2014年9月9日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar618510 になります
同時期の 特別寄稿 もあわせてごらんください
私たちは日々、さまざまな判断をしながら生きています。 ランチで何を食べるか、といった些細な判断から、人生がかかっている大きな決断に至るまで。
しかも場合によっては、ほんの些細な判断が人生に大きく影響することもあります。
目の前のことを日々、どう判断していくか。
その積み重ねが、その人の人生の色あいを決めるといって良いでしょう。
では、その判断を、私たちはそれぞれ、どのような心で行っているのでしょうか。
そしてその心の違いは、結果にどんな影響をもたらすのでしょうか・・・。
X JAPANというバンドのこれまでの道のりは、メンバーのどのような判断の結果から生まれているのでしょうか・・・。
******************************* 前回、
『100年残る作品』を生む主体は、ピュアでなければ成立しない
『ビジネスの都合から生まれる商品』を生む主体は、ピュアでは成立しない
という、僕が辿り着いた明確な真理、そして
Xのメンバーがピュアであることと、その
作品との関係を書いた。
この説明は、芸術の本質を知る人には
『 Xの作品は芸術だ。
だから消耗品ではなく、100年残る。
芸術作品を生めるのは、作者がピュアだからだ。』
と、すんなり理解できるだろう。
しかし、僕がこのように簡単に「芸術」という書き方をしなかったのには、理由がある。
それは、学校で教わるような芸術という概念は、誤解を生むからだ。
芸術作品というと、私たちはつい、既に100年以上の長い月日を経て評価され続けている、過去の作品ばかりを思い浮かべてしまう。
もちろん、芸術に対する正当な評価がとても時間のかかるものだから、それは結果としては自然なことだ。
では、まさに今、現代に生まれている芸術は、どう評価されるのだろう?
これは興味深いことだが、芸術をきちんと理解している人が知っている通り
『芸術作品は、生まれた当初はあまりにも新し過ぎて、一部の理解者を除き、一般にはなかなか理解されにくい』
という事実がある。
まさにX JAPANの作品がそうだ。
YOSHIKIの生むメロディーも、hideを中心に創り上げたビジュアル面も、メンバー全員で奏でる演奏やパフォーマンスも、そしてバンドのあり方自体も・・・。
全てがオリジナリティの塊であり、芸術だ。
だからこそ、すべてを理解しているファンを除けば、過去の何にも似ていないからこそ、一般にはその魅力が、なかなか簡単に理解されない。
とはいえ、見方を少し変えると、X JAPANとその作品は、大変ポピュラーであり、その人気も日本を代表するレベルだ。
ある時期の首相がファンを公言していたくらいだ。
では、僕が書いている『一般にはなかなか理解されない』というのは、一体どんな状況のことを指しているのか。