おくやまです。
前回は「バック・パッシング」という 大国が頻繁に使う戦略について述べてみましたが、 今回も引き続きこれについて書いてみたいと思います。 この「バックパッシング」というのは、 一体どのような場合に行われるのでしょうか? 私が翻訳したミアシャイマーの『大国政治の悲劇』では、 単なる「バック・パッシング」の歴史上の使用例だけでなく、 これが使用される際には4つのパターンがある、 ということを説明しております。 実際にこの本の第5章に書かれていることをまとめると、 以下のようになります。 1.バックパッシングする側(バック・パッサー)は、 侵略的な国と良い外交関係を保とうとする、 もしくは、少なくとも刺激しないようにする。 2.バック・パッサーは、バック・パッシングされる側(バック・キャッチャー) との関係を疎遠にする。 3.バック・パッサーは、いざという時にそなえて、 自国の力を増強しようとする。 4.バック・パッサーは、バック・キャッチャーの国力増強を支持する。 おわかりいただけるでしょうか? ただしこれだと「パッサー」とか「キャッチャー」という言葉が出てきて 少々わかりづらいかもしれないので、 より具体的な例に当てはめて考えてみましょう。 -:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:- まずはキャラクターの設定です。 登場人物はアメリカ、日本、中国としましょう。これはいいですよね。 そして、 ●バック・パッシングする側、つまり「バック・パッサー」をアメリカ。 ●バック・パッシングされる側、つまり「バック・キャッチャー」を日本。 ●「侵略的な国」を中国。 ということで考えてみましょう。 これを上の4つのパターンにそのまま当てはめてみると、 とても面白いことがわかります。 1.アメリカは、中国と良い外交関係を保とうとする、 もしくは、少なくとも刺激しないようにする。 2.アメリカは、日本との関係を疎遠にする。 3.アメリカは、いざという時にそなえて、 自国の力を増強しようとする。 4.アメリカは、日本の国力増強を支持する。 ううむ、なんだかこれは 現在の東アジアの状況に当てはまっているとは思えませんか? たとえば(1)は、まさにオバマ政権が 習近平政権に対して行っている行動そのものであり、 最近の防空識別圏の問題へのあいまいな対応などは その典型です。 (2)ですが、これは安倍政権とオバマ政権との関係を そのまま表していると言えるでしょう。 これは、もはや周知の事実となっているように、 中国が日本とアメリカの間にくさびを打ち込むべく、 様々な活動を行なっている・・・という影響もあるかと。 (3)ですが、すでにアメリカの軍事力は圧倒的でありながら、 財政危機による軍事費削減があるくらいですから、 実際にはこれに当てはまらないと言えるかもしれません。 しかし少なくともアメリカの国防省は 「エアシー・バトル」という作戦構想や、 「オフショア・コントロール」という軍事戦略が 議論されていることから、いざとなったら「対中国」で 軍備をさらに増強する可能性も大いにあります。 (4)ですが、これは主にアメリカの共和党や国防省が 日本に対して行っている行動に当てはまると言えます。 また、アメリカが「アベノミクス」を容認して評価していることも、 これに当てはめて考えてもいいかもしれません。 いずれにせよ、このミアシャイマーの 「バック・パッシング」のメカニズムについての4つのパターンは、 東アジアの国際的な状況を見るときに 色々なヒントを教えてくれるものである、というのは 間違いないところだと言えるでしょう。 -:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:- ここで覚えておかなければならないのは、 上のいずれのパターンも、アメリカが中国という脅威に 直接対決したくないために行う、 実に「利己的な動機から行われる行動」である、 ということです。 そしてそれは、アメリカ自身の国益に最もかなったものなのです。 前回と同じことの繰り返しになりますが、 国際関係というのは危険なビジネスです。 日本は、アメリカによって中国へとぶつけられずに 国力を上げることができるのか・・・・ これは日本だけでなく、中国とアメリカという 他のプレイヤーの思惑もかかってくるために、 外交面でかなりのスキルが必要になってくることは 言うまでもありません。 日本の現状において、ミアシャイマー教授を始めとする 「リアリズム」学派の学者や知識人達が説く主張からは、 現実政治を読み解く上で、多くの示唆を得ることが出来ます。 こうして「アメ通」を読み続けている皆さんでしたら、 国際政治に関する様々な学説などは既にご存知でしょう。 しかし、この「リアリズム」という学派が、 日本でどれほどの人から認識されているのか?と想うと、 正直に言って、非常に心許ないものを感じるのも事実です。 もちろん、私自身が多くの翻訳をした、ということもありますが、 この「リアリズム」という学問から得られる知見を もっと多くの人に知って頂きたいと想っております。
( おくやま )