さて、前回に引き続き、音楽合宿から始まる音楽的な展開を描きたいところなのだが、その前に書いておきたいことがある。

 今回で7回目となるこの連載は、実は単なる回顧録や過去のエピソード紹介ではない。

 CDの売り上げ急落によって、日本の音楽業界は構造改革に追われ、混迷を極めている。

 この原因のひとつにもなっている、過去数十年にわたって日本の音楽業界に横たわってきた問題について、僕はよく考えることがある。

 その問題をクリアにすることで、これからあるべき音楽業界のビジョンを描きたい、と僕は思った。

 そしてそのビジョンへのヒントと答えが、ごく限られたアーティストの存在と活動にあり、その中でもXはとても分かりやすい例だと僕は考えた。

 だからこの連載には、世界進出を始めたXの原点を見つめることで、今後あるべき僕たちのビジョンを明らかにする、という目的がある。

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 僕が常々書いている通り、X JAPANのファンはある意味メンバーと運命共同体であり、ファンがバンドやメンバーを想う気持ちはとても深く、強い。

 それは僕が「すべての始まり」のフィナーレで、そのファンがおこした奇蹟について描いた、ということに表れている。

 つまりあの頃、僕が見つめていたXというバンドの物語は、途中からファンも主人公となっていったのだ。

 それ程にX JAPANのファンは特別であり、圧倒的だ。

 そして、そんなファンを生んだ源は、結局バンドの在り方やメンバーの生き方そのものにあった。

 これはとても重要なことだ。

 何らかの商品を売り、それをユーザーが購入する、という商業(ビジネス)としての関係。

 あるアーティストと、そのアーティストの生き様や生む作品に打たれて人生が変わてしまったりするようなファンとの関係。

 どちらも音楽産業の中で重要な要素として存在しているが、この二つはその本質と役割に大きな違いがある。

 僕らのいる音楽業界、また広く考えればエンターテイメント業界では、この二つの要素が常に混在していて、その割合は、プロジェクトや表現者、作者やアーティストごとに、それぞれ異なる。

 コンテンツが限りなく無料へ向かい、ネットで情報やデータの拡散が自由かつ無限となった今、この二つの要素、そしてその価値が、ユーザーにとってどのように変化しつつあるのか。

 そしてそれは何故なのか。

 ここをきちんと考えることが、今後のビジョンを明確にしていくことにつながっていく、と僕は考える。


 Xの話に戻ろう。