【 ART OF LIFE ⑮】
前回に引き続き、ピアノソロの後半の様子から音楽解説をしていきたい。
Piano Solo(15:06 〜)後半(18:19 〜)
ピアノソロの後半では、狂気がそのまま音になっている、凄まじい世界が展開する。
音の衝突を嫌い、常に完璧に調和した音の響きを求めるYOSHIKIの感性を考えると、信じられないような不協和音の連続。YOSHIKIの音楽的な美意識の対極とも思えるが、これもまたYOSHIKIの心に横たわる感性そのものなのだ。
そして、その不協和音すら「美」であるところにこそ、「ART OF LIFE」という作品の凄さが表れている。
前回、デモ音源創りをしていた頃の様子を描いた。
そしてその際、YOSHIKIがイメージを固めるために仮で演奏したインプロヴィゼーションが、あまりに素晴らしくて僕が感動したこと、そのインプロヴィゼーションが素晴らしかった理由、さらにはその時のテイクを結果的にそのままリリースする音源に使用したことなどを綴った。
そのインプロヴィゼーションがどんどん激しくなっていくのが、 (18:19 )でシューベルトのフレーズが登場する辺りからだ。
様々な感情が渦巻きながら徐々に狂気へと変化していく様子が、恐ろしいほどリアルに聴く人の心に響いてくる。
(18:19 )辺りから、激しさは落ち着いたように感じられるが、哀しい狂気の雫のようなものがまだ滴り落ち続けている。
やがて(21:41 )から静かにストリングスのメロディーが聴こえ始める。
そのストリングスは、狂気の果て彷徨い続けるようなピアノに対して、何らかの意志を持って近づくように、少しずつ大きくなっていく。
(23:00 )の辺りに差しかかると、ストリングスは更に存在感を増していき、ピアノの奏でる和声と衝突し、不協和音を発生させながらも、構わずに世界を創っていく。
(23:40 )辺りからでピアノは消え、ストリングスだけとなる。
そこで私達が感じるのは、YOSHIKIの人生に内包されている悲しみのような感情と共に、ピアノの狂気を包み込んだストリングスの大きさと強さだ。
YOSHIKIはこの大きくて強いストリングスに、一体どんな記憶を、感情を、そして想いを込めたのだろうか。
僕は「ART OF LIFE」のライナーノーツで、ストリングスをレコーディングしていた時の不思議な体験を描いている。
引用してみよう。
それは、いくつかの感情が重なった、心の震えのようなものだった。
悲しみ、苦しみ、彷徨、絶望、そして美・・・!
素晴らしい曲を聴いて、魔法にかけられたように心を動かされることは、幾度となくあった。
けれど、ここまでリアルで、しかも悲しみが核となった感覚を、僕は、今まで一度も味わったことがなかった。
曲にこめられたYOSHIKIの“想い”が、生きたまま、心を叩いてくるのだ。
例えれば、病室で独り、病と闘い続けているような、重苦しい、感覚。記憶のすべてを辿り、想像できる世界のすべてを探し求めるような、焦り。もがけばもがく程、恐怖に近づいていく、恐怖とその向こうに見えかくれする、愛への期待、迷い。
それは本当に異様な感覚だった。