業界内の人と話していて、過去の仕事に話が及んだ時、
「そうですか、津田さん、Xに携わっていたんですか。それは・・・大変だったですね・・・」
などと言われることがたまにある。

 伝説のバンドらしく、数々の武勇伝もあり、バンドのスケールの大きさゆえに尾ひれがついてとんでもなく膨らんだエピソードには事欠かないからか、話しているその相手は、僕が以前、Xのスタッフをしていた、というだけで、同情と好奇心が混ざった、複雑な表情をしたりする。

 つまり、破天荒なバンドのスタッフをしていたのだから、さぞ大変な苦労がおありだったのでしょう・・・ということだ。

 でも残念ながら、「すべての始まり」を読んだ方なら分って頂けると思うが、僕にとって、Xに関わっていた5年間は、熱闘甲子園であり、命を懸けた日々であり、熱く、激しく、夢と涙と笑いに満ちた、まさに青春そのものだった。


 でも普段、僕はあまりこういった話はしない。

 理由はシンプルだ。

 たとえ周りの人達から(大変だったでしょうね…)と思われても、僕にとっては『 Xと共に過ごした5年間が、夢と愛に満ちた青春だった理由』を、簡単に説明することが、とても難しいからだ。

 そもそも、自署「すべての始まり」でさえ、その根拠は書いていない。



 では、なぜその説明が困難なのか。

 この連載を読まれている方には、もしかすると分って頂けるかも知れないが、その理由は、とてつもなく志高く、激しい情熱がほとばしる、僕自身の生きかた、つまり人生そのものにあるからだ。

 自分の人生を、簡単に立ち話ですることはあまりないだろう。

 聞かれてすぐに笑顔で話すことでもないだろう。

 だから僕は今まで、あまり話さなかった。

 とても大切な話を。

 大切過ぎて、あえて人に伝えようとさえしなかった話を。


 でも、僕はこの連載で、その話をきちんと伝えることにした。

 それは、前回書いた通り、あまりに今、日本の音楽業界が不甲斐ないのと、一方で世界に向けて新しい可能性やチャンスが、多くの若いクリエイターの目の前に開かれている現状を想った結果だ。

 そう。
 
 僕は多くの人に気づいて欲しいのだ。

 今の若い新しい世代に、次の黒澤明や岡本太郎、坂本龍一やYOSHIKI、三島由紀夫や村上春樹、大友克洋や村上隆がいることを。
 
 そして、そういった「若い才能」に、僕たちが何をしてあげるべきなのか、を。

 だから、僕は今回も含めて、今まで公にしてこなかった26年前の自分の心の中を描きながら、誰も信じないような夢がちゃんと現実になっていく強さと素晴らしさを、どんどん書いていこうと思う。




 僕がこのブロマガでよく「人生」について綴る理由と、前回書いた、選ばれたアーティストとファンの関係について、そしてXの普遍性といった内容は、ひとつのところでつながっている。