闘うことの意味・・・。
闘いの向こうにあるもの・・・。
闘いの果てに待っていた、とてつもなく大きなもの・・・。
26才だった僕が、大切な旅をしている間に知ったこと。
それは『自分と闘うことの素晴らしさ』だった。
そしてそれは『絶対に嘘をつかない』ことで、結実するのだった。
小山さんの車は、ほどなく海の見える道路に入った。
館山の海は、とても広かった。
海岸線がずっと続くからだろう。
駐車場に車を止めて外へ出ると、5月の柔らかい風と目の前に広がる海、そしてどこまでも青い空が僕達を包んだ。
「ああ、海だー。 気持いいーー!!」
海が大好きな僕は、あっという間に子どもになっていた。
砂浜を歩き、空を仰ぎ、波打ち際に向かう。
透明になった心に、小さな頃遊んだ海からL.Aの海まで、あらゆる海の幸せな記憶が浮かんでいく。
「桟橋、行ってみましょうか」
小山さんの声で我に返ると、「ああ、そうしましょう、ぜひ!」
と答え、僕達は映画『WE ARE X』でYOSHIKIが歩いていた桟橋へ向かった。
晴れた5月の穏やかな空気に包まれた桟橋は、映画のシーンとは雰囲気が若干違い、とてものどかで、先端には何人か釣り人が見えた。
映画の中のYOSHIKIを想い出しながら、記念に写真を撮ってもらう。
海を背にして桟橋に立つと、館山の町が見渡せる。
大好きだった僕のおじいちゃんの町、小浜とよく似た、のどかな町並みだった。
(豊かな自然に囲まれた、こんなに優しい町でYOSHIKIとTOSHIは育ったんだ・・・)
心の中に『優しさ』が溢れた。
そしてあの頃の僕が、いつもメンバーを『優しさ』で包んでいたことを想い出し、同時にYOSHIKIを始めメンバー全員が、ひたすら毎日『自分との闘い』を続けていたことを想い出した。
僕は5人の意思を尊重していた。
その人間性と限りない可能性を深く信じていた。
だから、5人がそれまで築いてきたバンドとしての人間関係を、そのまま丸ごと理解し、包むようにしていた。
僕はステージに立つわけではなかったからだ。
そして、5人が立つステージは・・・。
凄まじい闘いの連続だった。
毎回、その闘いに満ちたステージが終わると、そのステージの先に見える『大きなX』と『輝く未来』をイメージして、僕はメンバーと話し合った。
未来を共にイメージしながら『大丈夫、大丈夫。どんどん大きくなるから。必ず勝つから・・・』
そんな言葉を繰り返しながら、僕はメンバーを優しさで包んでいた。
僕が優しさで包んでいる限り、メンバーは安心して自分と闘うことができる・・・このことだけは、誰に何を言われようが、ゆるぎのない自信があった。
僕が、そんな自分のやり方が間違っていない、と思う瞬間は沢山あった。
メンバー同士が前進するために正しいけんかをして、それが明らかによい結果を生んだとき・・・
それぞれが己の演奏の至らなさを悔やみ練習をひたすら続け、明らかに腕をあげたとき・・・
僕が提案した細かいアレンジの変更や音の出し方をメンバーが取り入れ、整理された演奏で素晴らしいライブになったとき・・・
でも、一番嬉しかったのは、メンバーの笑顔を見るときだった。
HIDE、PATA、TAIJI、TOSHI、YOSHIKI・・・。
それぞれが、心から喜んでいるときの笑顔。
それを見るのが嬉しかった。
笑顔を見ながら、5人のメンバーを、本当に好きなんだ、と僕は感じていた。
僕がメンバーを好きだったのは、5人が嘘をつかないからだった。
僕が彼らを安心して『優しさ』で包んでいたのは、そんな5人だったからだ・・・。
穏やかな気候に恵まれた、のどかな館山に『優しさ』を感じた僕は、30年前、館山を後にした時のYOSHIKIとTOSHIの気持に想いを馳せた。
2人は『闘う』ために館山を出たのだろう。
東京という場所へ『闘い』を挑んでいったのだろう。
そして、東京の先に広がる日本全国、さらにその向こうに見える世界という舞台へ羽ばたくために、2人が選んだ道。
それは、その『闘い』を成功させるために、何よりまず『自分と闘うこと』だったのだろう。
その道は正しかった。
ひたすら『自分と闘うこと』を選んだ結果、2人は共に闘う仲間、PATA、TAIJI、HIDEと出会うことができた。
その仲間もまた、自分と闘う男達だったから、そのバンドは『自らと闘う』バンドになった。
自らと闘うことで、人として美しいオーラを放ち始めたバンドはどんどんファンを増やし続け、途中でその美しさに気づいた僕とも出会い、ひたすら前進するための闘いを続けた。
そう。YOSHIKIとTOSHIの2人は『闘う』ために『優しい館山』を出る必要があったのだ。
闘うことの意味・・・。
確かに、初めは周りが敵だらけだったから、5人は夢をかなえるため、周りのあらゆるものと闘っていたかも知れない。
でも、闘いを支えていたものは、実は5人の『自分との闘い』そのものだった。
闘いの向こうにあるもの・・・。
それは夢であり、輝く未来だった。5人が真剣に『自分との闘い』を続けた結果、闘い始めてわずか4年のうちに、闘いは一度、終わりを告げていた。
闘いの果てに待っていた、とてつもなく大きなもの・・・。
5人が壮絶な『自分との闘い』に没頭しているうちに、もう闘う必要がなくなった日本では、奇蹟が起きていた。
闘いは愛に変わっていた。
それはファンがメンバーから受けとった愛を、愛で返し続けた結果だった。
YOSHIKIとTOSHIが育った優しい町、館山の明るく柔らかい空気の中で、僕は4つの言葉を心に浮かべながらタイムスリップをしていた。
『優しさ』『闘い』『自分との闘い』そして『愛』・・・
それらがみな、『絶対に嘘をつかない』ことで力を持つこと。
そして今もなお、いや、むしろ今こそ、それらを大きな力として、世界という舞台で頑張っているYOSHIKIを想い、YOSHIKI自身がXになったことの意味を考えた。
そうして僕は、映画の中でYOSHIKIが歩いていた桟橋をもう一度見つめた。
(つづく)