネルギーを集中させたと思います。

    我々企業経営者には「成熟経営」を語る人はいません。笑われます。なぜならば企業には成長と衰退しかないからです。成熟は衰退を意味します。

    しかし、衰退は決して怖いものではありません。長い旅の中の一休みと思えばいいのです。大切なのは衰退を誤魔化さず、素直に認識することです。衰退を成熟と言って誤魔化しているうちには成長はありません。

    明日は人生ではじめて友人の結婚式で仲人を務めます。久しぶりに聞く「未熟者ですが・・・」という新婚さんのご挨拶を楽しみにしています。「未熟」には夢と希望があります。

     

  • 経営者の政治

    2012-11-28 17:31

    私が知っている偉大な経営者達はだいたい政治と距離を置きます。政治は経営の邪魔さえしなければよいと考えているからです。しかし、私が知っている偉大な経営者達は見事な政治力を持っています。彼らの政治力は社内の結束と社外のマーケティングに大変な威力を発揮しています。

    一見矛盾のようですが、そうではありません。政治家達の政治と経営者達の政治が違うのです。本来、政治には一つの意味しかありませんが、「経済は一流、政治は三流」と言われる中、政治家の政治と経営者の政治がどんどんかけ離れて行きます。

    一人でも多くの社員に理解されるように、一人でも多くの顧客に評価されるように、一人でも多くの株主に魅力を感じてもらえるようにと、良い経営者は日々頑張ります。これは政治家の数の原理とまったく同じです。自分側の人数を増やし、ライバル側の人数を減らすことは経営の政治の基本であり、本来、これは政治家の政治の基本とまったく同じです。ただ、経営者たちは知らずにやっているだけです。

    サルやオオカミの群れにも政治が存在する訳です。政治は何も難しいことや汚いことではありません。群れで行動する時に、社会が形成する時に必要最低限の仕組みに過ぎないのです。

    政治力が一番求められるのは群れのリーダーです。ゆえにリーダーシップの本質は政治力です。本来、政治は「大人の汚い権力闘争」でもなければ、人間特有のものでもありません。政治は生命現象の一部であり、社会形成のツールなのです。

    漢字から考察しても「政治」の本来の意味が見えてきます。「政」は「正しい文人、文化」です。「治」は「台」を築き上げて水をおさめるという意味です。

    古代の黄河流域では、民の最大の脅威は洪水でした。氾濫した黄河が大切な農作と農地を台無しにするだけではなく、家や家族の命も奪ってしまうからです。
    この時のリーダーは農民をまとめ上げ黄河の水を治める人でした。

    「大禹」という人が最初に土堤(台、ダム)を築き上げて洪水を治める限界を看破したリーダーです。いくらダムを高く造っても、洪水が運んできた土砂で底が上がってくるのでいずれ決壊します。彼は住民や農地の少ないところのダムを敢えて決壊させ、洪水を導く方法を提案しました。

    総論に賛成しても決壊場所に家と農地があった民は、その具体論に反対するのです。彼らを説得し、反対を抑えたことこそ、「大禹」のリーダーシップでした。「決断」という漢字はこのことを表現するための言葉です。ダムの「央」の一部を無くして、水を流すのは「決断」の「決」です。

    泥をかぶっても一部の人間を説得したり、抑えたりして全体利益のために決断を下し、それを実行させるのが政治なのです。この力は全てのリーダーに必要であることは言うまでもありません。

    周知のように、理念と建前だけで経営が上手く行くならば、良い経営者の必要がなくなります。経営理念と建前を掲げながらも、結果を出すために、葛藤、苦闘、妥協、孤独などの泥臭い部分と付き合うのが経営者です。

    しかし、多くの政治家は結果責任を取らず、その時々の国民の人気だけをとって当選を目的にしているのです。これが経営者達の政治と根本から違うところであり、「経済は一流、政治は三流」の原因でもあるでしょう。