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今回で、ちょっとふざけて生きてみる、という秘訣をそろそろ一度、締めくくって
みたいと思います。
みたいと思います。
以前、ふざけて生きることは人間関係でとても有効だと書きましたが、その延長に
存在する「ふざけて生きる、ある極意」を、最後にご紹介したいと思います。
それは
「ふざけて生きて、自分を知る」
「自分を知って他人を分かる」
というものです。
そして「ふざける」ことの向こう側に隠されている、人生にとって非常に大切な、
あるとてつもない真理を、最後にお伝えしようと思います。
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僕はある意味、多重人格だと思います。
以前ご紹介したように、弱い子つだなおし と、強い子 津田直士 が共存しています
し、雄(オス)の部分をフル稼働して闘うプロデューサーの僕と、感動で泣きながら
曲を生んでいる僕は全く違う人格ですし、集中したり命がけで物事に取り組んでいる
時の僕と、豊かな気持ちで目に見えないものを吸収するためにユルユルになっている
時の僕も、全く違う人格です。
ただ、本当の多重人格とは違う点がひとつあります。
それは僕の場合あくまで「ふざける」の延長にあるため、意図的に人格をチョイス
している、という点です。自分でコントロールしているんですね。
以前「面白がる」でご紹介した「他の人ごっご」の自分バージョンというわけです。
つまりまぁ、多重人格風味とでもいいましょうか。
でも、その多重人格風味のおかげで、やりたい仕事をやりたいようにできますし、何
より自分自身を客観的に見ることができます。
(なぜ客観的に見えるか、は後ほど説明します)
では、なぜ僕は多重人格風味になったのか、いや、そもそも多重人格風味になるとメ
リットがある、となぜ気づいたのか、その辺りから説明していきたいと思います。
まず背景には、もともと僕が持っている、
・人間を面白がって観る
・「自分以外の人」になってみちゃう(モノマネも含めて)
・自分自身を面白がって観る
・他人が見ている自分を理解する
という特性がありました。
で、実際に僕の多重人格風味を形成した大きなきっかけが、小学生の頃の転校だと
いうことは間違いありません。
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