YOSHIKIが1990年に生み出した名曲「ART OF LIFE」

 30分に及ぶこの作品をピアノだけで演奏・表現する、友人のピアニスト鈴木孝彦のコンサートで、気持ちのこもった「ART OF LIFE」の演奏を観覧した。
 
 2017年春、上野文化会館小ホールで初めて会って以来、意気投合して仲良くなり、それから10回以上、彼の演奏する「ART OF LIFE」を生で観た。
 
 その中でも、一昨日観た演奏はどこか完成された美しさがあって、格別に素晴らしかった。

 それにしても彼の演奏を観るたびに、YOSHIKIというアーティストとその作品への凄まじいほどの敬意と愛情が伝わってきて、深く感動する。
 
 30分に及ぶピアノ演奏は、ちょうど原曲と同じように息をつかせぬ展開が一気に進み、とどまる瞬間はどこにもない。

 そして心が感動の連続に晒されているうちに、気がつくと30分の大曲は終わりを迎えている。
 
 つまり、鈴木孝彦は「ART OF LIFE」という作品とそれを生み出したYOSHIKIの想いを、ピアノで彼なりに、再現しているのだ。
 
 
 僕は一度、自ら作曲も手がけ、オリジナルアルバムをいくつも発表している彼に、尋ねたことがある。
 
 「ART OF LIFE」を演奏している時、曲に込める心情というのは、自分自身と作品を生んだYOSHIKIの、どちらに感覚として近いのか、と。
 
 少し考えて、彼は「難しいですが・・・きっとYOSHIKIさんなんだと思います」と答えた。
 
 やはりそうなのか、と僕は思った。
 
 
 
 
 「ART OF LIFE」は不思議な作品だ。
 
 聴いていると、何か見えない力に鷲掴みにされたような感覚に包まれる。
 
 僕は、その見えない力は「YOSHIKI自身の半生」そのものだと思っている。
 
 以前このブロマガ記事に書いたけれど、ロンドンのアビーロードスタジオでオーケストラのレコーディングをした時、僕は途中から幻覚のようなものを見続けた。
 
 それは間違いなく、YOSHIKI自身の心象風景だった。
 
 暗い部屋、苦しみに押しつぶされそうになる気持ち、病室の壁や天井、その向こうに朧げながら見え隠れする光・・・。
 
 
 
 僕がいつも書くように、優れた音楽は時を超える。
 
 それは、音楽に込められた作者の心が、そのまま聴く人の心に響くから起きる現象だ。
 
 「ART OF LIFE」は、特別にその力が強い作品なのだろう。
 
 だから聴く人は皆、何かしらYOSHIKIの心象風景を共有しているのかも知れない。
 
 ヨーロッパなどを中心に、世界中のファンが好きな曲だから、YOSHIKIの心象風景を数えきれないほどの人たちが共有していると考えると、とても不思議な気持ちになる。
 
 そして少し見方を変えて、多くの人たちに愛されているクラシックの名曲も「ART OF LIFE」と同じような存在なのかも知れない、と考えると納得する。
 
 300年の時を超えた「G線上のアリア」のように、いずれは「ART OF LIFE」が後世の音楽家たちによって演奏されるのを想像してみる。
 
 幸せな気持ちになる。
 
 友人の鈴木孝彦は、その開拓者ということになるのだろうか、と気づき、嬉しくなる。
 
 29年前、あの暑い夏にYOSHIKIと2人スタジオにこもり、形になった「ART OF LIFE」を聴いた時の感動を想い出し、胸が熱くなる。
 
 その3年後、全てのレコーディング作業が終わり、無事音源が完成した時、それまでの長い時間を振り返るYOSHIKIの表情を思い出し、心が温かくなる。
 
 
 
 
 確かにあの3年半は過酷だった。
 
 いつまで経っても終わらないレコーディングというのは、なかなか辛いものだ。