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2014年9月2日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けします
オリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar613133 になります
同時期の 特別寄稿 もあわせてごらんください
1988年から1992年まで、Sony Musicの担当ディレクターだった僕は、Co-Producerとして「BLUE BLOOD」と「Jealousy」2つのアルバムを、メンバーと共に制作した。
オリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar613133 になります
同時期の 特別寄稿 もあわせてごらんください
1988年から1992年まで、Sony Musicの担当ディレクターだった僕は、Co-Producerとして「BLUE BLOOD」と「Jealousy」2つのアルバムを、メンバーと共に制作した。
また、当時はアーティストマネージメントもSony Music内で行っていたため、『Xというプロジェクトの基本方針やビジョン』をメンバーと共に描き、実行していく責任者でもあった。
1993年には、既にSony Musicとの契約は終了、XはMMGの所属アーティストだったが、Sony MusicとMMGの特別措置によって「ART OF LIFE」のレコーディングにも、レコーディングディレクターとして参加した。
1993年には、既にSony Musicとの契約は終了、XはMMGの所属アーティストだったが、Sony MusicとMMGの特別措置によって「ART OF LIFE」のレコーディングにも、レコーディングディレクターとして参加した。
拙著「すべての始まり」の帯にある『インディーズから東京ドームまでをメンバーと共に駆け抜けた』というフレーズの通り、当時は炎のような情熱で、Xというバンドに自分のすべてを懸けていた。
しかし、Xが日本で成功を納め、海外進出を念頭に活動拠点を海外へ移し、X JAPANというバンド名で新たな展開をスタートした時点で、僕はプロジェクトから離れ、ひとりのファンとして以降の活動を見守ることになった。
X JAPANに続く新たな才能を見つけて世に送り出すためにも、僕はSony Musicに残り、プロデューサーとしてアーティストプロデュースを続けていく道を選んだからだった。
また、新たな才能の可能性は、Xとは違うジャンルの中から見い出したい、という考えから、Xが切り開いた『ヴィジュアル系』というジャンルに関わる音楽関係者との接点もなくなり、純粋な1ファンとして X JAPANの活動を見守るスタンスへと、シフトした。
そうやって客観的にX JAPANというバンドを観るようになってから、プロデュースをしていた頃より更に強く感じるようになったことがある。
それは、メンバーの持つ『ピュアさ』だった。
Xのメンバーがどれだけピュアな人格なのか、共闘していた頃の僕はもちろん深く理解していたし、むしろそのピュアさこそがXというバンドの最大の武器だということも知っていた。
ただ、メンバーが海外へ向かって旅立った後、Sony Musicのプロデューサーとして改めて音楽業界内の実情を把握するために色々な状況を視察・確認した結果、あれだけピュアな人間の集まりがあそこまで大きな成果を上げた、ということがどれだけ奇跡的なことだったのか、深く思い知らされることとなった。
そして、以来たびたび、X JAPANのメンバーのピュアさに想いを馳せることとなった。
これから、「ピュアであること」の大きさとその深い意味を、X JAPANのメンバーのあり方から、見ていこうと思う。
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先ほど書いたように、X JAPANというバンドに対して、僕はもう20年間、関係者ではなく客観的な立場でいる。
いわば一ファンだ。
ついこの前、8月17日に突然行われた新宿アルタ前でのゲリラライブの様子も、後日、写真や動画でゆっくり観た。
いたるところに貼られている横浜アリーナ公演の告知ポスターも立ち止まって見た。
そして何より、待望のマディソンスクエアガーデン公演、全世界ベストなどの様々な告知、それらにまつわる動画なども最近、見る機会が増えた。
そしてそういったものを目にするたびに、僕は、とても穏やかで不思議な、ある感覚を覚えるのだ。
それは、
『ああ、やっぱり大丈夫だ。ちゃんと前進している』
というような感覚だ。
実はこの感覚は、1990年の初頭に感じて以来、長い間ずっと変わらずに感じ続けてきた、言葉では言い表すことのできない、独特な感覚だった。
きっかけはおそらく、1990年2月の武道館公演成功と、一年前に完成した「BLUE BLOOD」が3月に日本ゴールドディスク大賞を受賞したことだろう。
そのさらに2年前から心に描いていた『未来のX』がやっと実現し始め、Xというバンドを完全に理解してくれているファンの存在が明確になってきた、という感覚が土台になっていたのは確かだ。
では、当時の僕が、『大丈夫だ、ちゃんと前進している』と感じたのはなぜか。
実はここに、「Xのメンバー」と「ピュアさ」のとても大事な関係があるのだ。
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