前回発行した創刊号を読んでいただき、
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発信し続けますので、これからも宜しくお願いします。
「汗をかかない女優」
さて、今年の夏は異常に暑かった。
日本のみならず、アメリカも暑かった。
脳みそが蛋白質で出来ているのが、
実感できるほど、暑かった。
暑いと言ったら、これまでで一番暑い経験が、ラスベガス。
ラスベガスに初めて行くので、どのくらい暑いか分からないから、
昼間、車で移動。
もう、これが間違っていた。
道は高速道路のフリーウェイーだが、
だだ、延々と砂漠の中の一直線を走るだけ。
砂漠のど真ん中に、突如、聳え立つラスベガスの街。
街に着いて、車から出た瞬間、
鼻から吸い込んだ空気が熱く、鼻の穴が焼けどした、と思ったほど。
車は、触れることすら出来ないほど、ガンガンに熱くなっている。
車のボンネットに卵を落とすと、目玉焼きが出来るほどと言われている。
ラスベガスがあるネバダ州では、
昼間飛んでいる鳥が熱で落ちてくることがあると言う。
つまり「焼き鳥」。
冗談はさて置き、ギラギラと突き刺さるような暑さで、
あれ程、暑い夏の日は初めてであった。
それでは、日本で一番暑い夏を経験したのは、愛知県豊橋。
映画「早咲きの花」の撮影である。
昭和29年、豊川海軍工廠が空襲に遭い、
学徒動員の多くの子ども達が亡くなった実話を映画化した作品。
空襲があったのが、8月7日なので、
私は、太陽の光や、草木の緑が同じような強さで輝いている、
8月に撮影すると決め、豊橋を訪れたのである。
ジリジリと照りつける太陽。
吹き出す汗。
水分補給する冷水は、直ぐに汗となり、ほとばしる。
現場で何度着替えても、追いつかなかった。
そして、豊橋の暑さは、それまで経験した暑さと違い、
ボディブローのようにゆっくりと、確かに効いてくる暑さ。
熱中症で病院に運ばれた出演者の子ども達が何人いたことか。
私も、撮影中、眩しくて、サングラスを手放すことが出来なくなった。
室内での撮影にも拘らず、
頭がボーっとして、演出するのが非常に辛い時があった。
これは、後で分かったのだが、熱中症で自律神経がやられ、
瞳孔が閉じなくなっていたのである。
スタッフ全員がサウナに入っているのかと思うほど、
汗だくになりながら、
そして、熱中症を患うほどの暑さの中で、
汗ひとつかかないで芝居をしていた女優がいた。
浅丘ルリ子さん。
彼女は、芦田淳さんのスーツを身にまとい、
我々と同じ炎天下での状況で、
照明のライトやレフ板からの反射日光を浴び、
我々以上に暑い筈なのに、
額から汗を滲ませることもなく、
汗を一滴も流さず、芝居をしていた。
女優は、通常8月は仕事を断ると言われている。
暑さで吹き出る汗。
その汗で、メイクが崩れたり、顔がてかったりする。
その度に、撮影を中断してメイクを直さなくてはならない。
これでは、仕事にならない。
そして、これは女優のせいではなく、自然の摂理である。
だが、どんな過酷な暑さの中でも、
汗を一滴もかかない女優がいた。
彼女は言った。
「暑いからと言って、汗をかいていたら、
仕事にならないでしょ」
「心頭滅却すれば火もまた涼し」
汗をも止めてしまう集中力。
正にプロの技。プロの仕事。
浅丘ルリ子さんと一緒に仕事をして、
大女優とはどういうものかということを教わり、
益々尊敬する方になった。
暑い夏になるといつも想い出すエピソードである。
【THE ROAD TO 映画監督】
「スコット監督の話」
またしても、映画監督が亡くなった。
最近公開された「プロメテウス」のプロデューサーで、
最後の監督作品が「アンストッパブル」のトニー・スコット。
イギリス人だが、彼が作り出す映画には、
物語を引っ張っていくエンジンの強さがあり、
時には強引にも感じるが、かつてのアメリカ映画的エネルギーを感じる。
そんな力強さが好きで、彼の監督作品を多く観ていた。
惜しい監督が、また一人、この世を去った。
トニー・スコットの兄が、ご存知の方も多いと思うがリドリー・スコット監督。
「デュエリスト」で監督デビューしてから、
「エイリアン」「ブレードランナー」「ブラック・レイン」と
独特の質感と映像で成功を収めていたリドリー・スコット監督だが、
「男は描けても、女が描けない」と、ハリウッドの業界で言われ、
そこで彼が、「女を描く」作品として取り上げたのが、
「テルマ&ルイーズ」。
そして、リドリー・スコット監督が「テルマ&ルイーズ」のロケハンをしていた時、
私も、全く同じユタ州でロケハンをしていて、
よく同じレストランで出会った。
スタッフとテーブルで食事をする彼。
多分、その日のロケハンの話をしながらの食事だが、
スコット監督は物静かで、彼の声が聞こえてこない。
大柄な態度や人を威圧するような態度が全くない。
しかし、彼の作品には、
命を賭して闘う男達が描かれ、
これでもかと言うくらい、バック・ライティング(※)に拘り、
映画から独特の質感と臨場感が溢れ出る作品が多い。
※バック・ライティングとは、
登場人物などの被写体が、逆光のライトによってシルエット状、若しくは輪郭が強調されて浮かび上がる照明方法。
リドリー・スコット監督は、映像の確固たるスタイルを持った監督であり、
彼独自の世界感を作り出している。
「監督のスタイル」
映画監督のスタイルって何?
一緒に仕事をする助監督に聞いたことがある。
日本の助監督は10人いたら10人が監督を目指している。
(アメリカ映画界の助監督はそうではなく、生涯助監督に徹する)
「監督志望だよね?」
「はい」
「将来、監督になったら何をしたいの?」
「……監督です」
将来、映画監督になりたい人で、
その為に、映画の現場で助監督を務め、
監督の勉強を積んでいる人でも、
夢は「監督になること」で、
「監督になってから何をしたい」かが、見えていない。
映画監督は、オーケストラの指揮者の様に、
現場のスタッフやキャストを動かす事が好きで、
映画監督になるのではない。
岡本喜八監督が言ったこと。
「映画監督になる条件は三つ。
ひとっつ。声が大きいこと。
ふたっつ。人前で困った顔をしないこと。
みっつ。誰もやってないことをやること」
一つ目は、映画の現場では、スタッフ、キャスト、エキストラの人が
数十人から数百人。時には千人以上。
その人々に、説明や演技指導をしなくてはならないから、
声が大きくなければ仕事にならない。
二つ目は、監督は常に、選択に迫られている。
雨雲が近づいて来ている。
曇り空で撮影するか、雨が過ぎ去るのを待つか?
役者の演技が、いまいちだが、次のカットに進まなければ、
そのロケーションでの撮影が終わらない。
この芝居でOKを出すのか、もう一度撮影するか?
そんな時、監督が迷った顔をすると、スタッフは不安になる。
だから、監督は、どんな状況でも、絶対不安な顔は見せてはならない。
そして、三つ目が重要。
「誰もやってないことをやる」
つまり、既に誰かがやったことをやっても、監督としては駄目だということ。
常に、新しいビジョンを持ち、
創造的でなければならないということ。
己のスタイルを見つけること。
それが、監督のスタイル。
最後に、お知らせです。
日本映画名作祭2012が11月9日(金)と10日(土)
北海道札幌市のちえりあホールで、
「ぼくらの七日間戦争」が上映されます。
映画祭側のこだわりで、35ミリプリントでの上映です。
映画上映後、監督トークが予定されていますので、
もし、お近くにお住まいの方がいらっしゃいましたら、是非どうぞ。
お問合せ先は、札幌映画サークル TEL:011-747-7314
札幌市生涯学習総合センター TEL:011-671-3425
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