――次の日の朝。午前七時半。
いつものごとく、スマホのアラームによって目覚めさせられた俺が、ただでさえ軋みまくるベッドをさらに軋ませて、ゆっくりと起き上がる。
……いた。
昨晩に突然乱入してきた自称未来っ娘は、依然として俺の居住空間の中に存在していた。
「あ……お、おはようございます、クリエイショナー」
そして彼女が俺に妙な呼称を用いることも、やたらと恭しい態度を取ることも、何ら変化はしていなかった。
「ああ、その、ええっと……おはようございます」
小さな窓から差し込む太陽光に照らし出された彼女の正座姿は、神々しさすら感じてしまうほど、美しいものであった。
……だけど、よく目を凝らすと、何故かその全身は小刻みに震えてもいる。
「あ、あの……その……あの……」
「……ど、どうしたの? 体調でも悪いの?」
「いえ、その、体調が悪いといいますか……」
両手を太ももに挟みながら、もじもじとした口調で答える彼女。「ええっと……非常に申し上げにくいのですが……その、『レストラン』は、どこにあるのでしょうか?」
「……レストラン?」
朝っぱらから何を訊いてくるんだよ、こいつは? 「ああ……確か、このアパートから新興住宅街の方に行く道の途中で、二軒くらいあったはずだけど」
「いや、その……こ、このアパート内には『レストラン』はないのでしょうか?」
「はぁ!? ……ある訳ないじゃん、こんなオンボロアパートに!」
「そ、そんなはずは……」
いかにも信じられないといった表情で俺を見つめてくる彼女であった。……そりゃあ、丸二日間何も食べてないんだから、悲壮な顔つきになるくらい腹が減るのもわかるけどさ。
「心配するなって、レストランなんか行かなくても、今すぐ俺が朝食を作ってあげるからさ」
「た、確かに、お腹も、すっごく空いてはいるんですけど、ね、ええっと……あ、あ、あ、あ、クリ、クリエイショナー、も、もう限界です! 早く、『レストラン』の場所をををををを!」
悶絶するように全身をくねらせる彼女を前にして――俺はようやく悟った。
なるほど、現代でもアレのことを、『レストルーム』と呼ぶ場合がある。それが変化して、未来では『レストラン』と呼ばれるようになるのかもしれない。やっぱり言葉とは、時代と共に少しずつ変化していくもんなんだなぁ……なんて悠長に考えている場合ではなかった。
「あ、あの扉だ!」
俺は慌てて玄関近くにあるトイレを指差す。途端に、立ちあがって走り出す彼女。
……数分後、実に晴れやかな、それでいて実に申し訳なさそうな様子の彼女が、とぼとぼとした足取りでベッドの近くに戻ってきた。
「申し訳ございません……みっともない姿を、お見せしてしまいました……」
「……ひょっとして俺が寝ている間、ずっと我慢してたの?」
「ええ……勝手にクリエイショナーのお部屋を物色する訳にはまいりませんので……」
さすがに恥ずかしかったのか、そのまま黙り込んでしまう彼女に対して、俺は宣言通り朝食を作ってやることにした。今日は豪勢に、魚の缶詰までセットにしてやろう。
最初は『クリエイショナーに食事を作っていただくだなんて、畏れ多いにも程があります! もったいなくて、とても食べられません!』だとかなんとか言っていた彼女も、俺がしつこく促した結果、ものすごい勢いで白飯にかぶりつき始めた。
またもやみっともない姿をお見せしてくれる彼女を前に、一安心する俺。
……ところが、である。
いざ食事が終わると、彼女は箸を持ったまま、もう一度顔を俯けるのだった。
「どうしたの? 一気に食べ過ぎて腹が痛くなったとか?」
冗談っぽく訊いてやってから、俺は異変に気がついた。
彼女のジャージの太もも部分に、次々と水滴が滴り落ちているのだ。
「あ、あたしって、とんでもない失敗を犯してしまったんですね……」
彼女の鼻声が、狭い室内に響く。「昨日は混乱しすぎてよく把握できませんでしたが……本来ならば、隣の部屋に住む真壁透を協力者にするはずが、よりにもよって、クリエイショナーご本人を巻き込んでしまうだなんて……」
「……………………」
何て声をかければいいのかわからなかった。
「クリエイショナーは、とてもフェアで、潔癖で、プライドの高いお方です。このプロジェクトを知ったところで、協力に応じていただけるはずがない……それは、他ならぬクリエイショナーご本人がおっしゃっていたことなんです。だから絶対に、クリエイショナーご本人には悟られないように、あたしはこの任務を遂行しなければいけませんでした」
ああ、ややこしいな! ……要するに、現在の俺が協力するはずがないと、未来の俺が言っていたって訳なのか。「それなのに、それなのに……ああ、あたしのせいで輝かしい未来は潰れてしまったのです! あたしは世界で一番の愚か者です! 希望溢れる未来を、崩壊させた大悪人です! いったいどうすればいいんでしょう! もはや、死んでお詫びするしか……」
顔に両手を当てて、とうとう泣き崩れてしまう彼女であった。
これがもし作戦だったとすれば、かなりの役者だといえよう。
「……まぁ、待てよ。そう悲観することもないだろ」
少なくとも、俺はまんまと引っかかっちまったさ。「ほら、俺も星村もまだちゃんと生きてるんだ。君の言う未来への道が、完全に閉ざされた訳でもないじゃん。……だいたい、本人と直接交渉した方が、周りから固めていくよりも、ずっと手っとり早いってもんでしょ?」
「そう……ですか?」
「ああ、そうだそうだ! 君は別に悪いことも間違ったこともしてない。……むしろ、最良の選択をしたんだよ!」
「……ありがとうございます!」
一転、今度は屈託のない笑みを浮かべる彼女だった。「クリエイショナーの今のお言葉で、非常に救われました! なんだか、自分に自信が持てました!」
「それは、その……良かった、ははは」
「……これからは気分を切り替えて、クリエイショナーとマザーリアの仲が深まるように、精一杯頑張らせていただきます!」
「いや、そんなに頑張らなくたっていいと思うけど……」
こいつが頑張れば頑張るほど、自分にとっては迷惑な結果になりそうだという自明の論理に、俺はこの時点でやっと気がついた。しかし、
「いえ、命を賭して頑張ります! ……クリエイショナーのご恩に報いる為にも!」
どうやら、時すでに遅しだったらしい。
「……で、具体的には、これからどうやって頑張るつもりなの?」
「え……? ああ、その、とりあえず、ですね……」
急に口ごもった後、彼女は大きな身振りで両手と額を床につけた。「……あ、あたしに、お金を貸していただけないでしょうか!?」
「……はぁ!?」
「クリエイショナーに対してこんなお願いをするだなんて、畏れ多いにも程があるということは、重々承知しております! ……しかしながら、任務遂行の為には、我々の未来を救う為には、ぜひとも軍資金が必要なのです!」
「……ちなみに、いったいどれくらい貸してほしいの?」
「ええっと……この時代でいうところの……二千円くらいですかね?」
「安いな、俺達の未来って!」
新品のゲームソフトを買うよりも、リーズナブルに救えるものらしい。「……そんな金で、どうするつもりなんだよ?」
「現時点では、詳しくお教えすることができませんが……とにかく、それだけあれば、なんとかなると思います」
「そう、なのか……」
自信満々に言い放つ彼女には申し訳ないけど、なんとかなるとは絶対に思えなかった。
……とはいえ、たったの二千円だ。ボロアパートで独り暮らししている貧乏高校生からすれば、けっしてはした金とは言えないが、騙されて立ち直れなくなるほどの金額でもない。
なので、俺はしぶしぶ財布から千円札を二枚取り出して、彼女に渡してやる。
「あ、ありがとうございます!」
両手でさも大事そうにそれを握り締めた後、彼女は勢い良く立ちあがった。「では……そろそろ行かせていただきます」
「あ、ああ……出ていくんだ」
何故かうろたえてしまう俺。
……だけど、彼女を引き留める理由がないのも、これまた明白なる事実であった。
黙って玄関に向かい、部屋の前に誰もいないことを確認してから、ドアを開けてやる。
「……本当に色々とご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」
部屋の外に出た後、彼女は玄関にいる俺に向かって、深々と頭を下げてきた。
「ああ、まぁ、その、気にするなって」
「クリエイショナー……あの、あたし、すごく嬉しかったです」
「嬉しかった……?」
「ええ……クリエイショナーとこういった形でじっくりとお話ができるだなんて、思ってもいませんでした。しかも、クリエイショナーと同じ部屋で泊らせていただき、なおかつあろうことか、クリエイショナーに朝食まで作っていただけるだなんて……とても言葉では表せられないほど、感激しております!」
頬を赤らめながら、はにかむ彼女の愛らしすぎる姿を見て……俺はようやくありきたりな推測に辿り着いた。――ああ、これって全部夢なんじゃないかな、と。
そして、夢の幕切れは実にあっけないものであった。
……もう一度深くお辞儀した後、『失礼します!』というさわやかな声を残して、彼女はそのまま俺の部屋の前から、走り去ってしまったのである。
追いかけるべきかなぁ……いや、それも野暮だよなぁ……と俺が迷っていると、
「……どうしたんだ、那部坂?」
急に背後から声が聞こえてきたもんだから、飛び上がるくらいびっくりしてしまった。
恐る恐る振り向くと、そこには愛すべき日常の象徴ともいえる顔――すなわち、隣の部屋に住んでいる真壁透の顔があった。
「え? ……い、いや、別に」
「パジャマのまま登校する気なのか?」
そのいつも通りの無表情ぶり、無反応ぶりから察するに、どうやらついさっきまで俺の部屋に同世代の少女がいたことを悟られてはいないっぽい。
「いや、まだそんな時間でもないだろ」
「いや、もうそんな時間だぞ」
スマホで確認すると、確かにもう登校時間ぎりぎりとなっていた。そういえば、真壁は制服姿だ。「ああ、そうそう、昨晩おまえの部屋から、やたらと物音がしたが、何かあったのか?」
「あ、ああ、その……ちょっと部屋の片づけをしていたんだよ」
「まさか、引っ越しするのか?」
「まさか、違う違う、単なる掃除だよ」
「あと、女の子の声が聞こえたような気もしたが……」
「それは、その……気のせいだろ」
「ということは……やはり、霊的存在の可能性があるのか。ここだけの話だが、このアパートには絶対に霊がいるぞ。俺にはわかる。霊感はまったくないが、感じるんだ。確信を持って言うが、たぶんこのアパートには地縛霊がいると思う、恐らくだが」
こいつの怪談めいた話は聞き飽きていたし、そもそも俺は、幽霊だのお化けだのといった類が大の苦手なのだ。
「ああ、そうか」
なので、軽く流しておく。「要するに、ここは心霊スポット的アパートなんだな、うん」
「だから引っ越しするのか?」
「だからしねぇって! ……ちょっと待っといてくれ。すぐに俺も準備してくる」
……そして俺達は、いつも通り、くだらない話をしながら高校に向かった。
もちろん、昨夜から今朝にかけての出来事を親友に報告する気にはなれなかった。あんな体験を真顔で語ったりしたら、それこそ引っ越ししなければならなくなるかもしれないからな。
なおかつ、退屈極まりない授業を受けているうちに、あれは本当に全部夢だったんじゃないか、というような気もしてくる俺であった。
つまりあれは、あまりにも女性に縁のない俺が見た、一種の幻覚だったんじゃないだろうか。
冷静に考えてみれば、全裸のナイスバディな美少女が突然部屋に乱入してくるってことも、自分が将来とんでもなく偉い存在になるってことも、あまりにも俺に都合の良すぎる展開である。……そんな幸運が、俺なんかの元に舞い降りるはずもないだろうさ。
――ところが、である。
この日の夕方――二連休前、すなわち金曜日の夕方だというのに、やっぱり何の用事も予定もない俺が、いつも通りさっさと高校を飛び出して、我が愛すべきオンボロアパート永苺園に帰ってみると……部屋の前で、何やら見覚えのある少女が立っていたのだ。
「ク、クリエイショナー……」
貸してやった赤いジャージ姿ではなく、白いTシャツに白い短パンという妙に艶めかしい格好になっていた彼女は、俺の顔を見るなり、泣きそうな声でこう言ってきた。「あたし……いったいこれから、どうすればいいんでしょうかぁ?」
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