芸能の世界でToshlを見ていると、その真面目さや礼儀正しさが浮き彫りになる。

 見方を変えれば、Toshlをこれだけ沢山芸能界の中で見かけても、彼が決して単なる芸能人ではないことを表している、とも言える。

 なぜなら、テレビに出ることをその最たるものとして捉えるならば、芸能界というのは暗黙のルールや特有の常識のようなものがきちんとあって、それを身につけた人達が活躍する独特な世界だからだ。

 Toshlの場合、暗黙のルールや特有の常識を、悪い方に逸脱することは決してない。

 人として当たり前の礼儀や作法はきちんと守り、決して人に迷惑をかけたり見ている人の気分を害すようなことは、元々できない紳士的な人間だからだ。

 だから暗黙のルールや特有の常識で許される、つまり「あなたは有名人なのでテレビの中ではここまでは許されますよ」という領域についても、あくまで一般的な常識人としての礼儀をきちんと保ち、決して逸脱することはない。

 では、Toshlが芸能人でないならば何なのか、というと、一般的にはロックアーティストということになる。

 けれど、ロックアーティストでありながら芸能人としても活躍する人はいる。
 
 それとはまた違って、Toshlが芸能人にならない理由があるのだと僕は思う。

 それは、Toshlが芸能の世界で評価されるスキルをきちんと持ちながらも、あくまでひとりのオリジナルな人間として存在しているからだ。

 つまり「テレビの世界や芸能の世界の中」に存在しているのではなく、「そことは別の世界」を自分で持っていていて、ゲストとして呼ばれた際に、毎回テレビの世界や芸能の世界へ訪ねている、という感じなわけだ。
 
 これはちょうど、ハリウッドスターや海外アーティストが日本のテレビに出演するのと似ている。日本人であるけれど、海外に拠点があるYOSHIKIもやはり同じだ。
 
 そういう意味で、テレビに出ない実力派の日本人アーティストも、同じような雰囲気を醸し出すことはある。
 
 氷室京介や甲本ヒロトなどがテレビに出ると、周りの芸能人は憧れの別の世界の人として、きちんとリスペクトと感動を表現する。本人も、ある意味テレビの中にはいない。

 矢沢永吉など、その最たるものだろう。

 ただ彼らの場合は、本人がテレビに出たくなくてテレビ側からお願いされて出るわけだから、そうなるのもおかしくはない。
 
 ところが、一番最初の頃はわからないけれど、今のToshlくんはテレビに出ることを希望しているのだ。
 
 芸能の世界で楽しく過ごすことを、本人が望んでいるのだ。
 
 だけど、Toshlくんには別の世界がちゃんとある。
 
 それはまずX JAPANだ。
 
 世界で活動を展開する、世界中にファンがいる、X JAPANというバンドだ。

 音楽とバンドの夢、そしてファンとの関係を何よりも最優先する、世界一真面目なバンドだ。

 そしてToshlくんには、もうひとつ別の世界がある。