おくやまです。
直近の安全保障関連のニュースとして
世界のメディアが最も注目しているのは、
イスラエル軍のガザ侵攻と、マレーシア航空撃墜疑惑事件。
とくにイスラエルの件では、
ガザ地区に徹底抗戦を仕掛けているというだけでなく、
イスラエル側の人間が、軍のガザへの空爆の様子を
丘の上からスポーツ観戦するように楽しんで見ている報道
(http://goo.gl/tyC04m)が非難されておりまして、
パレスチナ側の被害だけでなく、他のプロパガンダ戦でも
イスラエル側にかなり不利な材料が出てきております。
さて、この二つの出来事ですが、互いには全く無関係ながら、
そこには一つの共通項があると私は考えております。
それが「間主観性」(inter-subjectivity)という問題です。
「はぁ・・・?なんですか?そのワケのわからない小難しい言葉は・・・?」
と、皆さん、お感じかもしれません。
ですが、これは実は意外に理解しやすい概念ですので、
今回もちょっとお付き合い下さい。
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この「間主観性」という概念は、
そもそも、社会学の専門用語として出てきたもので、
私が学んできた国際関係論という分野では、
「コンストラクティビズム(社会構成主義)」
という学派の人たちがよく使うものです。
"学派"と言っても、ここではその点は
あまり重要ではないので、詳細は割愛させて頂くとして、
ズバリその要点だけいえば、
「一定数の集団の中だけで共有されている“事実”」
という感じになるでしょうか。
「・・・。おくやまさん、これじゃあよくわからないです・・・。
もっと具体的な例を・・・」
という方もいらっしゃると思いますので、
実際の例で見てみましょうか。
たとえば、
今回のマレーシア航空機撃墜事件ですが、
ロシア政府とウクライナ政府(と西側メディア)の間では、
「誰に撃墜の責任があるのか」で意見が完全に割れております。
日本国内の報道などに触れていると、
どうしても西側各国メディアの影響を強く受けてしまいますので、
ウクライナ領内の分離独立勢力(親ロシア派)が
ロシア製の防空ミサイルを使って誤爆したのでは?
という分析に多く触れることになります。
▼「露からブク」証拠映像あるとウクライナ大統領|yomiuri online
http://www.yomiuri.co.jp/world/20140720-OYT1T50131.html
ところがロシア側のメディアではそれが正反対でして、
たとえばこの原稿を書いている時点では、
撃墜された時間にその空域ではウクライナ軍の
Su-25攻撃機が近くを飛んでいたという報道がされております。
▼Ukrainian Su-25 fighter detected
in close approach to MH17 before crash - Moscow
http://rt.com/news/174412-malaysia-plane-russia-ukraine/
さらに、イスラエル軍のガザ侵攻に至った件でも
ウクライナでの構図と、基本的には同じことです。
つまり、地下トンネルを掘って
エジプトなどから武器や物資を違法に仕入れ、
イスラエルの住民にロケット砲を撃ちこんでいる
パレスチナ側は「テロリストである」、
というのがイスラエル政府側の言い分。
その反対に、パレスチナ側の言い分は、
そもそも暴力的に先祖代々のわれわれの土地を奪って
追い出したイスラエル側こそが「テロリストである」!
となります。
そうなると、「事実」の解釈が文字通り正反対なのですが、
この双方の主張はそれぞれの社会の中では、
どちらも合意された「正しい事実」となります。
※
更に考慮する必要がある重要な点として、
国際政治の場では、「客観性」や「真実」というものは、
<情報戦・プロパガンダ戦によって歪められている可能性がある>
ということがあるのですが、これは別の機会に説明します。
※
ここで、「ああ、お互いの見解が違うのね」
と言ってしまえば、それで話が終ってしまうのですが、
実際は今回のテーマである「間主観性」の問題というのは、
もうひとヒネリあります。
つまり、イスラエルとパレスチナのような、
宗教と民族の問題がからんでくると、
双方がそれぞれの「間主観性」を持つことになり、
そもそもものごとの「共通の理解」が成り立たず、
「見解の相違」は開くばかり。
それぞれの民族がそれぞれに主張する「真実」は
相手を非難したり攻撃したりするのには効果を発揮しますが、
そんな状況下においては、
互いに客観的な事実を詰めて一つの客観的なことで
合意を得るということは、容易ではありません。
結果として、現在行われているような、
激しい憎しみを伴う、際限のない殺し合いや、
狡猾な情報戦が行われることになるわけです。
私達日本人の多くはイスラエルやウクライナの情勢を見て、
「・・・なんとも救いようがないなぁ・・・」
と感じているであろうことは容易に想定できますが、
残念ながら、これが国際政治の現実なのです。
そして、まずはこの冷酷な現実を直視しましょう、
というのが本稿の基本方針でもあります。
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同じ国の人間としては、おそらく、
世界一仲の良い日本人同士というのは、
どうしても「人間同士はわかりあえる存在である」
と思い込み、それに過剰な期待をしがちです。
ところが世界には実際にはこのような
日本人だけに存在する「間主観性」的な理解を、
共有できない人間がたくさんおります。
いいかえれば、「相互理解できない人間がいる」
のであり、しかも世界では「理解できないほうが当たり前」、
という事実を、われわれは淡々と粛々と
受け容れなければならない段階ではないでしょうか。
日本周辺がかなりきな臭くなっている昨今の情勢で、
とても大切な事実は、残念ながらそこに
「わかりあえない人間がいる」という「事実」。
このことを前提に国際関係を考えていくほうが、
むしろ日本にとって建設的ではないでしょうか?
イスラエルのガザ侵攻や、マレーシア航空撃墜事件などを
リアルタイムで目の当たりにしてしまうと、
改めてそう感じざるを得ません。
( おくやま )
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どうも日本人は価値観の違いを、好き嫌いの違い程度にしか捉えてないように思えます。
そのせいか、相手の価値観はこうだと話しても、自分の価値観に合わないものをなかなか認めようとはしません。
それどころか、こちらをまるで差別主義者と言わんばかりに非難したりすることもままあります。
相手の価値観すら認められないほうがよほど酷い差別だろうと思われるのですが、本人にその自覚はありません。
そういう意味で日本人は、善意の差別主義者といえるかもしれません。