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マル激!メールマガジン 2024年7月3日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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マル激トーク・オン・ディマンド (第1212回)
間違いだらけの水害対策
ゲスト:谷誠氏(京都大学名誉教授)
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間違った水害対策が続く限り、水害はなくならないし、行政と住民の対立や住民間の対立もなくならない。
折しも日本列島が梅雨前線の影響とみられる豪雨に襲われているが、最近では台風のシーズン以外でも、線状降水帯による豪雨がいたるところで発生し、日本中で河川の氾濫や土砂災害が毎年のように発生し、物的損害はもとより犠牲者まで出すようになっている。
毎年大きな被害をもたらす水害に対して、河川管理者である国はどのような対策をとっているのか。
これまで国の水害対策は、ダムや堤防による改良工事を基本としてきた。場所ごとに大雨の最大規模をこのくらいと定め、洪水の時にダムなどで調節した分を差し引いた川の流量である「計画高水流量」を定め、それを超えなければ被害は未然に防げるはず、という考え方だ。それを根拠に国は日本中の川という川にダムを作り、堤防をかさ上げしたり川の幅を広くするなど、夥しい数の土木工事を行ってきた。
しかし、水文学の専門家で京都大学名誉教授の谷誠氏は、そもそも「計画高水流量」を決め、その範囲の流量までの水を貯めるために次々とダムや堤防ばかりを作る考え方が、根本的に間違っていると語る。自然を相手にしている以上、川に流れ込む水の量は人間の都合で決められるものではない。また、そこで予想した流量を超えてしまえば、既存のダムや堤防では水害を防げない。
いわば恣意的に「計画高水流量」を決め、そこまでの流量を貯められるようにダムなどでキャパシティを増強する工事を何が何でも押し通すやり方は、役人の考え方ではやむを得ない面もある。水害が起きる恐れがある以上、これを放置することはできない。また自然が人間の予想を超えることがままあるからといって、対応を決めるためには何らかの想定は必要だ。
しかし、谷氏はこの考え方が、住民を巻き込んだ治水や水害対策の構築を困難にしてきたと指摘する。役所は「水害対策」の名で自分たちが策定した計画をゴリ押しすることになるため、移住を強いられるなどして事業による影響を受ける住民と行政の間に深刻な対立が生まれる。また、住民の中にもその事業によって利益を得る人と損害を受ける人が出てくるため、住民間にも対立を生んでしまう。
だが、行政としては強権的に事業計画を推し進め、反対運動を抑え込むためには、ダムや堤防などの効果を喧伝する必要が出てくる。事業を正当化するための理論武装が必要になるのだ。そこで使われるのが「計画高水流量」だ。これは「何百年に1度の大雨にも堪えられる」などと表現されることが多いが、それはあくまで理論上の話であり、実際には明日その水量を上回る雨が降ってもおかしくないという代物だ。
また、いざ水害が起きると国は裁判で訴えられる。裁判で国が「水害は不可抗力だった」ことを裁判官に認めてもらうためには、国としてはまず想定された妥当な「計画高水流量」が存在し、その範囲であれば水害は防げる妥当な対策を取ってきたことを主張する必要がある。その想定を上回る雨が降ったのだから仕方がなかったということにするしかない。
谷氏はそのような理由から続いている「計画高水流量」を前提とし、容量を増やすことで水害を防ごうとする「改良追求型」は限界に来ており、「維持回復型」の水害対策へ移行する必要があると言う。
実際、国は2020年、新たな水害対策として「流域治水」を進めると発表した。これは水害対策に関わってきた国や県などの河川管理者だけでなく、川の周辺の企業や住民も協力し、流域全体で受け止められる雨の量を増やすという考え方で、改良追求からより維持回復に近い考え方だ。
ただし、流域治水の具体例として川の上流で田んぼなどにあえて水を溢れさせる案などが検討されているが、これは上流を犠牲にすることで下流の水害を防ぐ考え方であり、問題だと谷氏は言う。強者の利益を守るために弱者を犠牲にする考え方につながり、新たな対立を生むことになるからだ。
ダムについても、ダムは効果があるので必要だという意見と、環境保全の立場からできるだけダムを作らない方がよいという意見が対立している。双方の意見はどちらも妥当性があるので、意見をぶつけ合っているだけでは妥協点が見いだせない。このような二項対立図式から抜け出すには、われわれの水害に対する考え方を根本的に変えなければならないと谷氏は言う。
まずは自然を相手にしている以上、水害を完全に根絶することはできないという事実を受け止め、少しでも被害を減らすために何を選択するかを河川管理者だけでなく流域の住民も含めて話し合うことが必要だと谷氏は言う。
水害が頻発する昨今、日本は妥当な水害対策を取っているのか。また、日本の水害対策はどのような考えに基づいて行われているのか、改良追及型の水害対策にはどのような問題があるのかなどについて、京都大学名誉教授の谷誠氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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今週の論点
・日本の水害対策の基本はダムや堤防建設などの改良追及工事
・そもそも「計画高水流量」に根拠はあるのか
・緑のダムのメカニズム
・実効性のある水害対策に向けて
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■ 日本の水害対策の基本はダムや堤防建設などの改良追及工事
神保: 今日は水害の問題を扱います。Yahoo!の防災速報がすぐに見られるよう設定していると、梅雨入りしたということもあり、ここ1週間ほぼ毎日のように防災速報が入ってきます。2024年に入ってから、6月26日までの段階で大雨注意報が9,707回、大雨警報が1,304回、洪水注意報が4,895回、洪水警報が567回、土砂災害警戒情報が145回も出ています。
このように毎日のように日本のどこかで水害の危険性がある中で、日本では妥当な水害対策が行われているのかというのが今日のテーマです。水害は避けられないかもしれませんが、被害を最小化するための合理的な対策が取られているのか、また災害が起きたとしてもある程度納得するしかないと思えるような状況ができているのかなどについて見ていきたいと思います。
宮台: 東日本大震災の時に、防災か減災かという2つの考え方が問題になりました。つまり、災害を起こさないようにするのか、起きたとしても被害を最小化するのかということです。後者に関しては群馬大学の片田敏孝さんに来ていただいて、昔からの考え方は基本的に減災なのだということを伺いました。災害を防ぐことには限界があるから、それに対応することが重要だということですね。
防災対策を厳格化してしまうと、人々は「津波てんでんこ」のような減災の知恵を伝承する必要を免除されたと感じてしまいます。このように、減災には住民の知恵が不可欠です。だからダムや堤防を作ったから大丈夫というのは問題ですね。
神保: もちろん、ダムがあったからこそ水量を一定の水準にまで抑えられていたということはあるかもしれませんが、一定量を超えてダムが放水を始めると水量が急増してしまいます。流域の人たちが、昔は少しずつ水が上がってきたので家財道具を2階に上げる余裕があったが、今はダムが放水すると一気に水量が上がってしまうのでそういう余裕がないと言っているのを聞いたことがあります。
ダムの意義を全否定することはできませんが、その負の側面もやはり考えなくてはならないでしょう。今回の番組は、日常的に水害が起きている中で考えなくてはならないことがあるのではないかということで企画しました。ゲストは京都大学名誉教授で森林水文学が専門の谷誠先生です。水文学というのはどのような学問なのでしょうか。
谷: 陸水学という学問がありますが、これは水質などを扱うもので理学的です。水文学は水資源や災害などに近い学問で、工学や農学や理学、さらには社会科学にまでまたがる非常に学際的な分野です。日本の大学では、水文学は筑波大学にしかありません。AGU(アメリカ地球科学連合)では水文学が一番メジャーですが、日本では比較的弱いんです。
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