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【非会員でも閲覧可】為五郎オリジナル小説⑤『Dear My Friends』第3話
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【非会員でも閲覧可】為五郎オリジナル小説⑤『Dear My Friends』第3話

2018-06-21 06:24

     その後、まずプレハブに姿を表したのは、大学の警備員であった。エリにしては珍しく機転を利かせたようで、警察に連絡するついでに第二学舎の一階にある警備室にも立ち寄ったらしい。

     ところが、このいかにもうだつの上がらなさそうな男性警備員は、ちっとも役に立たなかった。私達からほんの軽くだけ事情を聞いた後、

    「俺らみたいな警備員はさぁ……」

     たぶんまだ二十代のはずなのに、悪い意味で年輪を感じさせる顔をいっそうしかめながら、彼はぼやくように言った。「事件を未然に防ぐのが仕事であって、もう起きちゃったものはどうしようもないんや」

    「いや、でも、こうやって人が倒れてるんですよ! なんとかしないと!」

     私が必死になって訴えても、彼は眠そうな目で倒れている桜井を見ながら、

    「とりあえず君らが110番してくれたんやろ? じゃあ、後は警察に任すしかないなぁ……」

     と、そのまま立ち尽くしてしまう始末だった。 

     警察の人間が現れたのは、それからさらに十五分くらい経った後の事であった。

     我々を確認して、すぐさま私服や制服姿の刑事達が入り乱れるように部屋中を物色し始める。――もちろん、倒れている桜井を中心に。

     当然、ただちに役立たずの警備員はその場から排除されてしまった。

     ……しばらく呆然と彼らの行動を眺めていた我々に、初老の男が声を掛けてきた。

    「君らは医大生か?」

    「……は?」

     ただでさえ状況を把握しきれていなさそうなエリにとって、このいきなりの質問はあまりにも酷過ぎたのだろう。「いえ、偉大というほどたいした人間ではございません」

    「泉州大学は普通の大学ですけど」

     偉大すぎる天然ぶりを発揮する相方の代わりに私が答えると、

    「じゃあ、医学部の子か?」

     男は自分の眼鏡を触りながら、間髪入れずに再び尋ねてきた。見るからにねちっこそうな顔立ちをしているだけあって、仕草までいやらしい。

    「違います。二人とも文学部です」

    「それなら、倒れている人間を見つけた場合は、まず救急車を手配するべきやろう」

     彼が細い目で私を睨みつける。

    「でも、あんなに頭から血を流していたら、誰だってもう死んでると……」

     うわずった声で反論する私に対し、

    「だから、君は医者なんか?」

     ため息をつきながら彼は言った。「素人が勝手に人の生死を判断するな」

    「じゃ、じゃあ桜井さんは生きてるんですか?」

     食ってかかるようにエリが訊くと、

    「……いや、残念ながらもう死んでるな」

     桜井の方を振り向きながら、男は首を横に振った。「俺は検視なんかできへんから、はっきりした事は言えんけど、恐らく死んでからもうだいぶ時間が経ってるって感じやわ」

    「やっぱり……」

     わかっていた事とは言え、私が顔を俯ける。

    「とにかく、今から現場の捜査を本格的に始めるから、ちょっとここを外して欲しいんや」

     ぶっきらぼうにそう述べた後、彼は近くに居た制服姿の若い男を呼び止めた。「おい、この子らをよそで待機させといてくれや」

    「あ、はい!」

     ――ちょっと緊張気味に答えるその若い警官によって、私達はそのままプレハブに隣接する、第二学舎の狭い一室へと移動させられたのだった。

     普段は実験の授業にでも使われているのであろうその無機質な部屋からは、プレハブの様子はおろか、すぐ外の状況すらほとんど見えない状態だったのだが、大学中が騒がしくなっている事くらいはなんとなく伝わってきた。まぁ、大学内で変死体が発見されたのである。たぶん、学長を始め学校関係者等も警察によって呼び出されているに違いなかった。

     それでも我々はじっと待機している事を要求された。これが気を動転させている女子大生への単なる気遣いではない事くらい、いくら世間知らずの私でも理解できた。第一発見者イコール第一容疑者だなんて図式は、今時ミステリー好きでなくても知っている。

     重苦しい沈黙が室内を支配する中、年齢相応に経験が不足していると思われる若い警官は、ずっと直立不動のままで私達を監視していたのだった。嘘でもいいから『大丈夫?』だとか『心配ないから』なんて声を掛けてくれれば、こちらも少しは気が紛れる場面なのに、そんな心配りをとても期待できないほど、彼は張り詰めた形相を保っていた。むしろこっちが『大丈夫?』だとか『心配ないから』と声を掛けたくなったくらいだ。

     だけど、見知らぬ新米警官よりも、私にはもっと心配しないといけない人間が、すぐ近くにいた。

     ……案の定、彼女は少し体を震わせながら、すっかり塞ぎこんでしまっていたのだ。

     そりゃあそうだろう。エリからしてみれば、また高校時代と同じような状況で、身近な人間の死体を見てしまったのである。そんな時に、何を話せと言うのだろう。どうやって明るい顔を作れというのだろう。

     そして、私もこんな状況にふさわしい話題なんて全然思いつかなかった。どうやら私が無口になるのは、気になる異性の前だけではなかったようだ。

     やがて二時間くらい経っただろうか。

     突然、私達が待機していた部屋の扉が大きな音と共に開いた。

     そこにはスーツ姿の若い男が立っていた。

     ……ただ、そんなに安っぽいスーツでもなさそうなのに、その男からは洗練さの欠片も感じなかった。歓迎会に喪服で出席する親友を持った私が言うのもなんだが、明らかに着慣れていない感じ――もし、ファッション誌のキャッチコピー風に表すのならば、『永遠の成人式』といった風な佇まいだ。

    「ええっと……」

     彼は、ぼさぼさの頭を掻きながら、ゆっくりと我々に近づいてきた。「君達は、一回生なのかな?」

     いきなりよくわからない質問だった。今日はこんな経験が多いような気がする。

     じっくりと嘗め回すような視線を送る男に、乙女として、もっと言えば人間としての警戒心を最大限に発揮させながら、私は

    「はい」

     と、答える。

    「やっぱりね」

     彼がにやっと笑う。その後に続いたのは大欠伸だった。「……眠いなぁ。君達が第一発見者なんやってね。でもさ、なんで昼間に発見してくれへんねん! おかげで俺の貴重な睡眠時間がだいぶ削られたわ!」

     頭を掻きむしったおかげで、彼の髪型はさらに前衛的なものへと変化してしまった。

     ――年の頃は二十代半ばといったところだろうか。顔立ちは悪くないものの、あまりにだらしない格好と動作だったので、私は最初彼が刑事だとは思わなかった。

    「すみません……」

     さらに、そんな言いがかりとしか言えない彼の言葉に対して、素直に謝るエリの神経もわからなかった。

    「う~ん、だけど君達の名前まではさすがにわからへんな」

     相変わらず眠そうな顔を両手でさすりながら、彼は呟いた。「じゃあとりあえず、トム子ちゃんとジェリー子ちゃんでいこうか」

    「……私は濱本綾香で、こっちは溝端愛理です!」

     危うく勝手に気持ちの悪いアダ名を付けられるところだった。

    「ああ、綾香ちゃんと愛理ちゃんね。二人とも、見た目同然に可愛い名前してるやん」

     笑顔で応じる彼。「こういった些細な褒め言葉が、乙女心をくすぐるんやってね。雑誌に書いてたわ」

     いい加減イライラしてきた私が、キッと睨みつけながら、

    「失礼ですが……」

    「ちょっと、失礼な事はやめてや!」

    「じゃあ、失礼じゃないですが!」

     かなり好意的に考えれば、彼が登場したおかげでそれまでの張り詰めた空気が緩和されたといえる。冷静に考えれば、事態の重さを忘れそうになっていたのだけど。「あなたは誰ですか?」

    「誰やと思う?」

    「知りませんよ!」

    「俺の名前は降矢拓実(ふるやたくみ)って言うねん!」

     甲高い声で自己紹介する男。「……なぁなぁ、ちなみに俺って何歳に見える?」

    「何歳って……」

     それまでおどおどしている様子で私達の会話を聞いていたエリが、ようやく口を開いた。「ええっと、二十四歳くらい?」

    「ふふふふふ! やったなぁ! 実は二十五歳やねん! 一歳も若く見られたわ!」

     降矢が嬉しそうに表情を緩ませた。

    「それより」

     ようやく肝心の質問をぶつける時が来た。「名前はわかりましたが、そもそもあなたは何者なんですか?」

    「一言で言えば、曲者やな」

    「じゃあ、ここからすぐに出て行ってください!」

     私の苛立ちがピークになる時も来た。「あたし達は今、馬鹿な話に付き合っている余裕がないんです!」

    「でも、職業は刑事です」

     一転、真剣な顔つきに変わる降矢だった。「大阪府警の人間なんです」

    「刑事さんなんですか!?

     この男が入ってきても監視役の警官が何も言わなかった時点で、さすがに私は彼の身分がおおかた予想できていたのだが、悲しい事に我が親友にとっては新鮮な驚きだったようだ。「凄いやん!」

    「うん。まぁ厳密に言えば“刑事”じゃなくて、“警部補”やけどな」

    「……ああ、そうなんですか」

     醒めた口調でそう返すと、

    「え? どうしてこの年齢で、警部補なんですかって驚きはないの?」

     がっかりしたような声で降矢が訊いてきた。

    「いやぁ、別に警察の組織なんてよくわからんし……」

     私が困惑しながら答える。

    「結構凄い事なんやで!」

     降矢が必死な形相で説明し始めた。「結構凄い事なんやで!」

     本人にとっては二回繰り返すほど凄い事なのかもしれないが、なんせこちらは素人なもんだから、二十五歳の彼が警部補だとして、それがどう凄いのかが全く理解できなかった。

    「へぇ、めっちゃ凄いなぁ!」 

     柄にもなく空気を察したのか、エリがひきつったような笑顔で頷く。

    「そう、凄いねん。で、なんでこの年齢で警部補まで上り詰めたかというと、それは俺がエリートで、なおかつキャリアであり……」

    「あ、それより刑事さん!」

     思い出したかのようにエリが大声を出したおかげで、降矢の子供っぽい自慢話が中断させられた。「事件は解決したんですか!?

    「へ?」

     虚をつかれたように大きく目を見開く降矢。「……いや、解決も何も、まだ現場検証が終わったばかりやで!」

    「あ、終わったんですかぁ」

     彼女が、いかにも知能指数の低そうな声を出した。

    「そうそう。だからこうやって君らを呼びに来たんや。で、なんで俺が捜査に加わったかと言うと、それはやっぱりエリートで、なおかつキャリアであり……」

    「で、犯人は誰なんですかぁ!?

     追い討ちをかけるようにエリが尋ねる。

    「だからさ、捜査はこれからなんやって!」

     苛立ったように地団駄を踏む彼であった。「……とにかく、今から君達には現場にもう一度戻ってもらう。そこで、詳しい話を聞きたいねん」

    「え……またあの場所に行かないといけないんですか?」

     露骨に顔を歪めた私の心境を察したのか、

    「大丈夫。もう遺体は運び出してあるよ」

    「そうですか……」

     安堵、なのだろうか。私は軽く息を吐いた。

    「被害者は演劇部の部長さん、やったっけ? 若いのに気の毒やな……」

     物憂げな表情へと変わる降矢を見ても、今までの能天気な態度が、落ち込んでいる私達を元気付ける為なのか、それとも素だったのかは判断できなかった。こういうタイプって、わかりやすいようで一番本音が掴み取りにくい。

    「部長ではないですけど、桜井さんは演劇部のリーダー的存在でした」

     私も暗い顔になる。

    「そうそう、桜井君って名前だっけ。……いや、実は俺もさっき到着したばっかりで、あんまり詳しい内容を聞いてない状態なんよね。ほら、現場の人間はキャリアに冷たいというか……」

    「でも、また死体を見るのは怖いなぁ! うちはここでいたいわ!」

    「だから、さっき運び出したって言ったやろ!」

     エリと降矢はつくづく相性が悪いらしい。いや、むしろ良いのかもしれないけど。「ああ、じゃあ君達も演劇部員なんやな」

    「簡単な推理やなぁ」

     思わず失礼な事を口走ってしまう私。

     ……何故か、この男には親近感のようなものを感じた。一応、キャリアらしいけど。

    「うるさいなぁ!」

     照れたように顔を赤くする彼。「ほら、早く行こうや! 事件は実験室で起きたんじゃない。プレハブで起きたんや!」

     ちょっと懐かしいようなフレーズを残して、降矢は先に部屋を出て行った。

     私達も、言われた通りに彼の後を着いて行く。

     第二学舎の外に出てみると、思ったとおり大学の関係者と思われる人達がキャンパスにたむろしていた。当たり前といえば当たり前だが、現場への立ち入りを許可された人間はごく少数だったようで、かなりの人達が遠巻きにプレハブを眺めながら色々と語り合っている。薄っすらと聞こえてくる会話の内容からいって、今はまだ情報が錯綜している段階なのだろう。

     そんな中で、スーツ姿の男に連れられて堂々と『立ち入り禁止』のロープをくぐり抜けていく我々は、いやがおうにも周囲から大きな注目を浴びてしまうのであった。

     プレハブの目の前まで来てから、降矢は私達の方を向いた。

    「……それにしても、変わった構造の建物やな」

    「え? どういう事ですか?」

     唐突な彼の発言に戸惑う私。

    「まず、何の為の“二重扉”なのかがわからへん」

     そう言いつつ、彼は一番目の扉を開き屋内へと足を踏み入れた。「一見、防犯上の仕組みなんかなと思わせといて、この通り最初の扉には鍵がついていない。つまり、ここまでは誰でも入れるって事や」

     プレハブ本体のドアの前で降矢は両手を広げてみせた。

    「そうですね」

     私とエリも続いて中に入る。

    「じゃあ、一番目の扉は意味ないやん!」

    「それは、あたしも常々思ってました。だけど、一年間も通っているともう慣れたというか、この建物はこういうものなんやって、勝手に納得してましたね」

    「俺は今日始めて来たから、なかなか釈然としませんな」

     彼はプレハブ本体の周りを早足で歩き始めた。「要するに、プレハブを塀で囲ってるんじゃなくて、大きなプレハブの中に、小さなプレハブが入ってるって事なんやな」

    「そういう事になりますね」

     自然に彼の後を追っていく形になる私とエリ。

    「外側の建物の大きさは、ざっと歩幅で測った感じでは、十五メートル四方ってところや。で、プレハブ本体は十メートル四方くらい」

    「はぁ……歩幅でわかるんですか」

    「肩幅よりは測りやすいで」

     そんな会話をしつつ、我々はプレハブ本体の周りをぐるっと一周した。この行動に何の意味があるのかは把握できなかったが。

    「予算が余ってたんじゃない?」

     エリの無駄な推測が入る。「だから、こんな訳のわからん造りになったとか!?

    「大学をぱっと見た感じでは、とても予算が余ってそうに見えなかったけど」

     愛する我が大学に、失礼な指摘を行う降矢。「それとも、この構造もアレと何か関係があるのかな……」

     独り言のようにモゴモゴと喋る降矢に、私が我慢できなくなって声を掛けた。

    「あの、さっきから何を喋ってるんですか!?

    「日本語や。……まぁ、プレハブとかメートルとかは外国語やろうけど」

     平然とした顔でそう答えた後、降矢は「では、いよいよプレハブ本体に入りましょうか。あ、念の為にこれをつけてね。いくらもう現場検証が終わっているとはいえ、あまりベタベタと指紋を残されまくっても困るからね」

     と言いながら、私達に白い手袋を手渡した。彼も含め、その場で手袋を着用する。

     ――こうして私とエリは、数時間ぶりに忌まわしき現場へと舞い戻ったのであった。

    「……お疲れ様です」

     さっきの嫌らしい初老の男が、降矢を確認するなり即座に頭を下げた。自分が警察内でそれなりの地位を持っているという彼の説明も、あながち嘘ではないらしい。

     さらに『現場検証が終了した』という降矢の説明も正しかったようで、室内にはもうほとんど捜査員が残っていなかった。

    「お疲れ様です」

     降矢も軽く頭を下げる。

    「この子達は、倒れている人間を発見してすぐさま警察に電話して来たんですよ」

     ……まだその一件をひきずっているのか。想像以上にしつこい男だ。さぞかし周囲から嫌われているんだろうな。「まずは救急車を呼ぶのが筋でしょう」

     嫌味っぽい笑みを浮かべながら、私とエリを見つめるその男に対して、

    「それを言うなら、あなたももっと早く僕に連絡して頂きたかったですね」

     ぴしゃりと冷たく言い放つ降矢だった。「事件が発覚して一時間も経ってから、ようやく連絡してくるなんて、怠慢だとしか思えませんが」

     たちまち、その男の顔が赤く染まる。

    「すいません……」

     いい気味だった。

     プレハブの内部には、桜井専用の事務机(もちろん、元々から備え付けられていたモノなのだが、ここ最近は完全に彼の私物と化していた)、多くの資料や脚本を収めた本棚、堅強そうな金庫、そして数々のトロフィーを飾る為の棚が設置されている。これらは全て入り口から見て対面、つまり一番奥にあった。――裏を返せば、これくらいしかない質素な部屋である。特にドア付近には何も置かれていなかった。さらに、なんとこの部屋には『窓』というものが存在していない。まるで、牢獄のような造りだ。

     部屋自体の大きさは、さっき降矢の説明にもあった通り、十メートル四方といった感じか。前に『学校の教室くらいの大きさ』と表現したが、とにかく三十名弱の部員を抱える演劇部としては、決して広いとは言えない間取りである。

     とりあえず、そこまでの状況は普段から嫌になるくらい見慣れている風景でもあった。

     違うのはここからだ。桜井が倒れていたのは、彼の机のすぐ近くであった。もちろん、今はそこにもう桜井の姿はない。降矢の説明通り、もう運び出されたのだろう。一緒に転がっていたトロフィーはまだそのままにされていたが、彼が倒れていた部分には、チョークによって人型の線が書かれてあった。

    「あ、これってドラマとかで見た事があるわ!」

     空気を読まない、というよりは読めないエリの大声が、室内にこだました。

    「そうそう、俺も始めて見た時は興奮したねん! 『ああ、ホンマにこんなのするんやな』って!」

     一緒になってはしゃぎ始める降矢。さっきの初老の男に対する冷静な対応を見て、実はちょっと見直していたりもしたのだが、そういった私の思いも簡単に吹き飛んでしまった。

    「これってどうやって書くんですか? 何で書いてるんですか?」

    「ああ、これはね、結構安いチョークなんやけど……」

    「ねぇねぇ! そんな事よりも、あたし達に話があるんでしょう?」

     呆れた顔で私が降矢を睨みつける。

    「違うよ。話があるんじゃなくって、話を聞きたいねん」

    「じゃあ、早く聞いて下さいよ!」

    「どうしたん? 綾香ちゃん、機嫌悪そうやん」

     こんな現場で機嫌良くしている方が不気味だと思うが。

    「どうでもいいから、真面目にやって下さい!」

    「それでは、真面目に聞きましょう」

     言葉通り真面目な表情に戻って、降矢は私達を見据えた。「とりあえず桜井君、だったっけ。彼の遺体を発見した時の状況を詳しく……そう、本気で詳しく教えてもらえるかな」

     そこから私とエリは、“本気で詳しく”発見時の状況を説明した。……というよりは、彼によって無理矢理させられた。

     どうでもよさそうな事までねちっこく尋ねられたり、同じ事を何度も繰り返して訊き返されたりしたおかげで、私達は実質十分に満たないであろう経験の説明を、二十分以上にわたって繰り広げるといった快挙を達成したのであった。

    「……なるほどね、ありがとう」

     話疲れて少しぐったりとなっている我々の前で、そして事件現場で、それ以前に他人の敷地内で、さも当然といった風に煙草を吹かし始める降矢。

    「あたし、煙草は苦手なんですが……」

     わざとらしく咳き込みながら、苦言を呈する私に、

    「ああそうなんや。俺は得意やで」

     何を言っても無駄なようだった。「まぁ、事件のあらましはだいたいわかったわ」

    「じゃあ、犯人もわかりました!?

     飛びつくように訊くエリ。

    「もう! 愛理ちゃんはせっかちすぎるねん!」

    「だって気になるもん!」

    「俺も気になってるねん!」

    「……あのう、一つ質問があるんですけど」

     そんな中、私がおずおずと尋ねる。「さっきから、フロヤさんも……」

    「“降矢”や! 俺は番台さんか!」

     憤慨したように彼は声を荒げた。

    「……すみません。その、さっきから降矢さんもエリも、今回の出来事が“事件”だって言ってますけど、本当にそうなんでしょうか?」

    「うん? どういう意味?」

     降矢は興味深げに私の顔を覗き込んだ。「それは、俺への告白と受け取っていいんかな?」

    「全然良くない! あんたアホやな!」

     思わずタメ口になってしまう私。彼からすれば、我々の緊張をほぐす為のジョークなのかもしれないが、ついさっきまで遺体があった場所で、その遺体を発見した人間に対する言葉としては、不適切この上ないものとしか言えない。

    「そ、そうなん!? ハマちゃん、この刑事さんに一目惚れしたん!?

     私の台詞を聞いていなかったのか、エリが大袈裟なリアクションを取る。「そこまで言うほど男前じゃないのに……」

    「わぁ! ひどい! 親父にも言われた事ないのに!」

     合わせる様に大袈裟に嘆く降矢。本当に、二人は波長が合っているのかもしれない。

    「要するに、ですね……」

     まともに相手をする気力も失せていた私が、ぐったりしながら話を戻す。「桜井さんはあのトロフィーが頭に当たって亡くなったって事ですよね」

    「まぁ、トロフィーが少し変形している上に、桜井君の血液まで付着してるんやから、そう考えるのが妥当やろうな」

     彼はトロフィーに近づいていって、それを持ち上げた。

    「ちょっと、勝手に触っていいんですか!?

     慌てる私に対して、

    「もう現場検証は済んだんやで。それに、ずっとこれをここに置いてる訳にもいかんやろ」

     涼しい顔でそう述べる降矢。

    「だから、誰かがこのトロフィーで桜井さんを殴って殺したんやって!」

     エリがわめくのを無視して、私は言葉を続けた。

    「でも、状況から考えたら、事件より事故って可能性の方が高いんじゃないですか?」

    「ほう、それはなんで?」

     彼は眉毛をピクリと動かした。「なんで綾香ちゃんはそう思うんかな?」

    「だって……この部屋は、鍵が掛かってたんですよ」

     ちらっとドアの方を見る私。

    「そうらしいなぁ」

     降矢も腕を組みながら同じ方向を見つめた。

    「このプレハブの鍵を所有しているのは、現時点では桜井さんただ一人なんです。そして、この部屋には、あのドア以外に人が出入りできるようなところがありません。窓もないし、裏口もないんです」

    「そりゃあ、なんて個性的な部屋だこと!」

     部屋を見回した後、皮肉っぽいコメントを述べる降矢。

    「じゃあ、仮に誰かが桜井さんをこのトロフィーで撲殺したとして、一体それからどうやって外に出て行ったんですか?」

    「……あ、そうか!」

     エリが納得したように首を縦に振った。「ホンマや! それはおかしいな!」

     すぐ人の意見に流されるというのも、彼女の悪癖の一つだ。たまには良癖(そんな言葉があるかは知らないけど)の方も見せて欲しい。「あ! でもさ、犯人は桜井さんから鍵を奪って逃走したんかもしれへんで!」

     エリにしては、まともな推論だった。犯人が固体でなく気体だったなんて推理を平気でしかねない女にしては――だけど。

    「いや、鍵はちゃんと室内にあった」

     降矢の発言によって、すぐさまエリの推理は破綻してしまった。「桜井君の財布と、そこの金庫の中にね」

     彼が指差した金庫の方を私達は揃って向いた。……なるほど、今までかなり気になっていたあの金庫の中身は、単なるプレハブの鍵だったという訳か。まぁ、エリが言うような『UFOの残骸』では絶対ないと思っていたが。

    「まさか、うちの推理が外れるなんて……」

     まるでこれまで数々の難事件を解決してきた探偵のように、激しく落ち込むエリ。

    「もちろん、合鍵なんかの存在はこれから調べないとわからへんけどね。とりあえず、ひとつはちゃんと金庫の中にあったし、もうひとつは桜井君本人が持っていた財布の中にあった」

    「ひょっとして、金庫の中に二つ以上鍵があったとか……」

    「いやいや、もし仮に、犯人が鍵を盗んで外に出ようとしたならば、わざわざ苦労して金庫を開けて中の鍵を取るなんて馬鹿げた行動を取るより、桜井君の財布から抜き出す方がよほど簡単やと思うけどな」

    「だったら、桜井さんが二つ以上鍵を持っていたとか……」

    「一緒に持ち歩いていたんじゃ、合鍵の意味ねぇじゃん!」

     耳障りな標準語を用いて、彼は私に突っ込んだ。「そもそも、さっき聞いた話だと、桜井君はここの鍵を二つしか持っていなかったんやってさ。だから、彼が鍵を奪い取られたって可能性はまずないなぁ」

    「…………」

     桜井は、たった二つしか持っていない鍵の一つを、エリに預けようとしたのか。複雑な心境となってしまい、何も言葉が出てこない私。

    「でもさ、この金庫を開けるのは苦労したでぇ!」

     能天気な降矢の声で、ふっと私は我に戻った。

    「降矢さんが開けたんですか?」

    「まさか。本当に苦労したのは業者さんや。でも、わざわざ自分の部屋でもない部室の鍵を、こうやって金庫で保管するなんて……だいぶ慎重な性格やったんやろうな、桜井君は」

    「あまり他人を信用していないところはありましたね」

     故人を悪く言うのは嫌だったが……それは事実だった。

     きっと、桜井は私の事も信用していなかったに違いない。具体的な言葉にはしなかったものの、彼の態度はそれを如実に表していたように、今となっては思える。

    「でもな、俺が今回の一件を、事故じゃなくって殺人やと見ている最大の理由は、そこじゃないねん」

     降矢はトロフィーを持ちながら、部屋中をうろうろし始めた。「第一に、事故だとすれば、このトロフィーがあの棚から落ちてきて、たまたまその時に下にいた桜井君の後頭部を直撃したって事になる」

     彼はトロフィーが飾ってある棚を見上げた。棚は、彼の目線より少し高い位置にあった。

    「そうなりますね」

     私も見上げながら相槌を打った。

    「でも、棚と言ってもこの高さやで」

     彼はひょいと棚にトロフィーを置いてみせた。「桜井君がしゃがみこんでいたとしても、たいした高さじゃないやん」

     確かに、私でも腕が届くくらいの高さだ。

    「さらに、このトロフィーくらいの重量では、自由落下速度によって、人にここまで大量に流血させるほどのダメージを与えるのはまず無理なんや」

     降矢が今度はトロフィーを高く持ち上げてみる。彼の腕力がどの程度なのかは知らないが、これも確かにそこまで重そうには見えない。

    「本当にそうなんですか?」

     突然小難しい表現を用いる彼に、私が疑いの目を向けると、

    「うん。……いや、鑑識のおっちゃんがそう言ってたんやから間違いないで!」

     力強く答える降矢だった。

    「……なんや。自分の推理みたいに言っておきながら、結局は他人の受け売りやん」

     エリが冷たい目線を送る。たまに、彼女は実も蓋もない指摘を口走ってしまうので、意味なく相手の気分を悪くしてしまう時がある。

    「ふん! なんとでも言ってくれ!」

     やはりあからさまに機嫌を損ねる降矢。「俺は今までそうやって生き抜いてきたねん!」

    「はいはい、ごめんなさい。この子は言葉が足らないんですよ」

     仕方なく私がフォローにまわる。いつものパターンだ。「それより、第一に……っていう事は、第二もあるんでしょ」

    「そう。それやねん!」

     彼が今度はトロフィーを回し始めた。「第二に、このトロフィーには全く指紋が付着していなかったねん」

    「……だから?」

     エリが首を傾げると、降矢が顔をしかめながら答えた。

    「だからって……このトロフィーが授与された表彰式では、出席者全員が手袋着用やったんかな? それはそれは、潔癖症の集まりやったんやなぁ!」

    「でも、ここに持ってきてから拭き取ったという線も考えられますよね」

     私が食い下がるように反論すると、

    「くくく、この部屋にある他のトロフィーからは、沢山の指紋が検出されているのに、かい?」

     そんな意見は初めから想定済みだとでも言わんばかりに、余裕綽々の笑みを浮かべる降矢。

     正直、その態度にはとてもムカついたので、

    「ムカつく!」

    「え!? ……ご、ごめん」

     彼は萎縮するように謝罪した。攻められるのは弱いらしい。「ま、まぁともかく、張ってあるプレートを見たところ、これは“全国演劇脚本大賞・準優勝”のトロフィーみたいやなぁ。その次の年は優勝したみたいで、その時のトロフィーも同じように飾られてあるのに、これだけは綺麗に指紋をふき取っていたって事? 桜井君はトップよりもナンバー2を喜ぶ、変人さんだったのかな?」

    「……なるほど」

    「それだけやないで。このプレハブ内において、ドア付近からは……もっと言えば、桜井君の机の周り以外のどこからも、指紋が全く検出されなかったみたいやねん」

    「どこからも、ですか?」 

    「そう、どこからも。……どこからもドア」

     付け加えるように言った彼の駄洒落が、全く付け加える必要のなさそうなレベルの代物で、正直とてもムカついたので、

    「ムカつく!」

    「あ、これはホンマにごめん……」

     案外素直な男だった。「でも、この演劇部は全員が手袋着用の義務でもあったん?」

    「え? そんな義務あったっけ?」

    「断じてない!」

     考え込むエリを一刀両断した後、「だいたい降矢さんの言いたい事はわかりました。要するに、それは“第三者”が拭き取ったからだと」

    「そう、そうなの。そして、そんな酔狂な人間がいるとも思えない――桜井君を殺して、その証拠を消したいという犯人でもなければ、ね」

    「ほら、やっぱりそうやろ!」

     胸を張るエリ。「うちは最初からそう思ってたねん! 凄いやろ!」

    「ああ、凄いな凄いな」

     適当にあしらう私。

    「まとめると、つまりこういう事やねん。……ああ、刑事生活もはや四年、ずっと憧れていたこの台詞を、ようやく言える時が来たんやなぁ!」

     感慨深げに一息ついた後、降矢は声を低くして語り始めた。「お集まりの皆さん、恐らくこの事件は……」

    「“密室殺人事件”って事ですね」

    「きぃぃぃぃぃ!!」

     おいしい台詞を奪い取った私を、末代どころか先代まで呪いそうな目付きで睨みつける降矢であった。

     ――それから私達は、彼の指示通り連絡先や必要事項等を書類に書かされた後、ようやく開放される運びとなった。

     長い夜になってしまった。ふと携帯を見ると、日付はとっくに変わっていて、二月二十三日の午前二時過ぎとなっていた。

     私は大学のすぐ近くにアパートがあるので大丈夫だが、もう時間的に、電車は動いていない。しかし、さすがに今からエリを自分の部屋に泊める気分にはなれなかったし、また彼女も今夜は自宅でゆっくりしたいという意向だった。そこで、警察の配慮によりエリは自宅までパトカーで送ってもらうといった、珍しい体験を味わう事となった。

     大学の正門前に停まっているパトカーまで向かう際に、やっと私達は二人きりになれた。

    「……まだ、なんか悪い夢を見てるみたいやわ」

     ありきたり且つ、この場にふさわしすぎる言葉を私がエリに向けて発する。「ついこの間まで、あんなに元気やった桜井さんが、まさかもうこの世にいないなんて……」

     すると、ずっと顔を伏せたまま無言で歩いていたエリが、ぱっと顔を上げて私の方を向いた。

    「なぁ、ハマちゃん」

    「うん? なんや?」

    「……密室殺人事件に遭遇する事と、理想の男性に巡り会う事と、どっちが難しいんやろうなぁ?」

     視線をうろつかせながらそう呟くエリに対して、私はただ絶句するのみであった。

     

     

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