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  • 第6話:夏の終わり

    2018-09-03 13:0069

    「大好きだからね…」

     涙を浮かべた彼女が僕に力なく微笑みかける。その笑顔は儚くて、悲しくて、思わず手を伸ばしても…背を向けて歩いて行ってしまう。

    「待ってくれよ!」

     必死の叫びが届くことはない。彼女は振り向きもせず、行ってしまう__


    「夢、か…」

     はぁ。はぁ。僕は飛び起きた。汗でパジャマがぐっしょりと濡れている。

     カーテンから朝の陽の光が差し込んでいた。また、朝が来た。何度目の朝だろう。そして、こうやって彼女の嫌な夢で起こされるのも。

     散らかった部屋には足の踏み場もない。片付ける理由もなくなってしまったからだ。

     

     彼女がいなくなった。


    「…来てるわけ、ないよな」

     淡い期待は見事に打ち砕かれた。携帯を確認しても、彼女からの連絡はやっぱりない。絵文字で目がチカチカするような連絡が今となってはとても恋しかった。

     そのままベッドの上で僕は布団にくるまり続ける。このまま眠ってしまって、朝が来なければいい。生まれて初めて味わう喪失感に呑み込まれてしまいそうだった。

     彼女の体調が悪くなるにつれ、会う頻度や連絡は減っていく。ただ、そんな中でも彼女とつながっていられることは唯一縋れる確かなものだった。だった、筈なのに。脳裏に焼き付いているのは最高の彼女の笑顔で、いくら思い返しても楽しい思い出しか出てこない。

     部屋が片付けられない理由はまだある。彼女を感じられる思い出がもうここにしかないからだ。一緒に遊んだゲームも、一緒に読んだ漫画も、部屋を片付けたら彼女が完全にいなくなってしまうような気がしていたのだ。懐かしくなって漫画本を手にとると、ふと見慣れない便箋が挟まっていることに気が付いた。

    「…何だろう?」

     はっとした。彼女の字だった。

     鼓動が大きく鳴るのを感じながら、恐る恐る読み進める。


    ”この手紙を読む頃には、きっと私はもう君のところからいなくなっているかもしれません。

     突然いなくなってしまって、本当にごめんね。

     きっと覚えてなんてないだろうけど…いつか、カブトムシを助けたよね?

     信じられないと思うけど、実は私あの時のカブトムシだったの。助けてもらって、君のことを好きになっちゃったんだ。そこでね、人間になりたいって強く思ってたら…何かの力が働いたのか、人間の女の子になることができたの。信じられない? 信じられないよね…だって、私もだもん。

     君と一緒に過ごせた時間は本当に楽しかった。君が本当に私のこと好きになってくれて、嘘みたいに幸せだったよ。

     君を一人にしてしまうの、本当に心配だった。だって、私が来ないとお部屋も片付けないし、どこにも出かけないでしょ?笑

     いつも無理やり私が連れ出すと、しょうがねぇななんて言いながらもやっぱり思いっきり楽しんでくれるところ、好きだった。…それだけじゃないよ。好きなところなんて、数えきれないぐらいたくさんあった。人を好きになるって、きっとどんなところでも愛しく思えちゃうってことなんだろうね。

     私のことなんて早く忘れてください、って言いたいけど、そんなに大人じゃないから言えないや。だから、私のこと忘れないでね。いつか君に好きな人ができるまでは、まだずっと一番でいたいから…ワガママでごめんね。楽しい毎日を、本当にありがとう…”


     まさか。まさか、とは思いながらも、確かめずにはいられなかった。

     本棚から昆虫図鑑を引っ張り出す。小さい頃によく見たその重たい図鑑の中に__

    「あ、あった…」

     カブトムシ。Trypoxylus dichotomus septentrionalis Kono…見慣れない英文字が並ぶのを、指でなぞりながら確かめていく。寿命は、一カ月から二か月。そして、何やら細い木の棒が挟まっていた。

    「これは…?」

     スイカバーの棒だ。彼女が大好きだった、スイカバー。まじまじと見ていると、棒に文字が書いてあることに気づく。

    「だ、い、す、き、だ、よ…」

     頬を伝う涙を感じながら、僕はへなへなと座り込んだ。秋の風がすっと涙の熱を奪っていく。残暑の残り香が恋しい。夏の終わりと恋の終わり。何度も何度も彼女の拙い文字を見返しながら、ただただ既に気配を消しつつある夏の余韻に浸っていた。

     
  • 第5話:異変

    2018-08-23 13:00104

    「あつーい…」

     扇風機の真ん前を陣取りながら、彼女が言う。

    「ほんとに暑いよなぁ。あ、あれ食べようよ、スイカバー」

     毎日のように部屋に来ては一緒にスイカバーを食べるのが日課だったので、自然と冷蔵庫のストックも増えていた。が…。

    「…ごめん、いらない…」

     申し訳なさそうに、体育座りをしながら彼女が言う。

    「えっ、珍しい! 最近食欲ないよな、大丈夫か?」

     この前夕ご飯を食べに行ったときも、明らかに食べる量が少なかった。夏バテなのだろうか。今年の夏の暑さは異常だから、それも仕方ないのかもしれない。

    「大丈夫大丈夫! ごめんね、心配かけて!」

     取ってつけたような笑顔。

     あの海の一件から、なんとなく気づいていた。彼女の様子がおかしい、と。

     何かを隠している。でも、それについて彼女は頑なに口を閉ざし、何も語ろうとはしなかった。僕が詮索しても、乾いた強がりを見せるだけだ。

     急に不安になることが増えた。

     彼女の様子が気がかりで、ともすれば問い詰めたい気持ちを呑み込んで無言になることが増える。そのたびに、また彼女は更に不安そうな表情を見せる。悪循環だった。

    「公園行こうよ」

     最近外にも出たがらない彼女を半ば強引に連れだした。ある作戦があるためだ。



    「わー…懐かしい! なんか、久しぶりだねっ」

     出会った日に寄り道した公園。

     小さな町の公園だが、夏休みなのもあり親子連れも多かった。

    「あ、シーソーでもやろうぜ」

     二人でクスクス笑いながら年甲斐もなくシーソーに向き合って座り、漕ぎ始める。童心に返るとはこのことかもしれない。

    「すごいすごーい!」

     まるで初めてシーソーにのるかのように、ガッタンゴットンの動きに感激する彼女。幼い頃に比べ体が大きくなった今では、振動もなかなかに激しい。

     

    「わっ…」

     急に彼女が左右のバランスを崩し、地面に倒れ込んだ。かなり強くぶつけたはずなのに、軽さのせいかあまり音がしなかった。慌てて彼女を起こしたが、へなへなと座り込んでしまって立てそうにない。

    「ど、どうした? 大丈夫か?」

     明らかに不自然だ。あの状況でバランスを崩して倒れるなんて、絶対におかしい。

     出会ったころの公園に連れ出して異変の理由をなんとしてでも聞き出すつもりだったが、頭の中でさらに不安が渦巻き始める。

    「大丈夫、だよ…」

     血の気が失せた唇から、乾いた声が漏れる。

    「嘘だ!」

     僕は泣きそうになっていた。

    「何か隠してない? 明らかに変だよ。なんでそんな時に頼ってくれないんだよ? 僕たち、付き合ってるんだよ?」

     彼女がゆっくりと僕を見た。透き通るような、無垢な瞳がどこか陰っている。無理に笑顔を作ろうとしているのが痛々しかった。

     彼女を蝕むものが何なのか、何を恐れているのか、そもそも彼女はいったい何者なのか。

     この暑さなのに、僕はいつの間にか冷や汗をかいていた。肌着が気持ち悪い汗でじんわりと湿っている。

     でも。僕は、彼女を心から愛している。それだけはゆるぎない事実だ。

    「ごめんね、ごめんね…」

     わっと彼女が泣き出した。

     泣いた女性のなだめ方なんて知らない僕は、ただただ焦ってしまう。

    「ご、ごめん…。責めてるわけじゃないんだ…心配すぎて…」

    「…ごめんね。大好きだから…」

     残暑の残り香を残した風が頬を撫でる。

     夏の終わりを感じさせる風だった。そろそろ、夏が終わってしまう。

     抱きついてきた彼女のか細さに驚く。頭を撫でてみても、抱きしめてみても、彼女との距離は縮まりそうに思えなかった。

     忍び寄る秋の気配に、僕らは怯えていた。この秋の訪れが、僕等から大切なものを奪うのではないかと。 

  • 第4話:海デート

    2018-08-13 13:0060

    「わぁぁああああ! ねぇねぇ、すごいよ! 起きて起きて!」

    「んー…」

     彼女が興奮した様子でバシバシとたたき起こしてくる。

     勘弁してくれよ…。こっちは怠惰に怠惰を重ねた夏休みに朝五時起きというミッションを課されて寝不足なんだ…と思いながらも、眠たい目をこすり窓を覗き込む。

    「うぉぉぉおおお! すげー! めっちゃ綺麗じゃん!」

    「でしょでしょ!? 渋ってたけど、来た甲斐あったでしょ? ほら、わーい!」

     わけもなく僕らはハイタッチをした。

     僕等は今日、遠出して海へ遊びに来ていた。電車から見える窓の外には、日光を反射してキラキラと輝く海が一面に広がっている。青々とした空には大きな入道雲が浮かんでいる。最高の眺めだ。


    「海海海ーっ!」

     彼女は嬉しそうに歌を歌いながら、一体何が入っているんだと突っ込みたくなる巨大な大きさのバックから様々なものを取り出す。浮き輪に、ビーチバレーに、何故かアヒルのおもちゃまで入っていた。

    「なんだよこれ、小さい子のお風呂じゃないんだから…」

    「あー、スイカ割りもしたかったのに…」

     僕の話なんて全く聞いていない様子で張り切っている彼女。初めての海にテンションが上がっているようである。明るい陽射しの下で、白い肌が眩しかった。そういえば、今まで意識したことはなかったけど彼女は滅茶苦茶色が白い。それこそ、透き通るほどに。

    「どうしたのー?」

     まじまじと彼女を見る僕の視線に小首を傾げる彼女。きょとんとした様子が可愛くて、僕は何だか照れてしまった。僕等は、手をつなぎながら浜辺を歩く。こんな夢みたいな日々と夏の暑さにすっかり浮かれてしまいそうだ。


     海の家のかき氷。彼女の念願だったスイカ割り。ビーチバレー。盛りだくさんな一日は、あっという間に過ぎてしまう。気づけば、夕暮れだ。

    「わー、夕方の海もなんだかめちゃくちゃキレイ……」

     どこもかしこも家族連れやカップルで賑わっている中、僕等は少しだけ人気の少ない離れた場所で海を見ていた。僕の肩にもたれ掛かりながら、このまま彼女と他愛もない話をしてずっと夏休みのままでいられたら良いのに。ぼちぼち中盤後半戦に差し掛かりつつあるカレンダーが恨めしい。

    「そうだ、いいこと考えたっ!」

     突然立ち上がると、あたりから長い木の枝を引っ張ってきた彼女。浜辺に何やら落書きを始める。

    「恥ずかしいから見ちゃダメだよ! ちょっとの間、目をつぶって待ってて!」

     言われたまま、素直に待っていると、出来上がったのは…。

    「ほら、見てみて!」

     誇らしげに指をさす彼女。相合傘だ。不器用な文字で、僕と彼女の名前が並ぶ。

    「……ありがとう」

     夕方の海と、大好きな彼女と、相合傘。幸せだ。このまま時が止まればいい、そう願うほどに。

    「ずっと一緒にいようね」

     普段照れくさくて言えない言葉でも、このロマンチックなシチュエーションなら言えてしまう。笑顔で喜ぶ彼女の反応が目に浮かんだ。が…。

    「…そうだね」

     いつもの彼女と違う。笑顔なのに、心ここにあらずといった表情だ。

     何故だろう。僕は急に不安になった。今までにないぐらい、彼女を遠く感じた。胸の鼓動が一気に早くなる。こんなに幸せな一日が、急に現実に引き戻された気がした。

    「…ごめん、なんでもないよっ! ごめんねごめんね!」

     僕の様子に気づいたのか、彼女がいつもの様子で謝ってきた。が、わかる。どことなくよそよそしくて不自然だ。

    「大好きだよ…」

     絞り出すような儚い声。その声が、ずっと耳に残って離れない。さらに、残暑のじっとりした暑さが僕に絡みつき、不安を駆りたてる。

     蝉の声がただただ虚しく浜辺に響いた。夏が去ろうとしていることに必死で抵抗するかのように。