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おくやまです。
あけましておめでとうございます。
昨年は、おかげさまで5冊も
(4thターニング、ルトワック、クラウゼヴィッツ、ミアシャイマー2冊)
出版できまして、まさに「レコードイヤー」となったわけですが、
とくに後半にあまりブログを更新できなかったのが心残りでした。
新年もすぐに孫子やクーデター、
それにグレイやルトワックなどの
4冊の本の出版がすでに決定しておりまして、
日本の戦略に関する議論に
わずかながらでも貢献できればと考えております。
さて、今回は拙訳『米国世界戦略の核心』でも有名な
ハーバード大学教授のスティーブン・ウォルトが
フォーリン・ポリシー誌のブログに書いた記事の要約です。
国際関係論という学問では
基本である「バランス・オブ・パワー」(勢力均衡)
という概念を中心に、アメリカの対外政策のまずさを
指摘した興味深いものです。
リアリストの面目躍如というか、
この本でも展開されたような、実にウォルトらしい議論です。
この背景にあるのは、やはり
「アメリカの大戦略は19世紀のイギリスを真似ろ」
ということでありまして、あからさまに
「分断統治」を勧めているところなどは、
リアリストたちの大戦略についての議論に出てくる
典型的な政策提言です。
ところが問題は、このような議論が
「人気がない」という点にありまして、
アメリカの外交エリートたちには
本当に状況がまずくならないと
なかなか受け入れられない政策を提案している
ということでしょう。
「敵を無駄に団結させている」という議論も、
陰謀論的な発想をすれば
「アメリカが戦争の永続化を企んでいる」
という反論もできそうですが、ウォルトの根底にあるのは、
目先の利益や正義などに振り回され、
集団的な利益を考えられずに
集団的に行動せざるをえない人間のイメージでしょうか。
そうなると、人間(この場合はアメリカ)は
「バランス・オブ・パワー」のような
人間社会の単純なメカニズムを忘れてうろたえてしまう、
ということになります。
つまりシンプルにいえば「人間はアホである」
という想定なのでしょうが、これをカッコよく言えば
古代ギリシャで劇などのテーマで
何度も繰り返された「悲劇」になりますね。
今年こそはわれわれもこのような事例を
「他山の石」として賢明なポリシーを貫きたいものです。
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バランス・オブ・パワーを忘れていないか?
byスティーブン・ウォルト
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Who’s Afraid of a Balance of Power?
The United States is ignoring
the most basic principle of international relations
, to its own detriment.
BY STEPHEN M. WALT | DECEMBER 8, 2017
https://foreignpolicy.com/2017/12/08/whos-afraid-of-a-balance-of-power/
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もしあなたが国際関係論の入門コースを
大学などでとったことがあり、教師が
「バランス・オブ・パワー」(勢力均衡)の概念を
教えてくれなかったとしたら、母校に連絡して
その授業料を返金してもらおう。
この概念は、ツキュディデスの『ペロポネソス戦争(戦史)』や
トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』、
それに古代インドのカウティリアの『実利論』、
そして近代のリアリストであるEHカー、
ハンス・モーゲンソー、ロバート・ギルピン、
さらにケネス・ウォルツらの研究にとっても
中心的な概念となっている。
ところがこのような長い傑出した歴史を持っているにもかかわらず、
このシンプルな概念は、アメリカの対外政策を担う
エリートたちのあいだでは忘れられていることが多い。
なぜロシアと中国が協調しているのか、
もしくはなぜイランが様々な中東のパートナーたちと
勢力を結集しつつあるのかに疑問を感じる代わりに、
彼らはそれが独裁主義や反射的な反米主義、
さらにはその他のイデオロギー面での団結にある
と想定するのだ。
このような「集団的な記憶喪失」のおかげで、
アメリカのリーダーたちは無意識的に敵をまとめてしまい、
そのような勢力を分断できるチャンスを
見逃してしまうことになる。
バランス・オブ・パワー
(もしくは私の提唱したバランス・オブ・スレット:脅威均衡)
の土台にあるロジックはわかりやすいものだ。
国家には互いに相手の攻撃から守ってくれる
「世界政府」のような存在が存在しないため、
国家は占領されたり強制されたり危機に直面する事態を避けるため、
自分の持つ資源や戦略に頼らなければならない、ということだ。
強力な国家や脅しをかけてくる国に直面すると、
恐れをなした国家というのは、国家間のバランスを
自らになるべく優位な状態にシフトさせようとして、
自らの資源を更に投入したり、
同じ危険に直面している他国との同盟を求めるものだ。
それが極端になると、同盟には、
たとえば以前は敵と見なしていた国や、
さらには将来的に敵となることがわかっているような国との
共闘も必要になってくる場合も出てくる。
だからこそアメリカとイギリスは第二次世界大戦において
ソ連と同盟を組んだのが、これは彼らの間で、
ナチス・ドイツを倒すことのほうが
長期的な共産主義の懸念よりも重要である、
と認識されていたからだ。
ウィンストン・チャーチルの名言に
「もしヒトラーが地獄を侵攻するというのであれば、
私は英国下院で悪魔についても好意的な演説をするだろう」
というものがあるが、これはまさに
バランス・オブ・パワーのメカニズムを完璧にとらえたものだ。
フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトも
ドイツ第三帝国を倒すためであれば
「悪魔と手を握る」という似たような発言をしている。
同盟相手を本気で求めている場合、
その相手を選んでいる余裕はないのだ。
当然ながら、「バランス・オブ・パワー」のロジックが
アメリカの対外政策、とりわけ安全保障の懸念が
深刻になってきた場合において、
重大な役割を果たしていることは言うまでもないだろう。
アメリカの冷戦時の同盟(つまりNATO、北大西洋条約機構であり、
アジアにおいてはハブ・アンド・スポークと呼ばれる
二国間条約によるシステム)は、ソ連にバランシングして
封じ込めるために結成されたものであり、これと同じ動機のおかげで、
アメリカはアフリカ、ラテンアメリカ、
そして中東などの地域の独裁的な政権を支援したのである
同様に、一九七二年のリチャード・ニクソンの中国との国交回復は、
ソ連の台頭の恐怖や、北京との関係強化は
モスクワを不利にすることになる
という判断によってもたらされたものだ。
ところがその長い歴史や継続的な妥当性にかかわらず、
政策担当者や知識人たちはバランス・オブ・パワーのロジックが
同盟国と敵側の双方の行動をどのように突き動かしているのか
について見誤ることが多い。
この原因の一つは、アメリカで一般的に見られる
「国家の対外政策は、外的な状況(直面する様々な脅威など)ではなく、
そのほとんどが国内政治の性格(リーダーの性格や政治・経済体制、
もしくはその国で支配的なイデオロギーなど)によって決定される」
と捉える傾向から生まれている。
このような観点からみれば、アメリカの「自然な」同盟国は、
われわれと価値観を共有する国、ということになる。
アメリカを「自由世界のリーダー」と言ったり、
NATOのことをリベラルな民主制度によって構成された
「大西洋横断コミュニティー」と言う人々は多いが、
この時に暗示されているのは、これらの国々が
「世界秩序のあるべき姿」について
共通の展望を持っているので互いに支え合っている、ということだ。
もちろん「共有された政治的価値観」というのは
全く意味がないものだとは言い切れない。
たとえばいくつかの実証的な研究では、
民主制国家同士の同盟は、独裁国家同士の同盟や、
民主制と非民主制国家による同盟よりは
いくらか安定していることが示されている。
それでも「国内政治の性格が、敵・味方の判別につながる」
と想定してしまうと、われわれはいくつかの点において
ものごとを見誤ってしまうことになる。
第一に、もし「共有された価値観」が
われわれを結びつける強力な力だと信じてしまうと、
われわれが持つ既存の同盟関係のつながりの強さや
継続性というものを勘違いしてしまうことにもなりかねない。
その典型的なのがNATOだ。
ソ連崩壊はこの同盟関係の最大の存在理由を消滅させることになり、
新たな任務を与えるために多大な努力が必要になったわけだが、
それでもこの同盟関係の崩壊を予兆させる
問題の繰り返しや増加は止めるには至っていない。
もしアフガニスタンやリビアにおける
NATOの作戦が上手く行っていれば事情は違ったのだろうが、
実際は失敗しているのだ。
もちろんウクライナ危機はNATOの緩やかな衰退を
一時的に止めることになったのかもしれないが、
それでもこの事実は、NATOのまとまりをつくる「外的な脅威」
(つまりロシアがもたらす恐怖)の中心的な役割を
あらためて強調したにすぎない。
「共有された価値観」というのは、大西洋両岸の
三〇カ国近くの国家による同盟関係を十分に維持する上では
単に不十分なのであり、しかもNATOが土台としている
リベラルな価値観を、トルコ、ハンガリー、
そしてポーランドが破棄してしまった現在においては、
ますますその不十分さが浮き彫りになってきている。
第二に、もしバランス・オブ・パワーを忘れていると、
他国(非国家アクターの場合もあるが)が自国に対して
まとまって歯向かってくるような状態に驚かされることになる。
たとえばブッシュ(息子)政権は、二〇〇三年に
国連安保理にイラク侵攻案を了承させようとした時に、
フランス、ドイツ、そしてロシアらがまとまって
妨害してきた時に驚いている。
その理由は、サダム・フセインを排除してしまえば、
結果的に自分たちが被害を被ることになることを知っていたからだ
(そして結果的に彼らは実際に被害を受けた)。
ところがアメリカのリーダーたちは、
なぜこれらの国々がサダム・フセインを排除し、
地域を民主化するチャンスに乗らないのかを
理解することができなかったのだ。
ブッシュ政権で国家安全保障アドバイザーをつとめた
コンドリーザ・ライスは、後に当時を振り返って
「あえて大胆に言うと、われわれは
単純にわかっていなかったのだ」と認めている。
また、アメリカの政府高官たちは、
イランとシリアがアメリカの侵攻の後に、
イラクの反抗勢力を共同で助けはじめたことについても驚かされている。
もちろんブッシュ政権の「地域民主化」を失敗させることは、
イランやシリアにとっても完全に合理的なものであることは
言うまでもないことであったし、しかもイランとシリアは、
イラクの占領がうまくいけば、その次の「標的」になったはずなのだ。
つまり彼らは、脅威にさらされた国々が
普通に行動するように行動したまでであった
(しかもこれはバランス・オブ・パワー理論の予測の通りである)。
もちろんアメリカ側にとってこのような行動は好ましからざるものだが、
それによって驚かされてはいけないのである。
第三に、政治・イデオロギー的な結びつきに注目したり、
共有された脅威の役割を無視してしまえば、
われわれは敵を実際よりも強固にまとまった存在
と見なしてしまうことになる。
アメリカの政府高官やコメンテーターたちは、敵が単なる「手段」、
もしくは戦術的な理由によって協力しているという点を見逃しつつ、
「敵は共通の目標に向かって互いに深く協力している!」
と考えがちだ。
たとえば冷戦初期にアメリカでは共産圏を
非常に統制のとれた一枚岩の存在であり、
すべての共産主義者たちを
「クレムリンの息のかかった工作員である」と誤信していた。
この間違いのおかげで、彼らは中露間の間の強烈な分断を
見抜けなかった(否定した)だけでなく、アメリカのリーダーたちは
非共産主義の左派までが親ソだという
誤った想定をしてしまったのである。
ちなみに、ソ連のリーダーたちも同じ間違いをしており、
第三世界の社会主義者たちを
共産主義に取り込もうとして何度も失敗している
嘆かわしいことに、このような誤った直感的な想定は、
たとえば「悪の枢軸」(イラン、イラク、北朝鮮は
同じムーブメントによって動かされているという想定)や
「イスラモ・ファシズム」(Islamofascism)という言葉などからも
わかるように、相変わらず生き続けている。
過激主義者たちのムーブメントを、
異なる世界観や多様な目標を持った、
互いに競いあっている組織として見るかわりに、
アメリカの政府高官や知識人たちは、
彼らがまるで全く同じ作戦要項を使って行動しているかのように語り、
そのように行動してしまうのだ。
ところがこれらのグループは、一つの共通のドクトリンを持って
強く結びついているような状態からはほど遠く、
深いイデオロギー的対立や
個人的なライバル関係によって悩まされており、
強い信念というよりは、状況的に発生した必要性によって
共闘していることが多い。
もちろん彼らはトラブルメイカーではあるが、
それでもすべてのテロリストたちを
「一つのグローバルなムーブメントの下で働く一兵卒」
であるかのように想定してしまうと、
その脅威を実際よりも恐ろしいものとして映し出してしまいがちだ。
さらに悪いのは、そのような過激主義者たちの間にある
分裂や分断状態を促す方策を求めさせる代わりに、
ワシントン政府は彼らを一致団結させてしまうような
行動や発言をしてしまうことが多いことだ。
わかりやすい例を挙げてみよう。
イラン、へズボラ、イエメンのフーシ派、シリアのアサド政権、
そしてイラクのサドル派らの間には、
たしかにイデオロギー面でいくらかの共通点はあるのかもしれないが、
これらのグループはそれぞれ異なる利益やアジェンダを持っており、
彼らの間の協力関係は、
イデオロギー的に統一されてまとまったものというよりも、
むしろ戦略的な同盟として理解するほうが正しい。
彼らに対して全面的に否定するような行動
―サウジ・アラビアやイスラエルはこれを期待しているのだろうが―
をしても、それは単に彼らのような敵たちに対して、
互いに協力させるように駆り立てる理由を与えてしまうだけだ。
最後に、バランス・オブ・パワーの力学を無視してしまうことは、
アメリカが持つ最大の地政学的な面での優位を無駄にすることにつながる。
西半球における唯一の大国であるアメリカは、
同盟相手の選択肢は豊富であり、潜在的に彼らに対して
大きなレバレッジを持っていることになる。
アメリカは地理的な孤立によって与えられている
「タダの安全」のおかげで「お高くとまる」戦略、
つまりある地域のライバル関係が激化した時にはそれを活用し、
距離の離れた地域にある国家や非国家アクターたちを
アメリカの賛意や支援を得るために争わせ、
現在の敵たちの間にくさびを打ち込むチャンスを待つこともできるのだ。
このアプローチには柔軟性や、地域の情勢についての深い理解、
他国との「特別な関係」を回避すること、
そして価値観の違う国を敵対視しないような態度が必要になってくる。
あいにくだが、アメリカはここ数十年間にわたって
その正反対のことを、とりわけ中東でやってきたのだ。
アメリカは柔軟性を見せるかわりに、
まったく同じパートナーとつきあいつづけ、
彼らを自分たちの思い通りに行動してもらう代わりに、
彼らをどうやったら安心させることができるのか
ばかりに気をとられてきたのだ。
われわれはエジプト、イスラエル、
そしてサウジ・アラビアとの「特別な関係」を、
それを正当化する理由がなくなりつつある中で、
ますます深めてきてしまったのだ。
そしていくつかの例外をのぞけば、イランや北朝鮮のような敵国を、
脅される「のけ者」として扱って制裁を加えてきたのだが、
彼らとは交渉してこなかったのだ。
そして嘆かわしいことに、その結果は明白になっている。
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( おくやま )
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