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「人間」を知ることの重要性|奥山真司の地政学講座|SJ
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「人間」を知ることの重要性|奥山真司の地政学講座|SJ

2013-11-05 14:31

    「人間」を知ることの重要性

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    おくやまです。
    
    先週末のことですが、私が所属する
    日本クラウゼヴィッツ学会で研究発表をしてきました。
    その時に色々と学んだことを少し書きます。
    
    今回の学会の発表研究テーマは、
    クラウゼヴィッツの「摩擦」という概念について。
    
    この「摩擦」というのは、『戦争論』の中で
    クラウゼヴィッツが提唱したいくつかの概念の中でも、
    いまだに戦略研究の中で
    ホットな議論のネタとなっている1つであります。
    
    この「摩擦」、実はそれほど難しい概念ではなく、
    クラウゼヴィッツ自身は、
    
    「戦争は、なかなか思った通りにいかない障害に満ちあふれている」
    
    という風に説明しており、この「障害」のことを
    「戦争における摩擦」(friktion im kriege)
    と彼自身は呼んでおります。
    
    実はこの「摩擦」という概念は
    かなり応用の効くものでして、戦争だけでなく、
    一般的なビジネスや、われわれの生活一般にも当てはまるもの
    と言えるでしょう。
    
    たとえば、われわれが普段通りに
    会社や学校に行こうとしても、
    電車が遅れたり事故で
    道が混んでいたりするような場合があります。
    
    これは「計画を思い通りに行かせてくれない、
    思いがけないハプニングで起こる障害」という意味で
    「摩擦」であると言えます。
    
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    さて、この「摩擦」という概念なんですが、
    これについてバリー・ワッツ(Barry D. Watts)
    というアメリカの元軍人が、
    この分野では非常に有名な論文を書いています。
    
    http://www.clausewitz.com/readings/Watts-Friction3.pdf
    
    今回の私の発表は、このワッツの論文の内容の概略を、
    議論の叩き台として発表・説明するものでした。
    
    このワッツの論文のテーマは極めて単純・明確。
    どういうことかというと、
    
    「クラウゼヴィッツの摩擦という概念の重要性は、
    いくら先端テクノロジーの発展をもってしても、未来永劫残るものである」
    
    というものです。
    
    このワッツの立場というのは、いうなれば、
    「摩擦」というクラウゼヴィッツの概念を強固に支持する
    「クラウゼヴィッツ主義者」の立場なんですね。
    
    米軍は戦争を遂行する際に発生する
    さまざまな「摩擦」を、センサーや無人機などの
    最新テクノロジーをつかって解消しようとする傾向が多いわけですが、
    ワッツの議論はこれに水を差すようなものと言えるでしょう
    
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    ではワッツは、クラウゼヴィッツの「摩擦の重要性が
    未来永劫変わらない理由」を
    どのように説明して論じているんでしょうか?
    
    彼はこの理由を、カオス理論や物理学、
    それに進化生物学や軍事組織の基本的な構造など、
    実に様々な分野の知見や知識を引っ張ってきて論じます。
    
    論文としては、このような広い知見による理由付け
    というのは見事だなぁと思ったわけですが、
    実は論文のメインテーマと同じように、
    「摩擦」がなくならないとするワッツの論拠は一貫しております。
    
    それは、「人間」という要素です。
    
    いきなり「人間」といわれても、「なんのこっちゃ!???」
    かもしれませんが、これはつまり、戦争の遂行には
    「摩擦」を発生させる「人間」が構造的に組み込まれている。
    
    つまり、人間が関わってくるからには、
    絶対に「摩擦」はなくならないというわけです。
    
    たとえば、米軍は無人機を大量に使って、
    タリバンをはじめとするイスラム原理主義者のような
    "アメリカが認定"する「テロリスト」たちを
    精密爆撃によるピンポイントで次々と狙って殺害しております。
    
    アメリカくらいの(衛星や無人機などを使った)
    監視能力の高さや攻撃手段の精密度が
    最高レベルのものであっても、
    それを実行する際には、ものごとを判断する「人間」がいるので、
    誤爆のような「副次的な被害」(コラテラル・ダメージ)は
    絶対になくならない、ということです
    
    人間の限界が生じさせている「摩擦」というのは、
    いくらテクノロジーが発展したとしても克服できない
    というワッツの議論は、かなり説得力のあるものだと言えるでしょう。
    
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    話は飛びますが、私は最近、
    いわゆる「ソーシャルメディア」について書かれた、
    ある興味深い本を読んでおります。
    
    参照:
    ▼トム・スタンデージ著「ソーシャルメディアの2千年」
    (http://geopoli.exblog.jp/21408411/)
    
    この本の極めて面白い指摘としてあったのは、
    
    「近年インターネットを通じて爆発的に広まった
     ソーシャルメディアというものは、実は決して新しいものではない」
    
    という意外な結論です。
    
    どういうことかというと、
    19世紀から盛り上がってきた「マスメディア」の以前の時代の
    メディアの歴史を考えてみると、人間というのは
    実に様々な手段(石版、手紙、パンフレット)を使って、
    常に「ソーシャルメディア」と同じようなことを展開してきたというのです。
    
    この本の著者の究極の結論も、
    
    「使っているテクノロジーは違えど、
     人間のやることは過去も未来も変わらない」
    
    という、まるでワッツと瓜二つのようなもの。
    
    われわれはどうも新しいテクノロジーや技術というものに
    目を奪われがちですが、どうもものごとの本質は
    そこにはないんじゃないでしょうか。
    
    カギはあくまでも「人間」なのであって、
    この未熟で不完全なために「摩擦」を発生させる存在を
    どこまで織り込んで戦略を考えていけるのか・・・・
    
    私は最近、自分の先生である戦略家のコリン・グレイと、
    ビジネス論の大家であるピーター・ドラッカーという
    分野の異なる両者の格言を比較した
    「国家戦略とビジネス戦略を同時に学ぶ」というCDを作ったのですが、
    両者が強調していたのも「人間」を知ることの重要性でした。
    
    ▼「国家戦略とビジネス戦略を同時に学ぶ」CD(戦略の階層2)
     http://www.realist.jp/gvsd.html
    
     このCDの中でも解説しておりますが、
     コリン・グレイは、自著『戦略の格言』において、
     「格言22.人間が最も重要である」
     として取り上げるほど、この点を強調しています。
    
    戦略論とテクノロジー論の二つの文献を読みながら、
    私はあらためて「戦略は人間である」という基本的なことを、
    じっくり考え込んでしまいました。
    
    ( おくやま )
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