すべてはマックのために マクドナルド
先天的な才能に恵まれていた訳ではない中田英寿がサッカーだけでなく、日本のビジネスシーンでも大成功を収めた大きな要因のひとつは自分で考え抜く問題解決能力だ。シンプルに物事を捉え、目的を達成する方法を探し全力で実行することで偉業を成し遂げてきた。当たり負けしないためのフィジカル、走り続けるための体力、そして正確なボールさばきを磨き続けた。
ここでは、中田英寿の様に問題解決能力を最大限に活かし、どん底であった業績をV字回復させ、日本一の利益を生む外食産業の雄を紹介する。問題解決能力がいかにして、ビジネスを成功に導くかを解説する。
2003年9月まで24カ月連続で既存店売上が前年同月比でマイナス、決算は2期連続で最終赤字を喫し、瀕死の状態であったのが日本マクドナルドだ。日本マクドナルドが誕生したのが1971年。銀座三越に1号店を開店した。米国に本拠地を置く外資企業でありながら、大家族主義を貫き、むしろ、なまじ日本企業よりも日本型経営の傾向が強い「青い目をした日本企業」だったことはよく知られている。その経営は、米マクドナルド本部からほぼ独立していた。それは、創業者であり、伝説の経営者とも言われる藤田田のカリスマ性によるところが大きいと言われていた。
しかし、マクドナルドのブランド力も時とともに落ちていき、ハンバーガーの価格を65円、80円、59円ところころ変えたり、業績の落ち込みを猛烈な出店でカバーするといった場当たりの戦術を行なった結果、同社の企業価値、体力は徐々に落ちて行った。
そこで、赤字に苦しむ同社の立て直しのために白羽の矢が立ったのが、アップルコンピュータ日本法人社長の原田永幸氏だ。IT業界から外食業界への意外な転身に、新聞や雑誌には「マックからマックへ」の見出しが躍った。2004年2月に日本マクドナルドのCEOに就任した。
赤字であった同社の売上を5年で、日本外食史上初の5000億円の大台にのせ、経常利益182億円、当期純利益123億円までにした。2012年、外食上場企業・経常利益ランキングでは237億円と2位のゼンショーホールディングスの138億円をはるかに上回っている。前年比で減益になるなど、マスコミでは不調が強調されているが、断トツのトップ利益を維持しているのだ。
それでは、どの様にして原田氏は日本マクドナルドを驚異的な勢いでナンバーワン企業にしたのだろうか。それを可能にしたのが問題解決能力だ。原田氏は日本マクドナルドの問題点を探る為にある数字に着目した。そこで見つけたのが、1店舗あたりの平均売上高とある数字の関係だ。売上高と逆の相関関係を示していたのが「離職率」だった。だからといって、離職率を下げ、採用コストが縮小でき、売上高があがれば良いという単純な解答では、ナンバーワン企業にはなれない。