前回は、1988年に僕が「Vanishing Vision」を聴き、その速い曲に『Xの音楽性の圧倒的なオリジナリティ』を感じてその発見と未来へ向かう気持ちを、これまで書いたことのないエピソードも交えて、綴ってみた。

 この発見は僕にとって、音楽的な意味でとても重要なことだった。
 
 まだJazzが根付いていなかった終戦後の日本で、小林亜星さんや中村八大さんなど一部の音楽家はJazzのリズムを取り入れて新しい日本のポップスを生み出していった。
 
 その後も松任谷正隆さんなどティン・パン・アレーのメンバーは荒井由美のプロデュースなどで新しいサウンドを根付かせ、同じくティン・パン・アレーのメンバーだった細野晴臣さんはYMOなどでさらに新しいサウンドを根付かせていった。
 
 このようにポップスの領域では常に誰かが海外から新しいサウンドを取り入れて、それを日本人らしい本能や解釈によって新しいサウンドの流れを作ってきた。
 
 そんな背景をわかっていた僕は、BOØWYやレベッカなどによる8ビートの激しいロックサウンドとポップなメロディーがそのスタイリッシュなバンドスタイルと相まって新しい流れを生み出していた80年代の中旬に、さらにハードな音と速い曲のドラマーが2倍の速さで叩くビートのX独特のサウンドが誰もが聴いて心揺さぶられる美しいメロディーと相まって、全く新しい音楽を日本中に根付かせていくことになる・・・そのように捉えて、その未来を期待し、その実現のために動き始めたのだった。

 そしてさらに、バッハやベートーヴェンのようだと感じたYOSHIKIの名曲を生み出す才能と共に僕が注目し期待していたのは、YOSHIKIのドラミングの人間的で民族的ともいえる原始的な強いうねりが、彼が小さな頃から聴いていたクラシックの速いパッセージから生まれているのではないか、という僕なりの予想だった。

 もしもそうだとしたら、YOSHIKIが名曲を生めば生むほど、そのサウンドはオリジナリティを高めながらどんどん円熟していくはずだからだ。

 YOSHIKIの名曲性がクラシックのそれと重なるからだった。

 そしてもう一つ。