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Toshlのマスカレイド・展が周りで話題になっていて、観た人の感動や喜びをよく聞く。
YOSHIKIのドキュメンタリー映画に関する情報や、12公演行われたディナーショーを生で観た人の感動に納得する。
二人がこのようにそれぞれ自分らしい活動を展開して、多くの人達に幸せを与えていることがとても嬉しいのだが、僕が嬉しいと感じる理由は、ただ二人が元気に活動しているから・・・だけではない。
エンターテインメントの本質に関わる、もう少し深い理由があるのだ。
今回はそのことについて書いてみたい。
先日、あるアニメ映画を観ていて、途中から水晶(僕の音楽ユニットI.o.Youのパートナー)と随分深い話になってしまい、観るのを中断してしまった。
その映画は、人気のある監督の作品で興行成績も悪くないのだが、僕も水晶もその作品の「浅さ」に酷く落胆したのだった。
ティムバートン監督や宮崎駿監督のアニメ作品が、見事なほど人間のリアリティーを描き出しているのに対して、その作品の描写にはリアリティーが極端に欠落していて、これまで日本のアニメ界が築き上げてきた豊かな文化の中から、ストーリー進行に必要な要素を、ただ引用して繋ぎ合わせただけの作品のように感じられたからだ。
実際、その作品には至る所に宮崎駿監督による名作からの引用があった。
ストーリー自体も先が読める程度の内容なので、ただ「画が美しい」だけが取り柄の作品を観続ける気には、二人とも到底なれなかったのだった。
その後で僕たちは、この程度の作品がまともな興行成績をあげ、歓迎されるような今の日本の状況について話し続けた。
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コメント
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YOSHIKIもToshIも過去も現在もずっと見られてる津田さん、、、本質を知ってるだけに津田さんの ひとこと ひとことが心に響きます。
これからもX JAPANを応援していきます。
津田直士(著者)
>>1
素敵なコメントありがとう。
とても嬉しいです。