前回お伝えした大きな方針を胸に、僕は1988年秋、音楽合宿に臨んだ。

 合宿が始まると、僕はメンバーの人間性とバンドの実態を改めて観察し、把握していくようにしていった。
 
 それまでの半年間でもたくさん語り合って来たけど、僕が把握すべきこと、共有すべきこと、熱く語り合うことは、まだまだいくらでもあった。
 
 だから音楽的な作業に取りかかり始めたメンバーと、作品創りや音楽制作に関わる話をしつつ、並行してバンドや人生のこれまでと、今後の可能性やビションについて語っていった。
 
 それはちょうど、彼らの本を書く作家が取材をするような内容だった。
 
 当時、ごく当たり前に、本能的にやっていたことなのだけれど、実は僕は、Xと過ごした5年間、「本を書かない作家」のような存在だと感じていたのだ。
 
 それが音楽面における共同作業と同じ位に、自分の大事な役割だと感じていた。
 
 Xというバンドが、それ自体ひとつの物語だったから、そして常に僕が、Xの未来という物語を心に描きながらプロデュースにあたっていかなきゃ、と意識していたからだ。
 
 そう、1988年に始まった僕の心の中にある「未来のX」は、ひとつの物語だったのだ。
 
 その物語をより緻密に描くために、僕は合宿でメンバーを観察し、語り合いながら、メンバーの人間性とバンドの性質を自分の中に入れていったわけだ。


 
 
 Xというバンドにおける僕の立場は、アルバム「BLUE BLOOD」に記載されている通り、Co Producerだった
 
 常にメンバーがバンドの実態を創っていき、僕は横にいてそれをサポートする、という立場だ。
 
 そういう立場に立っていた理由は、この連載で何度もお伝えしてきた通り、Xというバンドが過去にない全く新しいバンドであり、いずれ日本の音楽シーンすら変えてしまう圧倒的な存在になる、と確信していたからだ。
 
 それほどのバンドなのだから、バンドの方針や考え方すべてに「バンドのオリジナリティ」という魂はこもっている。
 
 それをひたすら最大限に伸ばしていく、というのは極めて重要なことだった。